Interview_satou of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

HOME > Interview_satou

佐藤 尚之(シニア・クリエイティブ・ディレクター)

望月:数々の本を出されていますが、その中でも食べ物に関する本が多いですね。やはり食通で、食べ物がお好きでいらっしゃるんですか?
IMG_0282.JPG
佐藤:好きなんですよね。サイトでずっとレストランのガイドやレビューをやっているのですが、続けていくうちに皆が「ここがうまいぞ」と教えてくれるんですよね。「讃岐のうどんを食べずに、うどんを語るな」とか(笑)。そうしてあちこちに旅をするようになったんです。そこで旅の記録を付けていくうちに「本にしないか」という話があって、おバカな食紀行みたいな本を何冊か続けて出したんです。あくまで求められた上で(笑)。

望月:なるほど(笑)。そのあたりのお話も伺っていきたいですね。

【広告業界に入ったきっかけ】
望月:佐藤さんは元々広告に興味があって、電通に入られたんですか?

佐藤:広告は好きでしたね。杉山恒太郎さんの手掛けられたサントリーのアルチュール・ランボオのCMとかは凄く良いなと思ってました。ただ、広告と言うよりも大きく言うとマスコミ志向で、その中でも本当は出版に行きたかったですね。

望月:佐藤さんは文学少年だったんですか?

佐藤:かなり(笑)。雑食系の文学少年で、何でも読み漁る活字中毒でしたね。活字を読んでないと駄目で、一日十何時間も読んでましたね。

望月:佐藤さんが今沢山の本を書かれているのも、そういったルーツがあるからかもしれませんね。元々佐藤さんは、将来は作家になりたかったんですか?

佐藤:作家には憧れてはいましたね。ただ、自分が本を出すなんて畏れ多い事は考えてもみなかったです。

望月:すると、どちらかというと編集者になりたかったんですか?

佐藤:そうですね。ただ、正直なところ分からなかったです。仕事のイメージが湧かなくて。学生には編集の仕事って良く分からないじゃないですか。何か本を作る時の企画をして、作家さんに会えるかもと。それぐらいのイメージでしたね。

望月:しかし、最終的に佐藤さんは電通に入られたんですよね。

佐藤:僕が就職活動をしたのは1985年だったのですが、商社やメーカーや金融は4年生の8月に選考があって、周りの友達も皆就職を決めて行ったんです。でもマスコミは選考が遅くて、広告は選考が10月だったんです。出版はその一ヶ月後で、さらにその後にNHKなどの選考があるという感じで。とてもじゃないですけど(精神的に)持たないですよ。
そんな中で、電通の選考に受かったんです。当時、ゼミの仲間が15人ぐらい居たのですが、「お前が就職決まらないと、ゼミの打ち上げが出来ない」と言われていて(笑)。「早く決めろよ」みたいな圧力がある中で、「お前、電通蹴らないよな?」と。「いやいや、出版が」と言うと「待ってられない」と(笑)。そこでゼミの先輩に聞いてみると「あの会社は本も雑誌もできるし、テレビもラジオも新聞も出来る。商社も出来るし、メーカーも出来るし、とにかく色々な仕事が出来る」と教えてくれて。それは確かに面白いかもしれないと思って、電通に決めたんです。

望月:当時はバブルで景気が凄く良くて、ロサンゼルスオリンピックなどもあった時期ですよね。もうこれは電通に行った方が良いだろうというような感じだったんですか?

佐藤:その当時も、電通に行ったらモテるんじゃないか?というのは有名でしたね。まあそんなのは後で無いと分かる訳ですけれども(笑)。

【大阪勤務で受けたカルチャーショック】
望月:実際に電通に入ってみていかがでしたか?

佐藤:僕は配属が大阪だったんですよ。入社する前は、六本木辺りで電通の封筒をちらつかせてモテるみたいなのを想像していたんですけど……(笑)。

望月:あ、そうなんですか!大阪ご出身ですか?

佐藤:東京生まれ東京育ちで、親戚も皆東京です。大阪の「お」の字も無いんですよ。

望月:それがいきなり「大阪に行け」と。

佐藤:恐らくですが、クリエイティブのテストの点数が引っ掛かった事は引っ掛かったけれども点数が悪かったという事だと思います(笑)。

望月:テストの点が悪かったから地方に飛ばされたと(笑)。

佐藤:多分ですよ!(笑)。あと、僕は早稲田(大学)なんですけど早稲田の人間って何故か地方に飛ばされるらしいんですよね。東大と慶應は皆東京本社なのに、早稲田ばかりが地方に飛ばされたらしくて。まあ早稲田が多かったというのもあるかもしれませんが。

望月:大阪勤務でクリエイティブに就いてみて、カルチャーショックなどはありましたか?

佐藤:クリエイティブに対するカルチャーショックはありませんでした。ただ、僕は東京人だったので大阪の文化に対するカルチャーショックはありましたね。東京人ってつま先立ちをして人を見るというか、背伸びをするようなところがあるんですよ。背伸びをしてカッコを付けて、自分を良く見せようとするところがどうしてもあると思うんです。一方で大阪人は自分をバカに、アホに見せようとするんですよね。あんたも私もアホよねってところからコミュニケーションが始まるんです。で、必ずボケがあって、それを誰かが拾って突っ込んで、またボケると。
DSC_0455.JPG
そういうのがコミュニケーションの前提としてあったんですけど、それが全く出来なかったんですよね。しかも僕はコマーシャルの広告を作る部署に行ったので、外タレがニコっと笑ってバックは白い砂浜でマイアミかハワイか……みたいなのを思い描いていたんですけど、大阪に行ったらカッコ付けてると馬鹿野郎!って言われますからね。そんなプライドなんて、グチャグチャにされて破られるみたいな感じでしたね。

【「下から目線」のコミュニケーション】
佐藤:当時はキンチョーのベタベタな関西弁のCMが凄く人気で全盛期だったんです。(電通関西支社の)堀井(博次)さんや田井中(邦彦)さん、石井(達矢)さんといったスターが作っている、「ちゃっぷいちゃっぷい、どんとぽっちい」なんてフレーズで始まるCMで、ベタベタさ加減が何とも言えないんです。しかも東京では流れない大阪でしか流れないバージョンはもっとベタベタなんですよ。
そういった姿を見ていると、色々な事を学びましたね。彼らのコミュニケーションは大阪のおばちゃん、おばはんがたに馬鹿にされて笑われて、いじられるところから始まっているんです。上からカッコ良く見せて憧れさせて買わせるなんて、この商品の多い時代には無理なんだと。そうではなくて、下から馬鹿にされて「あははは、この人達アホやわ!」ってされるところからコミュニケーションを始めて、そこから商品を認知してもらうんだという事をやっていた訳です。自分にとっては、まさにコペルニクス的展開でしたね。「ここまで下から目線で行くのか!」と。
大阪には結局14年間居たんですけれど、かなり鍛えられましたね。まずは自分を笑うところから始めると。自分がアホな事をすると、相手も心を開く訳です。カッコイイ事をやっても、相手はどこかで騙しがあるんじゃないかとガードをするんです。そうではなくて、「うわ!アホやわ!」ってところから始めると、非常にメッセージが届きやすいという事が分かってきたんです。

望月:コミュニケーションデザインの一番のヒントがそういったところにあったんですね。

佐藤:結果論的ですけれども、僕にとってはそこで学んだ事が一番大きかったですね。

【楽曲紹介1】
望月:この辺りで一曲、思い出のCMソングをご紹介頂けますか?

佐藤:村松健さんの「春の野を行く」という、のんびりしたとても良い曲を。

望月:村松健さんはピアニストの方ですよね。これは何かのCMソングだったんですか?

佐藤:ミズノのCMソングでした。テレビCMを作ったのは僕では無く別の人間なのですが、僕はこの曲を使ってラジオのコマーシャルを作らせて頂いたんです。その頃、僕は沢山ラジオCMを作らせて頂いていたんです。その後、僕は沢山本を書いたりブログを書いたりしていますが、その頃の経験が一番活きているんですよね。ラジオCMなので、言葉の力だけで人の心に入っていく訳です。絵の助けも借りずに。
読むための文章であればゴツゴツしていた方が良いという場合もありますが、ナレーションのための文章はどのような物が良いかと言う訓練を僕はさせて頂いていたんですね。その頃の仕事の中で最も印象に残っているのがこのCMで、この曲を聴くと当時のラジオCMの訓練の事を思い出すんですよね。

#1 村松健「春の野を行く」


【インターネットとの出会い】
望月:インターネットとの出会いは大阪時代の事ですか?

佐藤:はい。丁度、1995年の阪神大震災の時ですね。被害の状況を伝えるマスコミが東京の情報ばかりを流している中で、当時はまだ珍しかったんですけれど、インターネット上の個人サイトがぽつりぽつりと被害の状況を伝えていたんです。

望月:それは当時としては珍しいですね。本当にインターネットの黎明期の頃ですよね。

佐藤:モザイクとかネットスケープ1.0の頃ですね。

望月:まだモザイクの頃ですか(笑)。

佐藤:インターネットをやり始めた丁度その頃に、阪神大震災を経験したんです。自身の後、やっと電気が通って被害の状況を知るためにテレビを付けると東京の情報ばかりをやっている訳ですよ。こっちはすぐ横で人が死んだり、今まさに助けを待ったりしているのに。それなのに「地震の影響で東京はどうなるか」というような事ばかりを流していたんです。そこでたまたまネットに繋げてみたところ、個人のホームページで「こっちの被災地ではこれが足りない」「この地域の被害状況はこんな感じだ」というような事を発信し、互いに励まし合ったりしながら何とか人の役に立とうとするような動きが少しですが起こっていたんです。その動きを目の当たりにして、これだ!と思ったんです。

【発信の場としてのインターネット】
佐藤:インターネットはかつてパソコン通信と呼ばれていて、ニフティのようなお喋りの場という印象が
強かったんですよね。でもネットってそれだけじゃないなと。ネットは「発信」の場であって、単なるチャットやお喋りの場とは違うんだと思って、数ヵ月後に個人サイトを立ち上げたんです。
DSC_0456.JPG
望月:最初にサイトに載せていたのは、そういった阪神大震災の被害に関する情報だったんですか?

佐藤:今でもサイトには「地震の時にはこうした方が良い」というような情報を自分の経験を通じて載せています。ただ元々は、本の書評を書こうと思ったんですよね。何を発信しようかと考えた時に、僕は沢山の本を読んできているのでその感想を書こうと。でも読む側にとっては、どこの馬の骨だか分からないような奴の本の感想なんて読んでも仕方が無い訳ですよ。広告をやっている人間からしたら、これはちょっと客寄せパンダが居るなと(笑)。
そこで当時はまだネット上に無かったレストランのレビューのようなものを何百件分か用意して、一気に公開したんです。そしたら、日本は勿論、世界のあちこちから一気にアクセスが集まってメールがぼんぼん着たんですよ。当時は日本に個人サイトは100ぐらいしか無い時代でしたからね。メールをくれた人がお勧めのお店を紹介してくれたりとか、色々なやり取りが始まっていって、そこから最初に話した本の出版などに繋がっていったんです。

望月:なるほど。そういった歴史が積み重なって来て、今に至る訳ですね。

佐藤:これまでにも壁新聞を作って地域に向けて発信するというような発信の仕方はありましたよね。でも、物凄い広域に向けてお金をかけずに発信する事が出来、しかもメールで毎日のように反応が返ってくるというのは無かったのでびっくりしましたね。本を出しても、せいぜいハガキで数ヵ月後に反応が返ってくるぐらいじゃないですか。だから、コミュニケーションが好きで表現をやっているような人達は世の中に沢山いるのに、どうしてインターネットをやらないんだろうと思いましたね。僕はそういったところに気付いて始めたんですけれど、他の皆に聞いても反応は至って鈍かったんですよ。

【インターネットとコミュニケーションの変化】
望月:佐藤さんはインターネットを仕事にも繋げていかれたのですか?

佐藤:元々僕はCMなどを作るセクションに居たのですが、ネットをやっていると「CMって違うなあ」と感じるようになってくる訳です。何故かというと、CMで「この商品はここが良いよ!」と伝えたところで、受け取った側の人は「(商品として)まあ悪くはないよね」というような感じでネットで話をしている訳です。これは広告は変わるかもしれないぞと僕は思ったんです。一方的に伝える新聞やテレビやラジオだけじゃ絶対に駄目だと。そこで社内で手を上げてWEBクリエイティブのセクションを作ったんです。僕と僕が連れてきたオジさんの二人だけのセクションだったんですけどね(笑)。

望月:セクションを作った事をきっかけにインターネットを活用しようという動きが広がっていったのですか?

佐藤:最初の内は「テレビでCM流せば何十万人が商品を目にするのに、どうしてあいつは1000人ぐらいのアクセスで喜んでいるんだ。佐藤は小さい世界に行ったもんだ」と言われたんです。でも、僕にとっては人数は問題じゃなかったんです。一人一人と深くコミュニケーションを取っていく。僕の意識はすっかりそっちにシフトしていたんです。でも、マス広告の方々の理解を得るのは中々難しかったですね。「あいつはもう終わったな」というレベルで(笑)。

【スラムダンク一億冊突破キャンペーンについて】
望月:著書「明日の広告」の中で佐藤さんはスラムダンクの一億冊突破キャンペーンについて触れてらっしゃいますよね。これはそもそもどのような発想のキャンペーンなのですか?

佐藤:これはスラムダンクの著者の井上雄彦さんが、スラムダンクの累計コミック部数が一億冊を超えた事を機にポケットマネーで何とかファンの方に感謝の気持ちを伝えたいと申し出された事がきっかけのキャンペーンでした。元々、井上さんは新聞広告を使ってみたらどうだろうかと仰っていたんです。2004年当時の時点でもかなり新聞広告は弱って来てはいたのですが、やはり襟を正して感謝の気持ちを伝えるには新聞は良いですよね。僕もそのアイデアは良いなと思ったんです。ただ、スラムダンクやそのファンについてじっくり考えていくと、新聞のような大きなメディアに「ありがとう」とぼんと載せただけでは感謝の気持ちは伝わらないような気がして、しっくりこなかったんですよね。

望月:スラムダンクの読者層と新聞の読者層には溝があるような感じがしますね。

佐藤:新聞と言う媒体もそうですし、そもそも井上さんが「スラムダンク一億冊ありがとう!」と一方的に読者の方に伝えても「いくら儲かったんだよ井上……」みたいな感じになる可能性だってある訳です。「ありがとう」というメッセージを広告を作っている我々が、スラムダンクってこうだからこうだよねと考えてある程度押しつけている訳です。
でも、スラムダンクの読者の立場になってもう一度考えてみると、スラムダンクって100人いたら100人感じ方が違う訳です。俺はスラムダンクのあの場面が好きとか、私は花道じゃなくて流川が好きだとかそれぞれ感じ方が違うんです。そういった人達に感謝の気持ちをパーソナルに伝えたいと思った時に、マス広告で「ありがとう」と伝えるというのはパーソナルでも何でもないじゃないかと思ったんです。これでは井上さんの思いに応える事が出来てないと。
DSC_0468.JPG
そこでまたゼロから考えなおして、最終的には思いを伝えるのではなく、思いを伝える場を作ろうという事になったんです。そういった場を作りファンの方に集って頂いて、井上さんの感謝の気持ちを感じてもらい、体感してもらおうと。感謝の気持ちを一方的に伝えるのではなく、感じてもらう事が「ありがとう」に繋がるのではないかと。感謝の気持ちを感じてもらうには、ファンの方に一番喜んでもらえる事が一番だという事になって、WEB上でスラムダンクの最後の試合のスタンドにファンの方が座る事が出来るような仕組みを作ったんです。スラムダンクのファンじゃない方にとってはそれがどうしたという話ですけど(笑)。井上さんが皆に望まれていたスラムダンクの続編を8年ぶりに描いて、そのスタンドを作ってファンがスラムダンクに対する思いを書いて共有する事が出来る場を作ろうと。それをネットでもやり、リアルでも三浦半島の三崎高校という廃校でインスタレーションのような感じでやったんです。ら

スラムダンク1億冊突破キャンペーン
images.jpg
井上さんには黒板に「スラムダンク あれから10日後」という漫画を描いて頂きました。そういった感謝の場を作り、ファンの方に体感してもらう事が一番の「ありがとう」になるだろうと。このキャンペーンは、広告とはもはや呼べないような形かもしれないですが、僕にとっては転機でもあり、思いを伝えたい相手と最後の最後まで一歩も逃げずに向き合った一番の経験ですね。

望月:このキャンペーンは様々な賞を受賞したと思うのですが、これは井上さんの思いを伝えるという事が「伝わる」という事だったのでしょうか?

佐藤:伝えっぱなしは良くないと思うんです。例えばCMなんかは思いを伝えっぱなしじゃないですか。そうではなくてコミュニケーションを取って「伝えあい」をする事が大事だと思います。こちらが伝えたい事が相手に伝わったら「伝わる」だと皆思っていますけど、実はそれって一方的に相手が受け取ってくれたというだけの話で。コミュニケーションってやり取りじゃないですか。特にネットを始めてから、コミュニケーションはそこまで踏み込まないと駄目だよなと言う思いが常にあるんです。「伝える」は一方通行で、「伝わる」は相手が受け取ってくれた状態。コミュニケーションは「やり取り」まで行く。そこまで踏み込んでいきたいですよね。

【楽曲紹介2】
望月:この辺りでもう一曲ご紹介頂けますか?

佐藤:ベタな選曲ですが、竹内まりやさんの「人生の扉」という曲を。

#2 竹内まりや「人生の扉」


望月:思わず人生を振り返ってしまう良い曲ですね。

佐藤:今年、50歳になるんですよ。この曲の歌詞に「ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ」というフレーズがあるんですね。僕は広告の中でもずっとマス広告をやって来て、多くの人に物を伝えてハッピーになってもらおうとしてきた訳です。今はソーシャルメディアが台頭してきて、テクノロジーによって人と人との繋がりがより身近に感じられるようになってきて、それが普通に機能をしていますよね。だから、よりい小さいところ、より愛する人のために伝えてハッピーになってもらいたい。それによって小さいところから世の中が良くなっていったら良いなと。そういう事を去年ぐらいから凄く思考するようになりましたね。
後、広告って新規顧客を取りに行くじゃないですか。どんどん新しい層を開拓していく。でも、そうじゃないだろうと。既存の顧客の人たちと丁寧にコミュニケーションを取っていく。そういう事が大事なんじゃないかと思ってきているんです。ソーシャルメディアによりそれが可能になって来ているというのと、既存顧客の方が「これ良いよ」と周りに話してくれる。そういった事が、広告の一方的なメッセージよりも凄く効果として大きくなってきているんです。だから、より使ってくれる人達、より身近な人達とのコミュニケーションをしていきたいという思いが最近は強くなってきていますね。

【ワークスタイルの変化】
望月:電通で大きな仕事を手掛けられつつ、ご自身でも様々なメディアを持っていらっしゃいますよね。

佐藤:そうですね。後はボランティアやNPO関係が増えました。僕は去年、鳩山さんのtwitterの活用をサポートしたり、ハーブ&ドロシーというドキュメンタリー映画の応援をしたりとボランティアやNPOの仕事にずっと関わってきたのですが、よりソーシャルで自分の能力を活かしながらフリーエージェントでやっていくようなワークスタイルに自分の志向が変わってきていますね。

望月:そこで、佐藤さんはいよいよ独立をされるんですよね。

佐藤:はい。いよいよフリーになります(笑)。「公私」という言葉がありますが、公と私がどんどん混同していったりして、組織人としての自分に矛盾が出てきたりもする訳です。もっと個として活動したら色々と幅が広がるのに、組織の中ではストップがかかってしまったりして。人に「伝える」「伝わる」テクノロジーは多少持ってはいるので、それを使ってもっと別の切り口から世の中に関与したいという気持ちが非常に高まって、独立をする事にしたんです。これからもコミュニケーション分野に関しては電通とコラボをしながらやってはいくのですが、基本はフリーです。

望月:これまでは電通と言う会社の中で動いていたのが、今度は大きなところでは「日本」を舞台に活動が出来るようになりますよね。

佐藤:そうですね。後10年15年と言う時間をそこに使わないと、せっかくスキルを磨いてきた意味が無いですよね。

【新旧の広告を知っているからこそ出来る事】
望月:今後10年15年でさらにデジタル技術やインターネットは身近なものになりますよね。今この番組を聴いている学生の方は自由に携帯電話やパソコンを使いこなしていますし、生まれた時からそれがある世代になる訳ですよね。

佐藤:もはやインフラですよね。そこでコミュニケーションも大きく変わってくる訳です。ただ、上の方の世代の方など置いていかれる人も居る訳じゃないですか。そこと下の世代を繋ぎたいんです。丁度、間の世代なんですよ。50代の中ではトップクラスにそういった物に触れてきているし、一方で古い文脈の広告も知っています。デジタルもアナログも知っていますし、音楽はSP盤から触れていますから。そういった物を全部知っていて、それらを次の世代に繋いでいくというのも僕らの世代の役目かなと思うので、そういった部分でも力を発揮出来たら良いなと思います。

望月:是非、お力を発揮して頂きたいなと思います。本日のツタワリストはシニアクリエイティブディレクターの佐藤尚之さんでした。有難うございました。

佐藤:有難うございました。

DSC_0471.JPG

TODAY'S EISUKE MUSIC SELECTION