Interview_mochizuki of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

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望月衛介(ピアニスト/作曲家)

【学生スタッフの紹介】
望月:「音楽と広告」は今回が最終回です。そして本日のツタワリストは私、望月衛介です。
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私がピアニストとしてデビューしてから早21年となりますが、何故私がこの番組を担当しているかというと、実は広告会社の電通に15年間プランナー及び営業として勤務していたからなんですね。その知見とネットワークを活用しようということで生まれた私ならではの番組が「音楽と広告」だったという訳です。今夜のゲストは私自身ということで、一人で番組を進行するのは難しいため、相手役としてお二方をお呼びしています。番組学生スタッフの河村知里さんと進藤啓太さんです。

河村・進藤:よろしくお願いします。

望月:この2人が何故ここに居るかと申しますと、番組が始まった当初、この番組は広告会社に興味のある学生が聞くだろうということでPRスタッフを募集しまして、沢山の応募の中からこの2人が選ばれたからなんですね。8ヶ月ほど2人にはお手伝い頂きましたが、まずそれぞれPRスタッフに応募したきっかけを聞かせてもらえますか?

進藤:僕は元々twitterをやっていたのですが、ある時「音楽と広告」のアカウントにフォローされたんです。元々広告業界に興味があり、また昔から音楽をやっていたので「音楽と広告」ってどんな番組だろう?と思い、そのことをきっかけにスタッフに応募させて頂きました。

河村:私が応募させて頂いたのは2月の募集だったのですが、私はちょうどその時就職活動中でした。広告業界に興味があったのでもっと仕事を知りたいなと思い、応募しました。

望月:この番組のスタッフとして色々な企画をやったと思うのですが、そのことを通じて何か得たものはありますか?

河村:望月さんから企画を貰いながらUSTREAMの番組を制作するといったことをしていたのですが、やはり生の現場で企画をしたり、広告に携わる経験が出来たことが大きな収穫かなと思います。

望月:かなり実践に近い内容だったよね。進藤くんはどうかな?

進藤:僕は番組のtwitterアカウントを管理していたのですが、色々な広告業界の人の話を聞く中で、現場に携わる人たちのスピード感や番組そのものの広がり方に緊張しました。そういった緊張感の中で望月さんがフォローしてくれたり叱咤激励してくれたりしたので、こういった経験は学生にとって素晴らしいものだったと思います。

望月:番組には様々なトップクリエイターの方が出演してくれたわけだけれど、印象的だった人はいるかな?

進藤:僕は森本千絵さんですね。初めてスタッフとして番組をお手伝いさせて頂いた際に森本さんがゲストとしていらしていたのですが、生命力が凄くて。パワフルでした。

#森本千絵さん
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河村:私も森本さんですね。すごくアクティブな方で、圧倒されました。あと、福里(真一)さんも印象に残ってます。森本さんとは真逆な静かな方で。

#福里真一さん
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望月:福里さんは一見静かだけれど、内に秘めた熱いものがある人だったね。

【ピアノを始めるきっかけ】
進藤:望月さんは4歳からピアノを弾き始めたそうですが、元々ピアノが好きだったのですか?

望月:ピアノは親にやらされたんだよね。兄弟が三人いるんだけれど、三人ともピアノをやらされていて。ただ、実際は嫌で嫌で仕方なかった。
僕はガキ大将だったんだけれど、例えばピアノの発表会に女の子が30人居る中で男が1人だけだったりとか。あと、ピアノ教室の先生の家がクラスの女の子の家だったりとか(笑)。自転車でピアノ教室に通うのを見られるのが嫌で嫌で仕方なかった。

進藤:望月さんが本格的に音楽をやるようになったきっかけは何だったんですか?

望月:クラシックピアノを続ける一方で、小学校5年生ぐらいからクラシック以外の音楽も聴くようになったんだよね。例えば、歌謡曲とか洋楽とか。
中でも一番衝撃を受けた音楽がジャズとかフュージョンといった音楽で。クラシックは曲を譜面どおりに弾くもので、僕はそれが音楽だと思っていたんだけれど、ジャズやフュージョンにはアドリブがあって。その瞬間のインスピレーションで自由に弾いていい音楽があるって知った瞬間に、初めて音楽が面白くなったんだ。そこから一切クラシックはやめちゃった(笑)。
ただ中学・高校はバスケットボール部でそっちを一生懸命やっていたんだよね。本格的に音楽をやるというよりは、趣味で音楽を続けていたというのが本当のところかな。高校までは本当にインターハイを目指してた。ただ、僕は最後に怪我をしてしまって夢が断たれてしまったんだよね。僕はバスケットをやりながらシンセサイザーを弾いてダビングを重ねながらデモテープを一人で作っていたんだけれど、それをバンド仲間に聴かせていて。その仲間が「バスケットを引退したら一緒にバンドをやろう」と言ってくれて、そうしてバスケットを引退した後にバンドを始めたのが最初の本格的な音楽活動だった。

【音楽活動について】
進藤:バンドは結構本気でやっていたんですか?

望月:エセ本気だったね(笑)。当時「イカ天」っていうテレビの深夜番組が大ブームで、正直あまり大したレベルじゃないのにその番組をきっかけにデビューするバンドが沢山いて。その様子を見ていて「俺たち普通にいけるよね」って勘違いしてた。
実際バンドで一緒にやっていたベーシストは「クスクス」っていうバンドのベーシストでもあったんだけど、そのバンドはインディーズだけどメジャー並に人気があって。そういうのを間近に見ていて「いけるな」と(笑)。
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ただ、これまで通りにライブハウスでライブをしてデビューを狙うというのでは遅いと思って。もっと手っ取り早く、コネを作ろうと。だから芸能っぽいところで仕事をしたいと思って、モデルを始めて(笑)。そうして運良くビーイングの長戸大幸さんと出会うことが出来たのが、デビューのきっかけだった。ただ、バンドとしてではなく僕だけが一本釣りされちゃったんだよね。正直、困った。バンドを置いて、自分だけがデビューするっていうのもどうなんだろうと。
ただ「君、フュージョンとかやろうよ」っていう風に口説かれて。僕がやっていたのはロックバンドだったんだけど、僕自身はフュージョンが好きでデモテープを作っていたんだ。そういったことを何故か見抜かれて。「今はバンドブームの影響で軽い音楽ばかりが流行っているけれど、もっと本当の音楽をやろうよ」と言われて「やります」と答えた。

進藤:音楽活動は順調に進みましたか?

望月:中々上手くいかなかったね。大学入る前に18歳で事務所と契約したんだけれど、育成してくれるものだと思っていたら全く放っておかれて。仲間を置いてきてしまったし、大学入ってからもサークルとかやらずに音楽一本で行こうと思っていたんだけれど、とはいえどうしたらいいんだろうという感じだった。とにかく家に帰ったらデモを作って、それを聞かせてということを繰り返して、自分で自分のレベルを上げて行くという感じだったね。
ある時、ポンと一気にレベルが上がった時があって。それを聞かせて「じゃあ、やろうか」となった時は嬉しかったね。それまでには一年半ぐらいかかったかな。
そうして19歳の時に自分のソロデビューアルバム「Waiting For You」を出す事が出来た。そして、ちょうどその頃レーベルの中で「B.B.クイーンズ」というグループをやろうという話が持ち上がって来ていて。

#B.B.クイーンズ
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子どもたちの夢のために活動しようと言って「踊るポンポコリン」という曲を出した。「ちびまる子ちゃん」自体が始まってすぐに大ブレイクしたんだけれど、B.B.クイーンズもこの曲でレコード大賞を取ったり、紅白歌合戦にも出させてもらって。それはそれでハッピーだったかなという感じだね。

#「踊るポンポコリン」


【広告会社入社のきっかけ】
進藤:ミュージシャンとしてデビューされ、そのまま音楽活動を続けていこうとは思われなかったんですか?

望月:実際ものすごく悩んだ。自分は本物志向の音楽をやろうと言って口説かれて、一方でB.B.クイーンズみたいな音楽をやっている。自分が本物だと思っている音楽は売れて数千枚の世界で、一方でB.B.クイーンズはピーヒャラピーヒャラで200万枚売れた。そのギャップにすごく悩んだんだ。
良い悪いという話では無くて、人々は色々な枠組みの中で生かされているんだなと思った。だったら、自分はその枠組みを作る方に回りたいと思って。その枠組みはアーティストとして作っていく以外に、企業の中に入って作っていく方法があるんじゃないかということを就職の時期になって考え始めたんだ。ではどのような企業に入ったらいいかと考えた時に、例えばトヨタ自動車に入って環境の言いエンジンを作りましたと言っても、その1つのことだけしか出来ないんじゃないかと思って。
そうじゃなくてもっと色々なクライアントを口説いていくことが出来たら面白いなと考えた時に、広告会社という選択肢が出てきたんだ。当時、電通にはPRを担当するコーポレートコミュニケーション局という部署があったんだけど、そこに行きたいと思った。今後の日本を良くしていくために、世論を動かしていきたいと思って。自分がイニシアチブを握って世論を動かしていくことへの憧れはあったんだけれど、企業を使ってやってみようと。
それが広告会社に入ろうと思ったきっかけだね。

【楽曲紹介1】
河村:このあたりで一曲紹介して頂けますか?

望月:この番組恒例の「思い出のCMソング」ということで、僕がフュージョンに傾倒していくきっかけとなった曲を。T-SQUAREの「ローリーズⅡ」というアルバムより「トラベラーズ」です。

#1 T-SQUARE「トラベラーズ」


【印象に残っている仕事】
進藤:望月さんは大学卒業後、電通には入られたということですが、何か印象に残っているお仕事はありますか?

望月:僕は「日本を良くするために仕事をしたい」と理想を掲げて会社に入ったんだけれど、実際は中々そういった仕事にはめぐり合わないわけですよ。電通も営利企業だから、まずはクライアントのやりたいことを実現するというのが第一で。
ただ、そんな中でも心に残った仕事は幾つかあって。最初に力を入れてやった仕事はNTTの仕事で。いまはナンバーディスプレイと呼ばれている発信者の電話番号が表示されるシステムがあるんだけれど、昔は発信者の番号が出なかったんだ。全部黒電話だったからね。
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河村:そもそもモニターが無かったんですね。

望月:迷惑電話なのか大事な電話なのかもこちらには分からないから、電話が掛かってきたらとにかく全部取らないといけなかったんだよね。それが社会問題にもなっていて。そこに技術的な改良を加えることで、電話番号を映せるようにしたんだ。
ただ、これは非常にセンシティブな問題で、電話番号を映せるようにすることでそこから色々な情報がひも付けされて個人情報が流出するかもしれないという危惧もあったんだ。実際、アメリカにはソーシャルセキュリティーナンバーというものがあるんだけれど同様の問題が起きていて。だから日本国内でも賛成派と反対派に分かれていたんだよね。
僕が取り組んだのは、その世論を良い方に持っていくという仕事だった。しかもその仕組みを国民全員に理解させなくてはいけないというもので。企業の仕事って「20歳ぐらいの人」「お酒が飲めない人」「子ども」といった具合に大体ターゲットが決まっているものなんだけれど、この仕事は日本国民全員が対象だったんだ。使う言葉だったり、情報の伝わり方をありとあらゆる方向から検討してやっていった仕事だったから、この仕事はとても勉強になった。

【PRイベントの仕掛け】
望月:PRという点で言うと、2000年から2001年にかけてミレニアム企画をやろうということで大塚製薬の「オロナミンC」のキャンペーンで「21世紀の石原裕次郎を探せ!」という企画をやったのが印象に残ってる。グランプリに輝いたのは徳重聡さんだったんだけれど、この企画はイベントで。
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普通、イベントはその場に来ている人達にプロモーションするという考え方で作るものなんだけれど、当時はそれが効率が悪いということで企業が次々とイベントを辞めている時期だったんだよね。そこでこのイベントはただのイベントじゃなくて「PRイベント」として、やることなすこと全てがメディアに載るような仕組みを作ったんだ。例えばこのイベントでは、まず賞金を1億円に設定した。それから自薦を禁止して他薦のみにして、他薦した人にも500万円あげた。

河村:それはすごいですね!

望月:当時はいまみたいにtwitterとか無いから、とにかくクチコミで広めるしかなかったんだよね。それから、審査員を全員メディアを持っている人達にした。テリー伊藤さんとかビートたけしさんとか。あと、審査の途中に石原都知事を絡ませたりお坊さんに出てきてもらったりとか(笑)。とにかく絵になることをした。そうして最後はゴールデンタイムに2時間の特別番組を組んだ。そういう一大キャンペーンだったんだ。やっていく中で印象に残ったのは、石原プロの小林プロデューサーという一生に一度出会うか出会わないかの辣腕プロデューサーに出会えたことかな。

【クリエイターと組んで感じたこと】
進藤:電通でPR以外に手掛けた仕事はありますか?

望月:段々電通もPRの仕事が無くなっていって、マーケティングと統合されるようになっていったんだよね。そこで僕は初めて一流のクリエイティブディレクターの人と組んで本流の広告の仕事をするようになったんだけど、逆に仕事の幅が狭くなったように感じた。マーケティングの仕事がクリエイターを立てるためのものだったりとかして。実際、周りが凄い人ばかりだったからどんどん仕事の幅が狭くなってしまって、それが悔しかったんだよね。
一つだけ僕がクリエイティブディレクターになれた仕事が「エアバス」っていうヨーロッパの航空機メーカーの仕事で。日経新聞を中心にしたキャンペーンを組んだんだけど、それは凄く印象的だったね。
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たまたまその場にクリエイティブディレクターをやる人が居なくて、僕がやりますといってやったんだけど、やっぱりキャンペーンを組み立てられてその絵までイメージ出来るというのはやりがいがあったね。あと、何より直接フランスまで行ってプレゼン出来たというのが楽しかった(笑)。

【楽曲紹介2】
望月:この番組をやっている間に起きた大きな出来事として3.11がありました。「この番組を続けられるのだろうか」ということも頭をよぎったんですけど、その時に作った僕のオリジナル曲を聞いてください。

#2 望月衛介「PRAY FOR JAPAN」


【ドネーションミュージックについて】
進藤:電通を退社後、望月さんの生活は変わりましたか?

望月:そんなに変わって無いのかもしれない。ただ、気持ちが全然違うよね。先ほど話したように、有名なクリエイティブディレクターの人と組んで仕事をした時に中々自分のペースで仕事が出来ない悔しさがあったんだけれど、自分で独立して仕事をするようになってからは無駄な時間が一秒も無いと思えるようになった。自分でやることは全部自分の責任。それが今の僕には合ってる感じがするね。

進藤:望月さんはドネーションミュージックを設立され、活動されていますがその中で印象に残ったことはありますか?

望月:ドネーションミュージックは僕が様々な企業と関わりをしていく中で、企業とコラボレーションした社会貢献活動が出来ればいいなと思って始めたんだ。
例えばACジャパンのコマーシャル。震災後に沢山流れたと思うんだけど、その中の「国境なき医師団」のCMを手掛けた時、CMの音楽がただ流れて終わりじゃなくてそこからさらに社会貢献に結び付いていったらいいなと思ったんだ。

そこで僕がプロデュースするbleurというグループで曲を作って配信して、その収益を全額「BEYOND THE BORDER PROJECT」という名称で国境なき医師団に寄付した。色々なアーティストとコラボレーションしていく中で、この活動はすごく可能性があるし、今っぽいと思って形にしたのがドネーションミュージック。
草花木果というブランドとコラボレーションしたり、内閣府の自殺防止キャンペーンとコラボレーションしたりして活動が広がって来ているんだけど、やはり震災後皆の意識が変わってきたよね。助け合わないといけないという気持ちというか。就職した時も「日本を良くしたい」という気持ちを持っていたし、辞めた後もきっかけをもらってそういった活動をつづけられているのは幸せだなと思う。

【ネクスト・ジェネレーションへ】
河村:望月さんの活動は、音楽の力で日本を良くしていくという感じでしょうか。

望月:やっぱり音楽だけだと中々広がりづらいから、そこに何らかの社会的な仕組みを付加させるという感じかな。「音楽と広告」というのは半ば無理やり繋げたようなタイトルなんだけど、僕はそれをこれまでの経験の中で繋げてくることが出来た。そういった特殊なキャリアをこれからも活かしていくことが出来ればいいなと思うね。

河村:音楽の力だけでなく、それを広げて行く仕組みも同時に考えようとされているところが望月さんらしいなと感じます。

望月:アーティストも今後就職していく皆も、どんどん色々な事を考えられる時代になったと思うんだ。インターネットの力は大きいし、発信していくことが出来るし、もしかしたら話題だって作れる。そういったことをどん欲に取り入れながら物事を考えていく。それがネクスト・ジェネレーションだと思う。アーティストはどんどんそうなっていくと思うし、曲だけ作ればいいという時代では無くなってきたと思う。
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二足のわらじ、三足のわらじが当たり前の時代が来るかもしれない。この前も電通に行った時に、バンドでプロデビューしてる若いクリエイターに会って。それが今っぽいと思ったし、そういう時代になってきた感じがするね。やっぱり思いや情熱は大切だよ。諦めちゃいけない。成功するまでやる。最初の一歩や二歩は先が見えないし、諦めがちなんだけど、確実にそれが実になっていく。この番組も最初は手探りだったけど続けてこられたし、学生たちも育ってきたしね(笑)。

河村:育っていたら良いんですけど(笑)。

望月:良い番組を続けてくることが出来て良かったなと思います。時間も押し迫ってきましたが、最終回は私がゲストということで、どうでしたか?

進藤:本当に良い緊張感の中で続けてくることが出来ました。こんな経験はもう一生出来ないと思いますし、楽しかったです。ありがとうございました。

河村:始まる前からすごく緊張していたんですけど、ラジオに出るという貴重な経験をさせてもらうことが出来て良かったです。ありがとうございました。

望月:またどこかでコラボレーション出来ると良いですね。今日はありがとうございました。

進藤・河村:ありがとうございました。

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