Interview_hosogane of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

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細金正隆 (クリエイティブ・ディレクター)

【電通入社のきっかけ】
望月:細金さんは学生の頃から広告に興味がお有りだったのですか?

細金:広告にはそれほど興味は無かったです。ただ、映像や音、コンピューターなどの機械いじりには興味がありましたね。
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望月:するとエンタテイメント業界に行きたかったのですか?

細金:そうですね。特に音楽を軸に何かものを作れるような仕事がしたいと思っていました。

望月:電通を受けられる際にも、クリエイティブに入りたいと考えていたのですか?

細金:実は電通の事は良く分かってはいませんでした。とりあえず「色々な事が出来る会社だ」という事を聞いていたので、トライしてみたという感じで。だから当時は、広告の予備知識というのは全くなかったですね。

【バブル時代の広告スポット販売】
望月:電通入社後は2年間、ラジオ・テレビ局に配属になったそうですね。

細金:ラジオ・テレビ局というのはテレビのスポットを売る部署で、広告代理店の収益の根幹を成す大事な部署なのですが、これが想像以上に大変でした。残業がとにかく多かったですし、仕事そのものも言い方は悪いですが単調で……。

望月:1981年当時というのは、日本がバブルに差し掛かる時期ですよね。

細金:当時は景気がよかったので、広告スポットを売っても売っても、次から次へとオーダーが来ました。仕事がとにかく多くて、月に残業が160時間以上という時もありましたね。

望月:そこからさらに夜遊びなんて事もあったのでは?(笑)

細金:1時2時になってから、深夜の街に繰り出したりもしましたね。翌朝は9時には出社しなくてはいけないのに(笑)。

望月:それはそれで良い時代という気もしますね(笑)

細金:面白い時代ではあったと思いますね。毎日が派手でしたし。

【クリエイティブへの転局】
望月:2年間のラジオ・テレビ局勤務を経て、その後はクリエイティブに移られたんですね。

細金:同じ仕事を2年間続けていると、流石に「これで良いのかな」という気持ちが湧いてきたんですね。そこで、社内のクリエイティブ転局試験に応募してみたところ、何とか合格する事が出来たんです。

望月:クリエイティブに移られた最初の印象はどのようなものでしたか?

細金:クリエイティブは「華やかな部署」というイメージがあったんです。派手にCMを作り、毎晩のようにタレントさんとカクテルを飲んでいるんじゃないかとか(笑)
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望月:ははは(笑)

細金:ところが実際に入ってみたら、すごく地味な部署で(笑)。皆、新聞に載るコピーをじくじくと考えたりしていました。皆、真面目でしたし、決して嫌いな空気では無いのですが、派手かと言われるとそうでは無かったですね。

望月:クリエイティブの人は真面目なんですね。

細金:真面目ですね。やはり自分の考えた事をアウトプット出来るという喜びが大きいのだと思います。

望月:先輩は厳しかったですか?

細金:厳しかったです。私の付いた先輩はコピーライターの方だったのですが、すぐに怒る人で、灰皿がしょっちゅう飛んできました。

望月:「お前のアイデアはつまらない!」という感じで怒るんですか?

細金:勿論、そういう事にもうるさかったですが、それ以上にもっと基本的な、社会的な所作の細かいところにうるさい人でしたね。とにかく、何でもかんでもうるさかったです(笑)。

望月:その頃に手掛けられていたクライアントはどういった企業でしたか?

細金:我々の居た部署は少し特殊な環境で、電通のメインのクライアントとは競合になるクライアントを担当していました。エアラインだと全日空さん、ウイスキーですとニッカウイスキーさん、車でしたら日産さんといった具合に「二番手」の企業の広告を扱っていたんです。皆、チャレンジャー精神が旺盛だったので、仕事はすごく面白かったですね。

望月:具体的にはどういったお仕事をされたのですか?

細金:そもそもはコピーライターの仕事をするように上司には言われていたのですが、実際に最初に来た仕事は、ニッカウイスキーさんと共に若者向けのウイスキーを作るという商品開発の仕事でした。

望月:ウイスキーというと、どうしても「おじさま」が飲むようなイメージが強かったですよね。

細金:必ずデコラティブなボトルに入って売られている、すごく重厚長大なお酒でしたよね。そこで商品開発にあたっては「どういったお酒だったら、若い人が買ってくれるだろう」という事を素直に考えて、提案するという事をしました。

望月:実際に商品化はされたのですか?

細金:「ピュアモルト」という名前で商品化されました。実験室にあるような瓶にシンプルなコルクの栓というたたずまいで、箱もクラフト紙のような質感のものにしました。佐藤卓という、すごく有名になったデザイナーと一緒に考えて作りました。

#ビュアモルト
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望月:やはり商品はヒットしましたか?

細金:ヒットしました。「ピュアモルト」は、当時のウイスキーに対するイメージを大きく変える事が出来たのではないかなと思いますね。僕のクリエイティブに入って、最初の成功体験は「ピュアモルト」でした。

【日本初の企業サイトの立ち上げ】
望月:細金さんは現在デジタル領域でご活躍ですが、元々からパソコンはよく使っていたのですか?

細金:学生時代にはパンチカードで穴をあけて読みこむような汎用コンピューターに触ったりしていましたね。ただ、もっとしっかりとしたパソコンが欲しいと思っていたので海外ロケに行った時に現地でマッキントッシュを買い、日本に持ち帰って使っていました。

望月:当時のマッキントッシュは高かったのでは?

細金:40万円ぐらいしましたね。それから、ハードディスクが20万円ぐらいしました。ただ、それでも日本で買うのに比べたら半額でした。

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望月:半額でも相当高いですね(笑)。

細金:容量なんて40MBしか無かったんですけどね。メガですよ?(笑)

望月:ははは(笑)

細金:そうして現地で買ったマッキントッシュをトランクに入れられないので大事に膝に抱えて日本に持ち帰って、日本語環境が無かったので直して、音楽ソフトで遊んだりしていましたね。

望月:当時のパソコン通信を使ったりはしましたか?

細金:使ってました。後は、まだモノクロでしたが面白いソフトがいっぱい出てきていたので、そういうソフトを使って遊んだりもしましたね。

望月:その後、電通でインターネット関係の仕事を手掛けるようになる訳ですよね。そのきっかけはどのようなものだったのですか?

細金:元々社内にもインターネット仲間は何人か居たのですが、それが仕事に繋がる事は中々無かったんですよね。ところがある日、トヨタさんから「日本で初の企業サイトを作りたい」というお話があったんです。話を聞いてみると、トヨタさんは「モーターショーまでにサイトを作りたい」という事で。
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ところが当時はまだインターネットが一般的なものでは無かったので、個人レベルでは多少なりともパソコンをいじった事があっても、ちゃんとした企業サイトの作り方というのは誰も分かっていなかったんです(笑)。だから、電通にとってトヨタの企業サイトを作るというのは結構大きなプロジェクトだったんですよね。そこで、電通中の“インターネットが分かりそうな奴”が集められたんです。そこに当時コピーライターだった僕も「パソコンに強そうだから」と呼ばれたのが最初ですね。

望月:完全な社内横断プロジェクトですね。細金さんも実際に制作に参加したのですか?

細金:参加しました。文章を書いたら即ftpでサーバーにアップロードして、チェックして、の繰り返しでしたね。開設前の最後の2日間はほぼ徹夜で。だから、サイトが無事立ち上がった時は嬉しかったですね。

望月:日本初の企業サイトの開設というのは、ある意味では日本のインターネットが本格的に立ち上がる
瞬間だったとも言えるかもしれませんね。

【楽曲紹介1】
望月:このあたりで「思い出のCMソング」をご紹介頂けますか?

細金:フランク・シナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」という曲を。ちょうど全日空さんの国際線の就航が決まったバブルの時期に、コピーライターとしてキャンペーンに関わらせて頂いた事がありました。国際線はパリとニューヨークへの就航が決まっていて、ビジネスクラスも新しいものを作るとの事でした。そうなると、キャンペーンにあたっては相当に国際線のクオリティを感じさせるタレントさんが必要なのではないかという事になり、企画会議の場で上がった名前がフランク・シナトラでした。

#フランク・シナトラ
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そうして企画が決まり、実際の撮影はハリウッドのスタジオにシナトラさんを呼んで行いました。やはりフランク・シナトラさんは物凄くプロフェッショナルな方でしたね。撮影はなるべく短時間で済ませなくてはいけないという事で、ムービーとスチールの撮影を流れ作業で行う事になったのですが、シナトラさんは「俺は自分がその時どういう顔をしていて、どういう事を喋ったのか全部分かっているし、一発でOKを出せる。だから、撮影するお前も一発でOKを出せ」と言ったんです。流石にこれにはびびりました(笑)。
実際の撮影は1カットという訳にはいかないので数カット撮ったのですが、こちらが「もっと撮りたい」と言うと、彼は「もう(良い物が)撮れている」と言うんですね。そこで撮った写真を見てみると、確かにベストな顔が撮れているんです。だから本当に撮影は数カットだけで、すぐに撮影を終えると、彼はささっと去っていきました。

#1 フランク・シナトラ「ニューヨーク・ニューヨーク」


【インタラクティブ・ソリューション・センターの設立】
望月:細金さんは1995年にトヨタの企業サイトを立ち上げられた後、インタラクティブの世界に足を踏み入れられていく訳ですが、電通の社内にそういった事を手掛けるセクションが新しく出来たりはしたのですか?

細金:テレビなどの4マス以外のコミュニケーションを手掛けるインタラクティブ・ソリューション・センターというものが社内に設立され、私はそこに初期メンバーとして加わりました。

望月:4マス以外のコミュニケーションと言うと、インターネットの他に挙げられるものは何ですか?

細金:PR(プロモーション)などが挙げられますね。番組制作のような事も手掛ける内容には含まれていました。とにかくありとあらゆる事をやっていこうというセクションでしたね。

望月:新しくセクションが出来た事で、細金さんはクリエイティブから離れ、インタラクティブ領域に専念していく事になる訳ですね。

細金:そうですね。当時はインターネットに限らず色々な新しい事が出来るという事で凄くわくわくした気持ちでいました。

望月:クリエイティブを離れるときは、随分豪華なお見送りがあったという話も聞きましたが?(笑)

細金:そうなんですよ。送別会をしてくれると言うので行ってみたら、意外なほど人が集まっていてびっくりして(笑)。写真アルバムや色紙や花束が用意されていて、「どういう事なんだろう?」とちょっと戸惑うぐらいでしたね。“クリエイティブ”という村から居なくなる事を寂しがってくれているのか、はたまた「可哀そう」と思われていたのか。
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望月:当時はインターネットにまだあまり理解が無い時代でしたし、インターネット上の表現も4マスで行われている事をインターネットに置き換えただけというものがほとんどでしたよね。周りからしてみたら、その時の細金さんは寂しい場所に行ってしまったように映ってしまったのかもしれませんね。

細金:そうだったのかもしれないですね。ただ、僕からしてみるとインターネットは自分で考えたものを世界中に発信できる類稀なメディアで、これを企業活動にも利用できるとなると色々な事が変わるのではないかと薄々予感させるものだったんです。

望月:ただ、当然最初は手探りだったのでは?

細金:恥ずかしい話ですが、ファイル転送一つちゃんと出来た訳ではありませんでしたし、ウェブサイトを作る事は出来ても、ディレクションの部分となると何をしたらいいのか分からなかったです。プロダクションとの繋がりは当時既にあったのですが、互いにカルチャーが違いますし、どういう風に指示を出したらどういう風に動いてくれるのか、意志の疎通に困りましたね。

【ネットメディアとクリエイティブの関係】
望月:セクションではインターネットのメディアは扱ってはいたのですか?

細金:元々が特にクリエイティブを中心とするソリューションを手掛けるセクションだったので、メディアは扱っていませんでした。ただ、徐々にインターネットメディアの人間やマーケティングの人間が加わるようになり、大所帯のセクションとなっていきました。

望月:やはりインターネットのメディアは、既存のメディアと勝手が違うと感じましたか?

細金:そもそもクリエイティブの人間がメディアの人間と接触しながら仕事をするという事自体が初めての経験でした。元々、私はスポットを担当していたので多少なりとも勝手が分かったのですが、やはりカルチャーが違いますし、まったく初めての経験でしたね。

望月:やはりインターネットのメディアとクリエイティブというのは密接な関係にありますよね。

細金:密接ですし、密接にしないといけないと思います。そうでないと中々新しい事が出来ないですから。特にその頃というのは、せいぜい作れるものといったらウェブサイトとバナー程度のもので、あまり表現力はありませんでした。ですから、新しい事をしようと思ったら、メディアと密接に組まない事には面白い事が出来なかったんです。皆、トライアンドエラーを繰り返しながら、そういった事にチャレンジしていましたね。

【シームレスな環境におけるクリエイティブ】
望月:インタラクティブ・ソリューション・センターは、現在はコミュニケーション・デザイン・センターという名前に変わっていますが、当時と比べてどういった変化があるのでしょうか?

細金:コミュニケーション・デザイン・センターは、色々なクライアントさんに横断的に携わるクリエイティブ・ディレクターの集団なのですが、コミュニケーション・デザインという名前が示すとおり、マス広告、マス・クリエイティブだけに限らず統合的なコミュニケーションを作っていかないといけないという事で活動しています。コミュニケーション・デザイン・センターの中にはトラディショナルなクリエイティブをやる人間と、我々にようにインタラクティブ領域を手掛ける人間と、ビジネス開発を行う人間が混在していて、コラボレーションしながら事業を推し進めています。

望月:かなりシームレスな環境なのですね。

細金:なるべくシームレスでありたいと思っていて、そのために色々なトライをしています。

望月:いまの時代、広告を打つ際に「CMだけでお願いします」というクライアントは皆無ですよね。

細金:正にその通りで、インタラクティブな発想を持った人間が居ないと、そもそもキャンペーン自体が組み立てられないという時代になってきています。だからこそ、同じセクションに色々な人間が混在している事で、スピーディーにアイデアを出せる環境が作れているのではないかと思いますね。ただ、まだまだトラディショナルなクリエイティブな人間とデジタル言語を扱う人間との間で意思の疎通が合わなかったりすることもありますね。

望月:最近では、JR九州のキャンペーンを手掛けられたそうですね。

#JR九州キャンペーン


細金:JR九州のキャンペーンは参加者をソーシャルメディアで募るという仕組みの部分の設計から行い、実際の映像に落とし込んだものでした。インタラクティブの人間とトラディショナルなCMプランナーが一緒に手掛けたからこそ出来たキャンペーンではないかと思いますね。

【楽曲紹介2】
望月:このあたりでもう一曲ご紹介頂けますか?

細金:「Zombies On Your Lawn」という曲を。この曲はゲームのエンディングの曲で、個人的な好みで選んでしまったのですが……(笑)。最近はコミュニケーションにゲーム的な感覚を導入できないかなと思っていまして、色々開拓しているんです。「ゲームフィケーション」という考え方が近ごろ広まっているのですが、ゲームはハマったら繰り返し何度も何度も接触するので、学習や疑似体験に非常に向いていると思うんですよ。ゲームの要素を広告に取り入れる事が出来たら、ブランドエンゲージメントを高める事が出来るのではないかと実は思っていて。だから、最近はよくカジュアルゲームを触っているのですが、その中で一番ハマってしまったのが、ゾンビと植物が戦うというゲームでして(笑)。別に大したゲームじゃないんですけど、何故かやってしまうんですよ。そうして最後までやると、これからかけていただく曲が流れるんですね。

#2 「Zombies On Your Lawn」


望月:こういったゲームは近ごろ、無料のものも有料のものも沢山リリースされていますね。

細金:有料のものと、無料で出して広告で儲けるという仕組みのものがありますね。

望月:果たしてそれで儲かるのでしょうか?

細金:儲かるものは儲かりますが、そういったゲームはレアですね。ただ、一度当てると世界中何百万人という人間がそれを触りに来る訳ですよね。やはりそこに広告を載せるというのは巨大な媒体になり得ます。

【広告会社のビジネスモデルの変化】
望月:従来の広告会社のビジネスモデルというのは4マスを中心とするメディアバイイングとそこから発生するコミッション、付帯するサービスが収益源だった訳ですが、いま細金さんが行われているインターネット領域のビジネス開発というのは全く違う発想ですよね。

細金:広告市場の見通しは、従来の広告の範疇で考えると明るい物ではないと思います。そこで何とかメディアに頼った収益構造から脱却できないかと試行錯誤しているのが現状です。そうして今は広告で培われたソリューション力を他の領域に活かせないかと模索しています。例えばビジネス開発やクライアントさんと行うサービス開発に、アイデアや着地する力というのを展開していきたいと思っています。

望月:ネットのキャンペーンにおいては従来型の広告キャンペーンに比べて、コミッションが少ないといった事があると思います。その場合、他の収益源としてまず考えられるのはフィーだと思うのですが、現在、広告会社は十分にフィーを取る事は出来ているのでしょうか?
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細金:コミッションを頂いているクライアントさんに対して提供するソリューションに関しては、限りな
くフィーは取れていないですね。ただ、最近はフィーを取るという努力をしています。実際にクライアントさんにお願いしてみると、取れる事も多いという事が分かって来ていて、今はそれを積み上げている最中です。ただ、フィーを積み上げたとして、それがメディアのコミッションに代わるものになるかどうかというと少し怪しいですね。

望月:でも、そういう風に変わっていかないといけない訳ですよね?

細金:海外の企業にはフィー制度に移行しているところも多くあります。構造を変えていかないといけないし、変えざるを得ないという事もあると思います。ただ、今はもう少し広告で培ったクリエイティブの力を他の領域に活かせないかという事を考えている最中ですね。

【電通の人材採用】
望月:最近の電通はデジタル領域に強い人材を多く採用していると聞きます。

細金:これまでの電通にはあまり関係ないと思われていた理系のテクノロジストを採用したりするようになってきていますね。自分でプログラムを書いたりするような、システムエンジニアに近い人材を採る流れはあります。何故かというと、テクノロジーが分かっていないと広告は作れなくなってきているんですね。広告キャンペーンの設計にテクノロジーの知識は必須になっています。さらに言うと新しい物を作る時に、プロトタイプが示せないと中々伝わりにくい訳です。

望月:企画書ではなく、実際の動きが分かる物を示すという事ですか?

細金:広告の普通の作業にもコンテとかってあるじゃないですか。さらさらと書いてクライアントさんに見せると「なるほどね」となったりしますよね。それと同じですね。実際のアプリなりサービスなりの概念が伝わる物を、完全には無理だとしても作ってしまう。そのための人材としてもテクノロジストは必要だと思っています。

望月:アプリを開発するとなると、今度はそれを売る段階も必要ですよね。

細金:アプリそのものを売って儲かるかは分かりません。ただ、クライアントさんと一緒にビジネスとしてサービスを作っていく事やユーティリティを作っていく事は、広告ビジネスの延長線上にあるのではないかと思っています。その一環としてアプリがあるという事ですね。そのためにもテクノロジーが身近なところにある事が必要なんです。

望月:すると、直接BtoCで売るという訳ではないんですね。

細金:必ずしもBtoCで売るという訳ではないです。ただ、BtoCの取り組みもしています。例えば、デコメですね。デコメは日本では当たり前ですが、海外ではまだまだ未知の領域なんですね。スマートフォンの販売台数が伸びていますし、海外で日本のデコメが使われるようになればこれはBtoCのビジネスが立ちあがるチャンスではないかと思っています。そういったチャレンジもしていますね。
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望月:これからの広告業界は従来のコミュニケーションとは全く違う領域も取り込んでいくものになりそうですね。

細金:今後の広告業界がどうなるかはまったく分からないです。ただ、クライアントさんのソリューションの中で新たなビジネスに取り組んでいくといった事が近道だとは思っています。そこは絶対に外せないところです。ただ、BtoBだけでなくBtoCも視野に入れています。

望月:今後、電通のような代理店を希望する学生には何が求められるのでしょう?

細金:電通グループの理念として「イノベーション」という言葉があります。イノベーションという言葉は3つの要素に分かれています。まず、アントレプレナーシップ(起業家精神)。そして、アイデアと技術です。この3つの要素が重なる事で、イノベーションが作れるんです。だから、まずアントレプレナーシップがあり、アイデアがあり、出来ればテクノロジーがある人が理想ですね。実際、正に僕たちがいま取り組んでいるセクションにはそういったスタッフが集まっています。

望月:これから電通はますます面白くなりそうですね。

細金:面白くしていきたいですね。スマートフォン以降のソーシャルメディアの世界にはまだまだ面白い物が眠っていると思います。だから、楽しみなんです。

望月:これからもデジタル領域を引っ張っていってください。本日のツタワリストは電通エグゼグティブクリエイティブディレクターの細金正隆さんでした。有難うございました。

細金:有難うございました。

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