Interview_namikawa of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

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並河進 (コピーライター)

【ギャルラボとは】
望月:並河さんのプロフィールを拝見して気になったのが「電通ギャルラボ代表」という項目なのですが。「ギャルラボ」って何ですか?(笑)
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並河:「電通ギャルラボ代表です」と自己紹介すると、よく驚かれるんですよ(笑)。ギャルというのは日本独自の文化ではないかと私は思うんです。そこで「ギャル」をキーに様々なプランニングやキャンペーンを仕掛けていこうと、電通内に昨年立ち上げた専門チームが「ギャルラボ」です。

望月:電通内にギャルは居るのですか?

並河:元ギャルが複数名と、ギャル男が少し居ますね(笑)。ギャルラボは彼らとその他の若い女性メンバーを中心に運営しています。

望月:並河さん自身はギャルとは程遠い感じがするのですが……(笑)

並河:僕自身はギャルでは無いですね(笑)

【広告会社に入るきっかけ】
望月:大学時代は理系だったそうですね。

並河:ええ。船舶海洋工学科というところで、船の設計をしていました。元々、船やロボットが好きで、そっちの道に進もうと考えていました。

望月:船の設計と今の広告のお仕事は、かなり距離がある感じがしますね。何か思い立つようなきっかけがあったのですか?

並河:大学時代、先輩と一緒に卒論を作っていた時期があったのですが、その頃の僕の生活というのは先輩の下宿と水槽を行ったり来たりするようなものだったんです。まあ、研究員の普通の生活とも言えるのですが。ただ、先輩の背中を見ていると「自分も将来あんな感じになるのかな」と思ってしまって……。

望月:「こういう風にはなりたくないな」と(笑)

並河:先輩はすごく良い人なんですよ。ただ、夏のある日に「並河君、スイカ冷えたよ!」と、満面の笑みで先輩が研究用の水槽からスイカを引き上げる姿を見てしまいまして(笑)その時は流石に「ちょっと違うな」と思いましたね。そこで「別の道に進もう」と決めました(笑)

望月:そこから今度は広告業界を目指されるんですね。

並河:広告業界について、当時の僕は本当に何も知らなかったんです。漠然と「ビッグプロジェクトをやっているんだろうな」というようなイメージしか無くて。ただ、それまでの僕というのはずっと水槽の中に居た訳ですよ(笑)。そろそろ水槽から出たくて出たくて。そこで、社会と密に繋がったビッグプロジェクトが手掛けられる電通に行こうと思いました。

【電通の配属について】
望月:電通に入った後は、クリエイティブ職を目指されたんですか?

並河:いえ、最初は営業をしたいと思っていました。僕のイメージの中の電通はタクシーで朝食を食べながら颯爽とクライアントの元へ行く、というような感じで(笑)そのイメージの通りの仕事となると、まずは営業かなと思ったんです。

望月:営業というと、プロジェクトを纏めていくプロデューサーのような役割も求められますよね。

並河:ところがひょんなことから「君はコピーライターをやりなさい」と言われまして。そこからコピーの仕事をするようになりました。僕は理系の人間だったので、たまに文章を書くと言葉遣いがあちこち間違っていたりとかして……。「僕でいいのかな」と思いましたね。

望月:言葉の勉強をした事が無い人間が、いきなりコピーライターになってしまった訳ですね。

並河:後で分かったのですが、実は配属先の決め方ってすごく適当なんですよね。新入社員の配属先決めに僕も参加した事があるのですが、案外その場のノリで決まったりもして。「こうして俺の人生も決められていったんだな」と、その時に思いましたね(笑)

【“妄想”の日々】
望月:コピーライターになった後の修行の日々というのはどうでしたか?

並河:師弟制度のような形で先輩の下に就いて、ずっと仕事をしていました。コピーライターって、なんか響きがカッコイイじゃないですか。まだ何にも書けないくせに「俺は職人だ」みたいなちょっとした自意識なんかも生まれたりして(笑)。ところが、客観的に見て僕は全然芽が出なかったんです。「仕事が減ってきているな」というのが、自分でも分かりました。

望月:会社員でもクリエイティブ職だと、作ったものがイマイチだったり使いづらかったりすると、そういう事が起こりますよね。

並河:あれは怖いものですよね。

望月:仕事が減っている事に気付いていないのが、実は自分ひとりだけだったなんて事もありますからね……。

並河:仕事が減ってくると、本当に2時間か3時間で終わる量の仕事しかする事が無くなってしまうんですよ。だから、後の時間はずっと妄想です。デスクトップに「妄想」って名前のフォルダまで作りましたからね(笑)

望月:妄想フォルダですか(笑)

並河:食のプロジェクトから「ニッポンを元気に!」みたいなプロジェクトまで、色々考えましたね。とにかくデカい事がしたかったんですよ。ある時、日本全体が不景気だったので「バブルをもう一度!」的なプロジェクトの企画書を作ったんです。「Shall We バブル?」みたいなロゴも自分で作ったりして。「バブルといえば六本木だろう!」と六本木商店街の電話番号を104で調べて、先方にプレゼンしに行ったのですが、相手のおじさんにキョトンとされてしまって(笑)「忙しいから帰ってくれるかな?」みたいな反応でしたね。

望月:クリエイティブの方はどちらかというと地味に作業をしているイメージがあるのですが、並河さんは行動力が凄いですね。クリエイティブの方で、初めての相手にいきなり電話をする人なんて中々居ないですよね?

並河:珍しいタイプだと思います。僕は思い立ったらすぐ電話ですね。色々やってみて分かったのですが、104は本当にすぐ電話番号を教えてくれるので、便利です(笑)

【9.11と心境の変化】
望月:そういった妄想が実を結ぶまでには、長い時間がかかったんですね。

並河:そうですね。色々動いてみてはいたのですが、やはり中々芽は出なくて。「ダメだなあ」と思っていた時に起きたのが、ちょうど今から10年前のNYのテロで。あのテロをきっかけに「僕らに何が出来るだろう」という事を強く考えるようになりました。
そうして後輩と話していた時に話題に上ったのが、ポール・マッカートニーの「エボニー・アンド・アイボリー」という曲だったんです。
#「エボニー・アンド・アイボリー」ポール・マッカートニー

「エボニー・アンド・アイボリー」という曲は「ピアノの黒鍵と白鍵は仲良く並んでハーモニーを響かせる事が出来るのに、何故人間は同じ事が出来ないのだろう」という白人と黒人の平和を願った曲なのですが、「今だからこそ、白鍵と黒鍵だけでなく、もっと色々な色の鍵盤のビジュアルを作る事は出来ないか」と後輩と盛り上がり、ポスターを作ったんです。
それを持って、ヤマハさんに自主的にプレゼンに行ったところ、ヤマハの方から「ヤマハは坂本龍一さんを通じて平和のメッセージを打ち出していましたが、こういう時期だからこそヤマハとしてもメッセージを出したいと考えていました」という事で、正式にポスターを作らせてもらえる事になったんです。

#実際にプレゼンで使用したポスター
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それが初めて自主的なプレゼンで形になったものでした。それまで僕がやっていた事は、いわば勝手な盛り上がりだったんです。それが9.11を契機に社会全体が平和を願うムードになっていった事から、「面白いからやる」というよりも「こういうことをやるべきではないか」という社会的なテーマを、説教的になるのではなくクリエイティブの力でオシャレだったり可愛く見せていくという事が出来ないかと考えるようになりましたね。

【楽曲紹介1】
望月:このあたりで「思い出のCMソング」をご紹介頂けますか?

並河:DREAMS COME TRUEの「ねぇ」という曲を。僕自身、DREAMS COME TRUEさんのキャンペーンを長い間手伝わせて頂いているのですが、この曲は昨年リリースされた「LOVE CENTRAL」というアルバムのCMソングでした。CMは「すべての愛 引き受けます」というキャッチフレーズでありとあらゆるカップル、それこそ日本人と外国人だったり、ゲイだったりというようなカップルたちをあちこちで撮影して回りました。今でもすごくよく覚えている経験ですね。

#「ねえ」DREAMS COME TRUE


【千のトイレプロジェクトについて】
望月:並河さんはネピアの「千のトイレプロジェクト」を手掛けていらっしゃるそうですね。

並河:「千のトイレプロジェクト」はネピアの対象商品を購入すると、その売り上げの一部がユニセフを通じて東ティモールでトイレを作るのに役立てられるというプロジェクトです。こうした取り組みはコーズリレイテッドマーケティングと呼ばれたりしますね。
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望月:このプロジェクトはネピアさんの方から「社会貢献プロジェクトが出来ないか」という提案があり、始まったものなのですか?

並河:そうですね。ネピアのマーケティング部長の方がすごく面白い方で、一緒に飲んでいるといつも「便所紙、上等なものじゃないか。便所紙にも出来る事があるだろう」と言うんです。「便所紙屋の意地を見せたい」と。ちょうど僕はその頃、ユニセフの方と知り合う機会がありまして、途上国では毎年350万人以上の人間が衛生の問題で命を落としているという事実を聞いていたんです。
ユニセフは世界各地で水と衛生の問題に取り組んでいるのですが、後者に関してはやはりトイレを作るのが効果的らしいんですね。ところが水の問題のために井戸を作ると言ったプロジェクトに比べると、トイレの支援というのは企業のイメージの問題のためか、中々支援が入っていないそうなんです。その事をネピアの部長の方と話をして「東ティモールに毎年1000個トイレを作ろう」という事になったんです。プロジェクトは2008年からスタートしまして、毎年1000個以上のトイレを東ティモールに作っています。

望月:東ティモールのトイレというのは、相当よくないものだったのですか?

並河:そもそも東ティモールにはトイレでうんちをするという習慣が無かったんですよ。草むらで用を足したり、或いは豚小屋の丁度良い高さの柵に腰かけて大をしたりとか。すると、それが即豚の餌になるという(笑)。

望月:その豚をまた人間が食べるという循環が(笑)。

並河:その方が自然でエコじゃないか?なんてちょっと思ったりもしますが(笑)。ただ、やはり衛生上は「トイレを使う」という習慣を付けていく事はすごく大切な事なんですよね。だから、プロジェクトが始まった当初は便器をどんどん与えていくという「作る」過程に気持ちが向いていたのですが、今ではトイレの必要性を村人たちに分かってもらう事を大切にしています。

望月:村人からしてみたら、今までは野原に気持ち良く用を足していたのを、今度は便器の中にしなくてはいけない訳ですよね。それはやはり外でする方が気持ちいいでしょうね(笑)

並河:東ティモールに行って「トイレ使ってる?」って聞くと、最初の内は「使ってるよ!」と返事が返ってくるんです。「本当に?」ともう一度聞くと「勿論」と。そこでもう一度「本当に?」と念を押すと「実はたまに外でしてしまう」とぽろっと本音が出てきたりもして(笑)

望月:まずは習慣を作るところから始めないといけない訳ですね。実際に現地ではどういった教育をされるのですか?
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並河:村の人たちを集会場に呼んで、床に大きな地図を広げるんです。そして一人一人に普段うんちをしている場所をマーキングしていってもらいます。すると「お前、俺の家の隣でうんちしてるのかよ!」みたいな事になるんですよね(笑)「この村、うんちだらけじゃないか!」と。
いきなり「トイレを使いましょう!」と言うと抵抗を感じる人も中には居るので、まずは「うんちは一か所でしましょう」というところからじわりじわりと進めていくんです。途上国でこういったプロジェクトをする時に大切なのは「トイレを使う」といった具合に現地の人たちに物事を習慣づけていく事で、そこに必要なのはやはりコミュニケーションなんですよね。広告の世界に居ると普段は日本国内のキャンペーンばかりに目を向けてしまいがちですが、コミュニケーションに関わる人間として、途上国でも沢山出来る事はあるという事を「千のトイレプロジェクト」では感じましたね。

【「世界手洗いの日」プロジェクトについて】
望月:並河さんはユニセフの「世界手洗いの日」というキャンペーンも手掛けていらっしゃいますね。

並河:元々、2008年頃からユニセフなどの団体により、10月15日が「Global Handwashing Day」として定められていたんです。
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そこで、その日に合わせて様々な動きをプロジェクト化していこうという事になり、2009年からプロジェクトがスタートしました。僕が「手洗いって良いな」と思った理由は、手洗いは日本の子供たちも世界の子供たちもどっちもしなくてはいけないものだったからなんです。特に当時は新型インフルエンザが流行っていましたし。
だから一方的にどちらかが支援をし、どちらかが支援をされるという関係ではなく「皆で一緒に手洗いをしましょう!」と呼びかけようと思ったんです。「手洗い」だったら言葉を超えられるのではないかという気持ちも込めて、プロジェクトでは「世界手洗いダンス」という踊るだけで正しい手洗いが学べるダンスを作って、10月15日に世界中で踊ろうではないかという企画をしています。

望月:するとこの企画は日本限定のものではないんですね。

並河:そうですね。「世界手洗いダンス」の映像は東ティモールの公共放送でも流れているはずです。僕が歌を歌って、うちの娘が出演していたりするので手作り感満載なのですが……(笑)
#「世界手洗いダンス」

望月:それがなんと世界に出ていくという(笑)

並河:やはりプロジェクトを実現するためにはお金が必要だという事で、ビデオを持って寄付を募るために色々な企業を回ったりもしました。「うちの娘も踊っているので、どうか一つ」と(笑)。

望月:やはり協賛を得るためには何十社もプレゼンして回ったのですか?

並河:そうですね。流石に今はもう104は使いませんが(笑)。ネットがありますしね。

望月:企業の中には是非というところもあれば、一方で冷たくあしらわれるところもあったのではないですか?

並河:そうですね。冷たくあしらわれるとやはり悔しいです。こういったプロジェクトに参加するか否かは企業さん自身の判断ですし、僕らとしては精いっぱい説明するしかない訳ですけど、それにしてもあまりにも断られる事が多いので……。
「やってもやらなくてもいいプロジェクト」と言ってしまえばそれまでですが、それでも「やりましょう」と言ってくれるところは中々出てこないです。ただ企業さんに行き、相手の方と時間を取ってプロジェクトについて話をする事自体に意味があるのではないかと最近は思うようになりました。そう思わないと納得出来ないというのもあるのですが(笑)。
ソーシャル・プロジェクトというとNPOがするものというイメージが強いのかもしれませんが、僕は「ソーシャル」というからにはやはり多くの人を巻き込んでいきたいという思いがあります。ソーシャル・プロジェクトに関わる事で企業の方にとっても色々新しい発見があるのではないかと思いますし。だからこそ、大変ですが多くの人を巻き込めるように頑張っていきたいと思っています。

【楽曲紹介2】
望月:このあたりで「今の気分」という事で、もう一曲ご紹介頂けますか?

並河:Def Techの「All That's In The Universe」という曲を。僕はいま「Worldshift」という活動に携わっていまして、シンポジウムを開いたりしているのですが、新しくリリースされたDef Techのアルバムのタイトルが「Mind Shift」だったんですよ。これはWorldshiftを知っているはずだと思って、Def Techの二人にライブの後に会いに行ったのですがWorldshiftの話をしたらポカンとされてしまって(笑)。
#「All That's In The Universe」Def Tech

望月:ははは(笑)

並河:まあ、そんな事にはめげないですよ(笑)それはともかく、この曲は震災後の人々の「今までの暮らしのままでは居られない」「変わっていかなくてはいけない」という気持ちや「変化が前向きなものになったらいいな」という気持ちをよくあらわしているのではないかと思います。

【東日本大震災と支援活動】
望月:3月11日に未曾有の大震災が起きた訳ですが、並河さんは現地でも活動されているそうですね。

並河:最初に現地に入ったのが4月6日、7日で、それから週一日のペースで現地に行き、最近は週二日行っています。

望月:現地にはどうやって行っているのですか?

並河:最初の内は山形空港からバスで向かっていたのですが、そのルートが行きづらくて、夜行バスが復活してからは夜行バスを使うようになりました。また最近になって新幹線が復活したので、今は新幹線で行っています。復旧に合わせて交通手段を変えているような感じです。やはり新幹線が復活した時には「新幹線ってすごいな」と思いましたね。段々現地に行くペースが増えて、最終的には「東京に週1で来ています」という感じになってしまったらどうしようと思っているんですが(笑)

望月:具体的には現地でどういった活動をされているのですか?

並河:最初はユニセフの「ちっちゃな図書館プロジェクト」に参加し、被災地の子供に絵本を届ける活動をしました。日本全国から絵本や児童書を募集したところ、一週間で20万冊が集まりまして、仕分けが大変でした。とにかく開けても開けても、ハリー・ポッターなんですよ。ユニセフとしても「ハリー・ポッター以外を送ってください」とは言えないし……。
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望月:本当は絵本が欲しかったのに(笑)

並河:絵本とか、大型の紙芝居があったら嬉しいなと思って待ってたんですけどね(笑)。中々、欲しいものが届かなくて。そうして仕分けをした後、95%の家屋が津波により流されてしまった女川町の避難所に行き、絵本を届けました。
避難所には2000人近くが居たのですが、電気も水道も携帯電話の電波も無い状態で、僕が行く前日にも震度6強の地震が起こっていました。避難所の窓ガラスも割れたりしていて「真っ暗な中で地震だなんて、どんなに怖かっただろう」と思いましたね。絵本を届けに行くと、それほど笑顔がある訳ではありませんでしたが、子供たちが様子を見に来たりしました。
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実は女川町では震災前から町に絵本館を建てる計画があり、全国から絵本を集めていたのですが、震災でそれらが流されてしまったんです。そこで「もう一度、絵本館を作ろう」という事で、避難所の小学校の3階の空いてるスペースを利用して「ちゃっこい絵本館」というのを、現地の読み聞かせをしているボランティア団体の方と一緒に5月にオープンしました。いまではそこで子供たちが笑顔で絵本を読んでいます。何回か通ううちに辛い状況の中でも段々と前を向こうという気持ちになっていったり、子供の笑顔が大人の笑顔になっていくというのが分かりますね。
他にも現地では幾つかプロジェクトを行っていますし、また企業の方からも「被災地に何をしてあげればいいのかが分からない」という問い合わせがあったりするので、それに答えたりもしています。

【社会活動に取り組むモチベーション】
望月:並河さんは非常に積極的に社会的な活動に取り組まれていますが、一番のモチベーションは一体何なのでしょう?

並河:最初は「面白い」だとか「新しい事がやりたい」という気持ちでやっていましたね。

望月:元々デカい事がやりたいという風に仰っていましたよね。

並河:例えば昔、ボランティアとアイドルを繋げたら面白いんじゃないかと思って「ボラドル」というの
をやったりしたのですが、それはあんまりヒットしませんでしたね(笑)
ただ、企業とNPOって普段中々接する事が無いので、そこが交わる事で何か新しいものが生まれるのではないかという風には思っていました。
僕は「千のトイレプロジェクト」で実際に東ティモールに行ったのですが、2002年当時東ティモールはまだ独立したばかりで、現地には国連軍が残っていました。街を車で走っていくと、どの家屋も2階が爆破で吹き飛んでいて、皆そこにテントを貼って暮らしていました。そして、路上ではペットボトルに入れたどぶろくのようなお酒を飲んでいる人がいる。
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終戦直後の日本を僕は直接は知りませんが、まるでその頃の日本のようで。そこにずっと滞在していると、段々と現地の若い女の子や学校の先生と仲良くなるんです。また、僕よりもずっと若い兵士が居ることも分かってくる。勿論、僕はそういった事を知りたくて現地に行った訳ですが、実際に目の当たりにすると「見てしまった責任」が自分にはあるような気がしてきたんです。去年、ウガンダに行った時、僕はマラリアにかかった14歳の女の子が子供を抱えてスラム街でうずくまっている様子を目にしました。そういう様子を目にして、僕は純粋に「何とかしてあげたい」と思ったんです。
無論、僕に出来ることなんて限られている訳ですが、それでも素朴に「何かがしたい」と思って。それにあたって、僕が持っているのはコミュニケーションのスキルだったんです。そして「世界手洗いの日」プロジェクトにせよ、避難所に絵本を届ける活動にせよ、子供たちが笑顔になっている姿を見ると「何かが出来るのではないか」という手ごたえを感じるんです。それが原動力ですね。

【社会活動と広告】
望月:並河さんは現在は電通に籍を置いた状態で活動されている訳ですが、電通に居る事は並河さんにとって良い事ですか?ある種、電通を利用して活動をされているという感じなのでしょうか。

並河:元々、広告とは「広く告げる」という意味ですよね。広告を作っている人達って「CMで日本を元気にしよう!」というような事を言うのが好きな人が多いと思うんです。社会に影響を及ぼしていく事への関心の高さというのは、DNAとして広告会社に流れていると思っていて。ただ、昔はもっと物事は単純でしたよね。物が売れれば、経済が高度成長して、雇用が増えて、皆ハッピーになる。
でも今はそういった掛け声だけでは世の中は良くならないですよね。そういった時代の広告は掛け声を上げるだけではなく、もう少し概念を広げて、色々な企業を巻き込んで実際のアクションを起こしていかないといけないと思います。そういった存在に広告会社は変わっていかないといけないし、持っているDNAとして社会を良くしたいと思っている人間が広告会社には多いと僕は信じているので、まだ今の会社で頑張ってみたいと思っていますね。

望月:これからも是非、社会を良くしていくキャンペーンを作っていってください。本日のツタワリストは電通コピーライターの並河進さんでした。有難うございました。

並河:有難うございました。

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