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大鶴義丹 (映画監督)

【劇団というコミューン】
望月:大鶴さんのお父様は俳優の唐十郎さんですよね。正に俳優一家ですね。

大鶴:父も母も劇団をやっていて、家と稽古場が一緒だったんですよ。俳優というと映画スターのようなイメージを持つ方が多いのですが、そういう感じではなかったですね。だから俳優一家というよりも、家が劇団だったという方が正しい表現かもしれないですね。
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望月:劇団というのは、やはり特殊な環境なのですか?

大鶴:劇団には作品よりも先に、まず「劇団」という生活環境があるんですよ。

望月:するとそこに色々な人間模様が繰り広げられるんですね。

大鶴:そうですね。だから、作品よりも先に「劇団」というものがあるんです。

望月:そうなると、劇団員はまずそこに入っていけないと一緒に劇が出来ないですよね。

大鶴:ええ。劇団は一種のコミューンなんですよ。

望月:大鶴さんは小さな頃からそういった環境に身を置いていたわけですよね。

大鶴:家が稽古場だったので、根津甚八さんや小林薫さん、佐野史郎さんといった方々が普通に来てましたね。

#根津甚八
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#小林薫
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#佐野史郎
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【俳優デビュー】
望月:ご両親は義丹さんを俳優にするべく、劇団に入るように言ったりはしましたか?

大鶴:それは全く無いです。僕のデビューは中学三年生から高校一年生の頃で、NHKの「安寿子の靴」というスペシャルドラマでした。
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望月:デビューのきっかけは何かの繋がりだったのですか?

大鶴:父親が脚本を担当していて、プロデューサーさんに声を掛けて頂きました。「やるか?」と言われたので「やる」と答えて。思いっきり七光りですね(笑)。

望月:実際、やってみてどうでしたか?

大鶴:演技をやるまでは、僕はずっと車や機械が好きでエンジニアになりたかったんですよ。理数系も嫌いでは無かったですし、将来は自動車メーカーに入ってレーシングマシンのデザインなんかをやりたいなという風に思ったんです。
でも実際に演技をやってみたら「ああ、自分は演技をやる運命だったんだな」と思いましたね。レーシングマシンのデザイナーは勘違いだったなと(笑)。それぐらい演技は、自分にビシッとはまりました。

望月:これは天職だと。

大鶴:安心すると同時に、不思議な諦めがありました。自分は劇団の子であっても、そういった事は関係なく理数系に進んで、将来はエンジニアになって、それこそNASAに入って人工衛星をやるんだと夢見たりしていたんですけど、やっぱりそれはあくまで夢だったんだと思いました。劇団の子には劇団しかないんだと思いましたね。

望月:演技は楽しかったですか?

大鶴:父のやる演技はテントの芝居だったのですが、自分は見ているだけでそこには出れなくて、疎外感を感じたりもしていたんです。だから、初めて自分が主役で正面に出れた時に「この時のために自分は居たんだ」と思いましたね。

望月:そうしてデビューされて以来、学校に通いながら俳優業をお続けになっていたのですか?

大鶴:あまりにも自分に演技がビシッと合ってしまった反動で、実は入ったばかりの高校を辞めてしまったんですよ。細かく話すと長くなるので割愛しますが(笑)。そうして、和光大学の付属高校に入り直したんです。そこは自分に合ったのでしっかりと卒業して、夏休みの間にドラマに出たりしていましたね。

【「生意気」だった若手時代】
望月:大学に入ってからも同じように俳優のお仕事をされていたのですか?

大鶴:僕が大学に通っていた頃、世の中に「二世ブーム」のようなものがあったんですよ。そこに僕も混じって映画に出たりしていました。あと、高校の頃から自主映画を作ったり脚本を書いたりするのが好きで。そんな中、書いた小説が大学二年の時にすばる文学賞という賞を頂きまして、小説家としてもデビューしました。

望月:小説はいきなり書いてみようと思い立ち、書いたものだったんですか?

大鶴:高校の頃から小説は書いていましたし、大学が日芸の文芸学科だったんですよ。だから小説にはよく触れていましたし、同人誌を作ったりもしていましたね。

望月:すると俳優をされながらも、また別の仕事にも興味をお持ちだったんですね。

大鶴:20歳ぐらいの頃に、インタビューで「俳優も良いですけど、文章を書いたり、映画を作ったりもしてみたいんですよね」というような事を言ったら「こいつ頭大丈夫か」というような物凄い扱いを受けたんですよ。マネージャーにも「そんな事言ったら生意気だと思われるから駄目だよ。ドラマ頑張ります!って言っておけばいいんだから」と言われて。「何でだろう。俺は文章も書きたいし、映画も作りたいんだけどな」と心の中で思ってましたね。

望月:そういう時代だったんですかね。

大鶴:まあ今から思えば自分でも生意気だったと思いますけどね。20歳の奴にそんな事言われたら相手は嫌だったと思います(笑)。でも22歳で文学賞を貰う事が出来て、そういった事がやりやすくなったというのはあります。「言った通りだろう?」と。賞がある種のライセンスにはなりましたね。

【映画監督デビュー】
望月:大鶴さんは「となりのボブ・マーリィ」という作品で、発言通りに監督としてもデビューされていますね。これはどのようなきっかけだったのでしょうか。

#となりのボブ・マーリィ
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大鶴:ずっと映画を作りたいという気持ちがあって、その前から色々やっていたんです。そしてこの頃はレゲエが流行り出した頃だったんですよね。レゲエイベントが始まったりして、「レゲエが来る!」と思いまして。
僕は危ないかもしれないですけど、一度そうだと思い込んだら取り憑かれてしまう性質なんですよ。だから「レゲエ音楽を使った映画を作ろう」と思ったんです。幸い制作に協力してくれる方も現れて、低予算ではあったのですが、作品をパルコで上映する事も出来ました。

【楽曲紹介1】
望月:このあたりで一曲ご紹介頂けますか?

大鶴:やはり80年代を生きた世代としては、当時のプログレには燃えるものがありまして。TOTOの「Africa」を選んでみました。

#1 TOTO「Africa」


【不思議なものへの興味】
望月:大鶴さんと映画の元々の出会いはどのようなものだったんですか?

大鶴:父と映画を見に行った記憶が多いですね。父は子どもに合わせようとしない人間で、小学生が好きそうな映画なんかは見に行ってくれないんですよ。小学生に分かるわけがないのに、「地獄の黙示録」とか見に行こうとして(笑)。

望月:小学生に「地獄の黙示録」は辛いですね(笑)。
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大鶴:父は文化的な星一徹みたいなところがあって、「この映画が分からないようでは、俺の演技は分からない」とか言うんですよ。ちゃんと理解しないと怒られると思って、「地獄の黙示録」を一生懸命見た覚えがありますね。

#地獄の黙示録
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一緒に後楽園に行った時も、こっちとしては一緒に仮面ライダーショーを見たいのに、父はアングラ劇団のカリスマのような人だったので「仮面ライダーショーになんて足を踏み入れるわけにはいかない。一人で見てきなさい」と言われて(笑)。その時は一人寂しく仮面ライダーショーを見ましたね。

望月:大鶴さんはどんな作品が好きでしたか?

大鶴:やっぱり男っぽいものが好きでしたね。SFとか暗くて不思議な感じのサスペンスとか。

望月:任侠ものなんかはどうでしたか?

大鶴:任侠ものはあまり好きじゃなかったです。ミステリー感があるものが好きですね。不思議なものやよく分からない四次元的なものがすごく昔から好きなんですよ。
両親の劇団は上野の不忍池や新宿の花園神社の横にテントを立てて芝居をやっていたんですね。だから親が芝居をやっている間、僕は神社の境内で一人遊びをしながら待つ事が多かったんです。神社の境内の暗闇と劇団のテントの明るさが入り混じる不思議な場所で一人遊びをしていた経験というのは、僕にとってある種のトラウマで。そういった経験があるからか、不思議なものには惹かれるんですよね。怖いと思うよりも、より首を突っ込んでみたくなるんです。

望月:大鶴さんの「私のなかの8ミリ」という作品には、僕も音楽で参加させて頂いてまして。あれも少し不思議な感じの作品ですよね。
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大鶴:「私のなかの8ミリ」は女の子が死んだ彼氏の亡霊と一緒にバイクで旅をするロードムービーでして。それが果たして本物の亡霊なのか、それとも彼女の心の中の映像なのかというのは答えを出していなくて、どっちとも受け取ることのできる作りにしてます。
あの時は映像にばっちりと合う音楽を作って頂いて、ありがとうございました(笑)。ちょっと泣きの入った音楽なんですけど、、好きだって言ってくれる女の子が多いですよ。

望月:いえいえ、とんでもないです(笑)。

【苦悩の時期】
望月:最初の監督作品から「私のなかの8ミリ」まで、14年間空いてますが、その間は構想を練ったりされていたのですか?

大鶴:その間に、色々企画がぽしゃってるんですよ。まず「オキナワガール」という自分の小説の映画化が、脚本まで書いたんですけどぎりぎりでぽしゃってしまって。あとそれとはまた別に沖縄ものをもう一本考えていたんですけど、そちらも飛んでしまって。そうこうしているうちに結局3本ぐらい飛んでます。
当時は30代前半だったんですけど、空回りしてましたね。30代前半は男は辛いですね。若さは失われ、かといってオヤジ的な狡猾さも無く。難しい時期でした。

望月:「私のなかの8ミリ」を公開後、立て続けに「ブレーキ」という作品を手掛けていらっしゃいますね。こちらは原作は別の方だそうですね。
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大鶴:原作は「リアル鬼ごっこ」の山田悠介さんの作品です。アクションホラーものですね。

望月:そして、現在地方で上映中の「前橋ヴィジュアル系」という作品も監督されていますね。

大鶴:この作品は東京では9月に公開予定です。ジャニーズの風間俊介君が主演で、地方の農家の長男た
ちがやっているビジュアル系バンドの青春群像でして。中々バンドが売れない一方、農家の長男としての悩みもあるという(笑)。

【制作のモチベーション】
望月:大鶴さんにとって映画を作る最大のモチベーションは何ですか?

大鶴:僕は駆け出しなんで映画というものを上手く定義は出来ないんですけど、全ての人にとって、映画はチャンスがあったら作るべきものだと思ってます。仕事とか芸術とかを超えて、作ったら面白いものと言いますか。映画って、自分の持ってる感情やエネルギーをそのまま転換出来るものなんですよ。ピアノやダンスって5歳からやってなかったらダメだとか、ある種のテクニックが必要ですよね。
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でも映画は総合芸術で色々な人が関わってくるもので、その集団を突き動かすエネルギーがあれば作れるものだと思うんです。例えば映画とは全然関係ない飲食店のオーナーの人が「自分のチェーンの話を撮りたい!」と言いだしたとしても、その気持ちが強ければ作れると思うんです。僕の場合は大監督の下で助監督を20年勤めあげたというような事は全然無いんです。
ただ振り返ると、自分の場合は両親が劇団をやっていて、それを傍から見ていてというようにずっと芝居しか見てこなかったなという思いがあって。そうして見てきたものを外に出したいんでしょうね。小説やドラマも外に出す作業ではあるんですけど、それだけじゃ出しきれないんですよ。

望月:映画はそれだけの熱量があるんでしょうか。

大鶴:やっぱり出しきれますね。「よーいスタート」ってカメラを回す作業って、映画を作る上で本当に最後の方の工程であって、それ以前にまずスポンサーを探すところから始めないといけないんですよね。

望月:お金を出してくれる人を探さないといけないですからね。スポンサーって「映画を作りたい」という気持ちを強く持っていれば、見つかるものですか?

大鶴:見つかる事もあるし、見つからない事もあるので難しいところです。タイミングもありますよね。ただ、結局最後はしつこさと情熱ですよ。40代になってから、僕はしつこくなったんですよ。何言われてもあまり傷つかないし、基本自分の言う事しか聞かないです(笑)。

望月:何をするにしても、しつこさと情熱は大事ですよね。

大鶴:本当にそう思います。

【楽曲紹介2】
望月:このあたりでもう一曲ご紹介頂けますか?

大鶴:またまた80’sのプログレでJourneyの「Don’t Stop Believin’」を。最近「glee/グリー」というアメリカのドラマで使用されたりして、再ブレイクしている曲です。

#2 Journey「Don’t Stop Believin’」


【新作について】
望月:大鶴さんは現在、また新しい映画を撮影中だそうですね。これはどのような話ですか?

大鶴:「キリン」という東本昌平さんの大ヒットバイク漫画が原作で、レーサーの男の孤独なダンディズムを描いた男っぽい話です。

望月:主演はどなたですか?

大鶴:真木蔵人くんです。今回は肝いりでお願いしまして、個人的にはドンピシャのキャスティングではないかなと。女性の方は知らないかも知れませんが、オートバイに乗る男性にとっては「キリン」といったら知らない人はいないぐらいの作品でして。
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#真木蔵人
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この作品はアクションは勿論なんですけど、アラフォーの男たちの悲しい話でもあるんですね。だからキャスティングですごく迷ったんですけど、真木蔵人くんがやってくれるという事で、これはばっちりだろうと。思いっきり男の映画ですよ。

望月:これは楽しみですね。公開はいつ頃ですか?

大鶴:秋ですね。10月か9月の終わりかというところで調整中です。

【「家族」というテーマ】
望月:義丹さんは今後、どんな映画を撮ってみたいとお思いですか?

大鶴:これまで色々な映画を撮ってきましたが、僕の中では今回の「キリン」で第一ラウンド終了というような感じがしていて。次はもう一度自分で作りたいものをしっかりと見直して作ろうと思っているんです。僕が一番興味のあるテーマは「家族」なんですよ。

望月:家族ですか!

大鶴:「家族」と言っても僕が作るものなので、のほほんとした郊外のベッドタウンの幸せな家族ものではないですよ(笑)家族って本当は凄く残酷なもののはずなんですよ。愛情と残酷さが表裏一体で背中合わせになっているというか。そういう部分にこそ本当の家族の姿があるんじゃないかと思うんですよ。

望月:幸せそうにしてても、その裏には隠された素顔が……。

大鶴:そういうのも有りですよね(笑)。あと、家族と言ってもお父さん、お母さん、子どもって形には限らないと思うんですよ。例えば行き場の無い二人が出会った時、それもまた家族の形ではないかと。他にも早くに家族を失ってしまって家族を知らない人達が集まった時には、また別の家族の形がそこにはあるんじゃないかと思うんです。
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僕の「家族」の見方ってそういうもので、ありがちな「家族愛」みたいなものではないんですよ。逆に家族の「残酷さ」を描く事で、また別の家族愛のようなものが見えてくるんじゃないかと。また、次の作品では主人公の年齢を一気に上げようと思っているんです。年齢層の高い人達が集まって、もう一回家族を作る。そういった話を作ろうと、脚本を書いている最中です。

望月:ご自身の人生経験も反映したような話になるのでしょうか?

大鶴:僕自身も「家族」ってものがよく分からないんですよ。両親は劇団をやってましたし、僕も家族を途中でドロップアウトしてしまったので。きっと「家族」ってどういうものなのか、答えを探してるんでしょうね。ただ、現在は結婚していない人も増えてますし、家族像が変わって来てるじゃないですか。そういう人達がやがて60代、70代になってまた集まり始めた時、新しい家族の姿が出来てくるんじゃないかなと思ってます。

望月:義丹さんが描く家族像、期待してます。

大鶴:改めて言いますけど、決して郊外のベッドタウンの幸せな家族ののほほんとした話では無いですからね(笑)

望月:これからも素敵な作品を作り続けてください。本日のツタワリストは映画監督の大鶴義丹さんでした。ありがとうございました。

大鶴:ありがとうございました。また音楽の方、よろしくお願いします。

望月:了解しました(笑)

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