Interview_kushima of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

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玖島裕(総合プロデューサー)

望月:様々なキャンペーンを手掛けられていますね。多くの賞も受賞されていて、輝かしいプロデューサー歴だと思います。
玖島:いえいえ。
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【CMを手掛けるきっかけ】
望月:元々、CMが好きで好きでしょうがないというような感じだったんですか?

玖島:全然そんなことは無いです。実は私は1956年の9月11日に生まれていまして。

望月:9.11ですね(笑)

玖島:そういう星の下に生まれついたんです(笑)。何の変哲もない人生かな?と元々は思っていたんですが。何が言いたいかというと、自分の人生が思った通りにはほとんど上手くは行っていないということです。そもそもは(僕は)ジャーナリストになりたかったんですよ。

望月:あ、そうなんですか。

玖島:親父が政治家なんです。それも共産党系の政治家で、よく労働運動なんかをやっていたんです。僕もそう言った社会正義の道に進みたいと思っていたんです。ですが、学力と根性が付いていかなくて……(笑)。そこで軌道修正をしたんです。日本大学芸術学部に入ったのは、親父が趣味で映画やカメラなんかをやっていたので、そういったものに僕も子供ながらに馴染んでいたからでして。カメラをしたり、親父に連れられて映画を見に行ったり。そういったものは、一つの総合芸術として良いなと思って。ただ、どれほどの事が(自分に)出来るのかというようなことは良く分かっていなかったんです。結果、就職の時期になって、僕は映画の道に行きたかったんですけど僕が大学を卒業する昭和55年の1980年頃は映画産業が斜陽だったんです。第二次オイルショックの影響もあって景気もすごく悪くて。だから、社名に「映画」と名の付くところは片っ端から……(笑)。

望月:募集も少ないでしょうね。

玖島:映画会社と言うと、当時は東宝、松竹、東映で。後は日活がぎりぎり潰れるかどうかという感じだったんですが、どこも募集が無くて。他に社名に映画と名の付くところは岩波映画や東映教育映画、その中にある電通映画社なんかがありました。とにかく片っ端から(選考を)受けました。そうしていく中で、CMに突き当たったと。だから、あまり計算はしていなかったですね。

【天職と適職の違い】
望月:実際にCMを手掛けられてみてどうですか?

玖島:よく、人は一番好きなものではなく二番目のものを職業にしろと言うじゃないですか。

望月:天職と適職の違いですね。

玖島:本当に好きなものは趣味におさめておけばいいだろうし。そういった意味では頃合いだったかもしれませんね。映像には関わってますけど、映画ほどには芸術性が無くて。僕は映画を志していたんですけど、理屈っぽい映画が好きでして(笑)。娯楽大作やドンパチするようなものは好きじゃないんですよ。社会性や思想のある作品が好きなんです。

望月:例えばどんな映画ですか?
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玖島:話せば長いですよ(笑)。例えば、1960年代のイタリアの映画なんかは「反戦」が主なテーマになっているんですよ。「自転車泥棒」とかね。あと、フランスの映画ですけど「鉄道員」。ああいった当時のイタリア・ネオリアリズムやフランスの当時の映画には、反戦を扱った第二次大戦の教訓を活かした作品がありましたね。日本にも「戦争と人間」のような作品があったりとか。そういったイデオロギーがかった作品が好きなんですよ。普通の娯楽映画に行くよりも、理屈っぽい作品が好きで。思っている以上にCMも作る時にはクライアントさんの気持ちや戦略や視聴者がどのように受け止めるかといったような緻密な計算の上に成り立っているコミュニケーションなので、ざっくり言うと理屈っぽいですよね。映像表現と理屈っぽいものが結び付くと言う点では、CMというのは自分にとっては丁度良い頃合いのものだったのかもしれないですね。

望月:(玖島さんは)CMのプロデュースをされていて、制作も手掛けられていたとのことですが、するとどんどん企画の方に上がっていかれたのですか?

玖島:映画制作とCM制作ではスタッフなどの陣容ではほとんど変わらないですよね。作る物が2時間なのか30秒なのか15秒なのかの違いで。僕は現場主義というよりも、そこに至るまでの企画が好きで。作家における編集者のような立場なわけで、有能なプランナーや作家からどんどんアイデアが出てきますよね。それを初めて見る世間の人間としてどう評価するかという点を心掛けていて。だから、(企画を)出来るだけ客観的に見るように気を付けてます。

【楽曲紹介1:思い出のCMソング】
望月:このあたりで一曲紹介して頂きたいのですが。思い出のCMソングはありますか?

玖島:これまで数々のCMを作ってきた中で、色々なタイアップ曲というのがあるんですよ。しかし、今日は他の方の(手掛けた)曲で申し訳ないのですが、「いい日旅立ち」を。

望月:超名曲じゃないですか。

玖島:昔の国鉄のキャンペーンソングですが、やはり人の気持ちにすごく触れる曲でしたね。旅に行きたくなる感じであるとか。いつまでも歌い継がれている曲ということからも、挙げさせて頂きました。

#1 山口百恵「いい日旅立ち」


望月:いつ聴いても良い曲ですね。

玖島:ぐっと来ますよね。広告の目的というのは理屈を伝えるだけじゃなくて、情緒というか共感がすごく大事ですからね。この音楽を聞くと本当に旅行をしたくなりますし。郷愁をそそると言うか。

【CMプロデューサーの仕事とは】
望月:玖島さんは総合プロデューサーでCMプロデューサーもされているとのことですが、そもそもCMプロデューサーとは何をする職業なのかというのをお伺いしたいのですが。

玖島:(答えるのが)中々難しいんですよね。色々な人が色々な立ち位置でやっているので。プロデュースという言葉自体が非常にあいまいで。直訳をすると「創る」と書いてありますがね。大きくは「創る」んですよ。ただ、創ることが色々とあって。実際に制作をするのが一つ。あと、実際に制作をするまでの企画を作るということがありますね。良い企画であれば良い企画であるほど良い制作になる訳だから、ニワトリが先か卵が先かで言うと、(まず)良い企画を生み出すために努力をする。そのために良いプランナーを見つけてくる。それを良い形で実らせるためには、良いスタッフを準備する。監督やカメラマン、美術、照明といった人達を束ねるということもあります。

望月:そういったスタッフ関係もプロデュースするんですか?

玖島:しない人もいるでしょうね。する人はするという感じです。僕はもう一つ特徴があるんです。日本の広告ってやはりタレントさんの占める割合が非常に大きくて。例えば資生堂さんやカネボウさんのような大きな化粧品メーカーになると、どのタレントさんを広告に使用するかというのはイメージ的にすごく大事なんです。

望月:売り上げも大きく変わってきますよね。

玖島:ええ。そこでタレントを口説くというか、交渉をすると。すると、どんなCMでも出るよと言う人では無くて、「君のこの企画なら出ても良いよ」というような(出演への)ハードルの高い人が居る訳です。以前手掛けた例で言うと、矢沢永吉さんですね。今やっている仕事で言うと、松田聖子さんと中島みゆきさん。そういった人と交渉をしたりする訳です。

望月:玖島さんが直接交渉をされたんですか?

玖島:ええ。他人に任せると、自分達が企てた物を他人に説明しようとしても企画意図が中々伝わらなかったりするので。タレントさんと直接お話しする場合もあれば、事務所の方とお話をする場合もありますが、タレントサイドと交渉をする場合は僕が直接行きますね。

【「伝わる」キャンペーンとは:「BOSS」の事例】
望月:「伝える」ことは広告なので、お金を払えば出来ますよね。そんな中で、消費者の方に理解され、「伝わった」と感じたようなキャンペーンというのはありますか?

玖島:基本的にはほとんど伝わらないですよね(笑)。広告の中でも特にテレビコマーシャルというのは垂れ流しです。ながら見をしたりするので。

望月:相手がよほどその商品に興味がある人でないと、どんどん流れていってしまう。


玖島:番組をじっくり見る人はいても、CMをじっくり見る人なんていないわけです。そこにゲリラ的に情報がどんどん入っていくわけですよ。そんな中で15秒や30秒で(情報を)伝えるというのは大変ですよ。基本は伝わってないと思うんです。ただ、僕はいつも大事にしていることがあって。普段の実像と違うというか、普段とは違うその人の姿が一瞬でもCMから流れてくる。それはインパクトがあるのではないだろうかと。古い例ですけど、日本のロックスターの矢沢永吉さんに、洋服の青山的なサラリーマンの服を着て役者をして頂いた、缶コーヒーの「BOSS」のCMがあったんですね。とても瞬間的な芸でしたけど、「弱い矢沢さん」の姿を伝える事が出来たんです。強い矢沢さんが実像ならば、弱い矢沢さんは虚像かもしれない。或いはその逆かもしれないんですけどね。缶コーヒーを飲みながら、色々な日常の苦難がある中で「参ったな」と矢沢さんが最後に仰るんですけど、その姿がサラリーマンの代表、弱者の代表として描かれていて。そのCMはすごく伝わったような気がしましたね。

【「伝わる」キャンペーンとは:「なっちゃん」の事例】
玖島:あと、「なっちゃん」ですね。当時、新人だった田中麗奈さんを(CMに)起用しまして。「なっちゃん」というと、懐かしい感じがするというか、郷愁をそそるんですよね。オレンジジュースそのものがそういった懐かしい感じがするんです。昔よく飲んでたジュースだなという。そういった懐かしいイメージと、若い頃の田中麗奈さんはすごくマッチしていて、いかにも「なっちゃん」な感じがしたんです。

望月:全くの新人で、その時にオーディションをしたんですか?

玖島:ええ。九州で多少モデルさんをされていましたが、東京に出てきての第一弾は「なっちゃん」のCMでした。その人となりで「なっちゃん」らしさが伝わったかなと思いましたね。

望月:田中麗奈さんは「なっちゃん」のCMを経て、見事スター女優になられましたね。


玖島:田中麗奈さんのデビューと「なっちゃん」のデビューが一緒だったんです。商品が成熟する一方で、タレントさんも同時に有名になっていったという稀有なケースですよね。商品とタレントさんが同時に世の中に浸透していくというのは例があまり無いと思うのですが。

【心の機微を描くこと】
玖島:最近のテーマは「機微」なんです。深層心理と言うか、人には心の奥にある物があるじゃないですか。それをCMで一瞬でも描けると良いなと思うんです。缶コーヒーのCMには、よく「悲哀」があるじゃないですか。先程お話した矢沢さんのCM以降、そういったCMが増えたんですね。思わず吐いた一言に、真理がある。そういった広告をやってみたいんです。中々難しいのですが。

望月:今やっているものの中では、まだそれは実現できてはいないのですか?

玖島:出来ていないような気がしますね。お得意さんにも「もっと心の機微を出してくれ」とは言われるんですけど、「機微って何だ?」という感じがあって。それって計算して出すものなのだろうかと。

【スポーツマネジメントの仕事について】
望月:電通から、トレードマークという会社を作られていますね。これはどのようなきっかけがあったんですか?
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玖島:今やレッドソックスの大エースの松坂大輔投手が横浜高校から西武ライオンズに入団した時に、「松坂大輔プロジェクト」が電通の社内に出来たんですね。彼を一元管理するという状態になったんです。

望月:当時、松坂投手は大フィーバーして沢山のCMに出ましたよね。

玖島:松坂投手の電通側の窓口の担当を私が担当していたんです。私はスポーツマネジメントに興味があったので、その部分を切りだして独立させて頂いたんです。

望月:それまでCMのお仕事をされていたにも関わらず、いきなりスポーツマネジメントの分野で独立されたと言う事ですか?

玖島:そこまでプロフェッショナルな仕事として確立していない感はありますが、割とプロデュースとスポーツマネジメントというのは近いと思うんです。商品が物なのか人なのかの違いなだけで。松坂投手をどう売りだしていくかと。

望月:視点自体はプロデュースでもスポーツマネジメントでも変わらないのですか?

玖島:変わらないと思いますね。初めて会う世間に対して、触れ合いとして、あくまで広告上の話ではありますけど「この人がこうなっていくと良いな」というのを打ち出す。言い方は悪いですが、出方の悪い広告に出てしまうと、その人のイメージダウンになってしまう。スポーツ選手でも文化人でもそうです。そういった身をマネジメントしていくと言いますか。例えば松坂選手は「平成の怪物」と当時呼ばれていましたね。そういった人達を扱っていくことが出来るというのは、やりがいがあると思います。

望月:今でもそのお仕事はされているのですか?

玖島:松坂選手に関しては、西武ライオンズを退団してレッドソックスに入団した時点で関係は切れてしまいました。大リーグの支配下選手ですので、こちらの手には負えないんです。でも西武ライオンズの選手や当時西部に所属していた方々とは今でも仲良くお付き合いをさせていただいています。

望月:玖島さんは野球がお好きなのですか?

玖島:広島の出身でして。だから、本当は広島カープの大ファンなんです。でも仕事柄西武ライオンズの方々とお付き合いが多かったので、今では西武も大好きです。

【楽曲紹介2】
望月:次のご紹介を頂きたいのですが、今の気分ということで一曲。

玖島:今の時代は閉塞感があると思うんです。行き詰っていて、目標を見失っている。その中で、我先に我先にと「私が正しい。あなたは間違っている」と。政治の世界では特にそうですよね。人の足を引っ張り合っていると思います。そのような風潮が世の中全体に広がっていて、自分の正しさを主張する人がやたらと増えていると思うんです。人にゆとりが無いんでしょうね。私は今、中島みゆきさんとお仕事をさせていただいているのですが、この前コンサートにご招待して頂いたんです。今回の中島みゆきさんのコンサートは素晴らしいもので、特にこれからおかけする曲を聴いて、思わず号泣してしまったんです。「Nobody is Right」という曲で、誰も正しい人なんていないと。そういった曲なんですけど、お聴き頂ければなと。

#2 中島みゆき「Nobody is Right」


望月:この曲はロックな曲ですね。

玖島:すごい詩ですよね。中島みゆきさんは今、フジフィルムの「アスタリフト」という化粧品のCMで松田聖子さんと共演をしていて、私も一緒にお仕事をさせていただいているんです。最初、中島さんとお会いした時は明るいひょうきんな感じの方だったんです。初めてコンサートに行った時には、ビックリしてしまって。歌手中島みゆきの凄さというか。テレビでは(ライブを)拝見したことはあったのですが、生で見るととても説得力があって。この曲は割と昔の曲で、今作られた曲では無いと思うんです。でも今の時代を象徴していて。閉塞感のある時代の中で、皆自分の正義を振りかざす。そんな人が多い世の中に対する警鐘のように聴こえて。コンサートの最後の方に歌われた曲だったんですけど、背筋がゾクゾクするような衝撃を覚えました。

【広告のノウハウと地域貢献】
望月:学生時代に政治を志していたのが、映画をきっかけにCMをやることになり、そのCMで成功されてと。もうこの先やることは無いのではないですか?(笑)
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玖島:最初にも話をしましたが、自分の人生の計算が立たないんです。計算をしているようで、計算をしていないと言うか。ハプニングの連続なんです。今は、元々政治とかジャーナリスティックなものを志していたのですが、もうちょっと社会に対して貢献するといった方面の仕事が無いかなと思っています。今まではずっと広告主のために広告を作ってきたんですが、より民意を反映させるようなものが出来ないかなと。もっと社会と密接に結びついた仕事がしたいんですよね。それは親父の血なのかもしれませんし、自分の人生に方向性が色々あった物をここで結実したいという思いかもしれません。例えば、地方。今、地方主権とか地方分権とか言われていますけど、そんな中で自分の培ってきた広告のスキルを活かして地方からの情報発信が出来ないかなと。今まで商品とか松坂選手のような人が商品でしたけど、これからは県のような地方を商品にして発信できたら良いなと。実は12月の末に鳥取県に支社を作ったんですよ(笑)。鳥取県は人口は59万人しかいないんです。目黒区より少ないんです。目黒区民より鳥取県民は少ないんですよ。失礼かもしれませんが、平均所得も少ない家庭が多くて。おまけに、正月の豪雪で立ち往生をしてしまったり。まるで日本のチベットのような状態なんですよね。中にいる人たちはすごく温かいんですよ。ある縁があって鳥取の人と触れ合う機会があったのですが、話を重ねていくうちに、鳥取を何とかできないかなと思うようになったんです。やがては鳥取に限らず、地方を浮かび上がらせていくようなキャンペーンをしかけていく事が出来たら良いなと。

望月:壮大なキャンペーンですね。

玖島:上手くいけばですけどね。

望月:鳥取がある意味では一番難易度が高いんじゃないですか?

玖島:そうなんです。日本最弱の県からまずスタートすると。その事は鳥取県の人にも言いました。私は広島出身なんですが、中国地方の中でも山陽地方と山陰地方で分かれているんですね。

望月:距離的には近いですよね。

玖島:近くて遠いんですよ。光と影みたいな感じで。僕は割と光を浴びて歩いてきた山陽地方の広島県出身で(笑)。暗いと呼ばれている山陰ですが、実は資源とか鳥取砂丘とか色々な物があるんです。でもそれを発信できてないし、皆の意識の中にもそういったことは中々無い。そういった部分を何とかこれまで培ってきた広告のノウハウを使って、発信していきたいです。

望月:人をそこに呼び込んでいきたいと言う事ですか?

玖島:最終的にはそこに移住定住してほしいという想いがどこの県にもあるんです。地方は人が東京や関西といった都会に出て行ってしまって人口が減っているので。まずUターンをする人には地元の良さを知ってもらいたいなと。あとIターンと言う他県から移り住んでくる方には、実はこんなに良いところがあるんだよというのを分かってもらえるようなキャンペーンをしていきたい。今ある物をそのまま紹介するだけで良い場合もあるし、施設やイベントを上手く組むとかも必要だと思います。フジロックのようなイベントの鳥取版をするとか。注目に値するようなイベントを組んで、発信していく。あと、最近ではB級グルメも人気ですよね。

望月:鳥取で言うところのB級グルメはどのようなものですか?

玖島:「鳥取牛骨ラーメン」と言うのがあって、豚骨じゃなくて牛骨でラーメンを作っているんですよ。結構美味しいんですよ。でも知られていなくて。B級グルメに出展したいとは言っているんですけどね。ただ、ブームと言うのはいずれ去るものなので、その後が怖いんですよ。高知の坂本龍馬ブームがそうですが、ブームが去ったとは閑古鳥が鳴くと。ブームでは無く、ブランドとして確立した継続的なものを作っていけたらなと。僕自身広島に居ながら鳥取のことはほとんど知らなかったのですが、身近なようであまり知られていない県の良さをアピールしていけたらなと思いますね。

望月:会社も作られたという事で、今後はそういった活動に本腰を入れてやっていくのですか?

玖島:これまでの広告の活動とは別の柱として、地域の情報発信を柱にした地域貢献をしていきたいなと思いますね。上手くいくかは分からないですけど(笑)。

望月:今後のご活躍が楽しみですね。プロデューサーとしての視点は全く変わっていないと言う事で。

玖島:商品が物でも人でも県でも、はたまた国であっても同じ視点で描けると良いなと思います。「日本」をプロデュースしたいなというのは当然あるんですけど、そんな大それたことはとても今すぐには出来ないですよね(笑)。

望月:是非、今後は日本をプロデュースして頂きたいです(笑)。

玖島:まあ「地方が変われば、日本が変わる」というんは以前から言われている事ではあるので、地方活性化を頑張っていきたいと思います。

望月:本日のツタワリストは総合プロデューサーの玖島裕さんでした。ありがとうございました。

玖島:色々生意気言ってすみませんでした(笑)。
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