Interview_morimoto of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

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森本 千絵(アートディレクター)

望月:非常に活動の幅が広いですね。

森本:もう自分の仕事が何業なのかが分からないぐらいです(笑)。手当たりしだいと言うのも変ですけれど、色々な仕事に関わらせて頂いています。
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【アートとコミュニケーション】
望月:元々幼少の頃からアートは好きだったんですか?

森本:絵は好きでしたね。ただ全然上手い方ではありませんでした。小さな頃からあまり友達を作るのが上手では無くて、柱の陰から人が遊んでいるのを見てにんまりと笑うような子供でした(笑)。ただ友達になりたいと思った相手には絵を書いて渡したりしていました。そういう意味では絵は私にとってコミュニケーションの手段の一つですね。

望月:すると絵は言葉の代わりだったんですね。

森本:勉強をしても運動をしても褒められる事は無かったんですけれど、絵を書くと周りの人がちょっぴり褒めてくれたんです。

望月:アートを仕事にしていこうと考えたきっかけは何処にあったんですか?

森本:元々父の仕事の関係で芸能の仕事を目にする機会があったんです。父が沢田研二さんのお仕事をさせて頂いていたのですが、私も沢田研二さんのレコードジャケットを手に持って、このレコードの紙の袋はかっこいいなあと部屋に飾ったりして。他にもコマーシャルをじっと見ていたり、食べ物や飲み物のパッケージに反応していました。子供向けのアニメとかよりもそういったものに興味があったんですね。いつか自分の描いた絵がこういったものに使われると良いなと思ったりもしていたのですが、そのまま今まで来ちゃいました。

望月:その頃から今の森本さんがされているようなお仕事を目指していたという事なんですね。

森本:その時はただ単に好きなものに触れていたというだけです。好きな物を嫌いになる事無く、好きで居続けられる環境を両親が作ってくれていたのだと思います。だからこそ、今も好きな物を好きで居る事が出来ているのでしょうね。

【美大生の頃の話】
望月:高校卒業後は、念願叶って美大に進学されるのですね。

森本:当時入学した生徒の中では私は多分最下位だったと思います(笑)。ひょっこり美大に入ってしまいました。

望月:美大に入るのは大変なんじゃないですか?

森本:美大に入るためには絵が描けるだけでは無くて、勉強も出来ないと駄目なんです。学科試験の足切りがあって、その後に絵を描くんですよ。詳しくは皆さんのご想像にお任せしますが、私は絵ばかりを描いていたんですね。だから、絵を描く試験までなかなか進めなくて……(笑)。結果、うっかり入る事が出来たのが武蔵野美術大学の短期大学だったんです。入学後はとにかく好奇心旺盛に色々やりましたね。広告も作りましたし、イベントのビラなんかも制作しました。

望月:その頃から広告に近い事をされていたんですね。

森本:美術館に飾られている絵や「これぞアート!」というものは、こちらから招待をしないと人が見てくれないものだと思うんです。でもどちらかというと私は田舎のおばあちゃんや学食のおばさんに見てもらえるような物を作りたかったんです。ある種庶民的な物のデザインをする事に興味がありました。

【博報堂への入社】
望月:大学卒業後は博報堂に入られたんですね。博報堂は森本さんにとって理想郷でしたか?(笑)
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森本:本当に博報堂は変わった人だらけでした(笑)。あれだけ毎日面白い企画案を考えては会議をするという事を繰り返していると、変わった人達が生まれてくるのかなと。最初に感じたのは、年齢を感じさせない人が多いという事で、誰が何歳なのかが分からないんですよ。

望月:広告業界はそういう人が多いですよね。怪しい人たちと言うか(笑)。

森本:母と同じぐらいの年齢のリーダー格の人に、初恋のようにときめいてしまったりするんですよ!(笑)まるで少年のような人でキラキラしていて。自分の人生そのものを演出していくことに夢中になっているような感じがして、そういった人達が作っているからこそ面白い広告が出来るんだなと現場で実感しましたね。仕事の中身よりもまず圧倒されたのは、そういった意味でも「人」でしたね。

【アートディレクターの仕事とは】
望月:博報堂ではアートディレクターのお仕事をされていたとの事ですが、そもそもアートディレクターの仕事とはどのようなものかをお教え頂けますか?

森本:普段皆さんが目にしたり手に触れたりする広告界隈の物に関して、商品やサービスを作っている広告主からの依頼を受けて、それらをプラス0.5以上(の印象)の物に変えてあげる事ですね。商品のメッセージについてポスターのような視覚や、本やパッケージの場合は肌触りも含めて、五感で感じる物についてデザイン面から形にしていきます。そして、最終的には皆さんが普段通りすぎているポスターなどの形になります。少しでもその商品が売れるように、そういった事柄を考えて解決策を提案していく仕事がアートディレクターの仕事です。

【楽曲紹介1:思い出のCMソング】
望月:一曲、思い出のCMソングをご紹介頂けますか?

森本:松田聖子さんの「SWEET MEMORIES」を。この曲はサントリーのCANビールのCMソングだったのですが、CMのアニメーションのペンギンが物凄く可愛いかったんです。それにペンギンなのに凄く人間っぽくてエモーショナルに見えて、当時の私には衝撃的だったんですよ。親に頼んで、そのペンギンが出てくる映画にも連れて行ってもらいました(笑)。他にもペンやお弁当箱とかのグッズを学校に持っていったりしました。最近27年の時を経て、サントリーのボスのホットシルキーブラックのCMで松田聖子さんとペンギンが再び共演を果たしたばかりなのですが、もしよろしければ聴いてみてください。

#1 松田聖子「SWEET MEMORIES」


【心が動くという事】
望月:博報堂に入って、最初に印象に残った仕事とはどのようなものでしたか?

森本:最初の内はCMの絵コンテ作りとかをひたすらやっていたんです。その後、最初に私がデザインの仕事で行ったのはMr.Childrenさんのベストアルバムでした。いきなり沖縄に行って、沖縄中の人達と一緒に一晩かけて27メートルぐらいの防波堤にひたすら歌詞を指で書いて帰ってくるという。それがアルバムのポスターになりました。沖縄の人達と一緒に防波堤にテントを張って、ひたすら指で歌詞を書いたりご飯を一緒に食べたり星を眺めたりするのはただただ楽しかったんです。この事を早く皆に伝えたい。この広告が東京の街中に早く現れると良いなと言う気持ちになりました。結果的にこの広告は広告賞なども獲る作品になりましたが、賞を取ろうとか上手い広告を作ろうという気持ちは全く無かったんです。それまで私は広告と言う物を難しく考えていたのですが、完全にその数日間は出会った人達に心を奪われてしまって、その中で生まれた作品だったんです。自分の気持ちが動いて、その上でちゃんと(作品を)作る事が出来ましたね。

望月:やはり純粋な気持ちで作る作品というのは、強い物が生まれますか?

森本:そうですね。一生懸命生きる中で、自分も含めて幸せになろうという気持ちを持って、「だからこそ、こういうメッセージが欲しい」とか「こういう風に笑って生きていきたい」とか「こういう企業に寄り添って、応援していきたい」という気持ちがよりリアルに感じられる物の方が、より強く人に届ける事が出来るという自信はありますね。私も普通に日常に色々な事があって生きている人間の一人で、結果的に自分の生活に戻ってくる物として(商品を)考えた時に、そこにどういったメッセージが乗せられている物が欲しいかと考えるんです。だから、作家がアートを届けるのとは違うんです。そういう気持ちで仕事と向き合う事で、心が動く。そういった仕事が大半ですね。

【goen°設立のきっかけ】
望月:博報堂を経て、その後goen°(ゴエン)という会社を設立されていますが、これはどのような経緯だったのですか?

森本:先程お話した事とも関わってくるのですが、どういう物が世の中にあったら良いだろうと考えた時に、まずどう考えてもテレビでも新聞でも明るい気持ちになる事の出来ないニュースが多いと思ったんです。そういう事を何とかできないかなと考えていた時に、新聞協会さんから、若い人にも新聞を多く読んでほしいから新聞広告を打ちたいという依頼があって。でも新聞に広告を打っても、新聞を読んでいない若い人には届かないのでテレビや雑誌なども使った仕組みを考える事になったんです。実は新聞ってよく探すと幸せな気持ちになる事の出来るニュースが沢山あるんですよね。
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そこで、そういった記事だけを切り取って集めた「HAPPY NEWS」という本を作ったんです。またハッピーなニュースを募集し、称えるという授賞式も開催しました。
このキャンペーンは6年近く続いているのですが、これまではあまり気付かれる事の無かった新聞の記事がテレビなどでも注目されるようになったんです。急に有名になっちゃったおばあちゃんが居たり(笑)。駄菓子屋のおばあちゃんなのですが、足が悪くてゴミ出しが出来ないんですよね。そこでそのおばあちゃんの代わりに近所の少年が進んでゴミ出しをしていると。そのおばあちゃんと少年の間の絆が話題になって、沢山報じられたんです。何の変哲も無いおばあちゃんと少年の話なんですけれど、そこに全国の人が反応してくれるというのが捨てたものじゃないなと思うんです。昔、その駄菓子屋に通っていた子供がその記事を見ておばあちゃんに久々に会いに行ったという話もあったりして。そのおばあちゃんは広告やアートディレクターの仕事が何なのかと言う事は良く分からないんです。でも私にそのおばあちゃんは「あなたの仕事は、ご縁なのね」と仰ったんですよ。その時に、もし自分が誰かに対して少しでもプラスを与えて上げる事の出来る中間層的な立場の人間だとするならば、確かに自分の仕事は「ご縁」を作る事なのかもしれないと思ったんです。その時に、この「ご縁」という言葉を大切に受け止めて、持って帰ろうと決めたんです。「ご縁」という言葉が、私の心の中にガチャっとはまったんですね。Mr.Childrenの「HOME」というアルバムの仕事をしていた頃なのですが、祖母が他界する際に色々なやり取りを通じて「命とは何か」を考えたりもしました。私の前には母が居て、その前には祖母が居るという命の繋がりを人生の中で実感した時期だったんです。「HOME」というアルバムはそういう思いの中で作ったアルバムだったんです。
個人の当たり前の出会いにも「この人に出会わないと、ここには出会えない」という繋がりがあると思うんです。そういった繋がりの「線」の視覚的なイメージも心の中にしまいこんでいたんです。その時、「ご縁」という言葉と「線」の繋がりのイメージが自分の中で反応しあったんです。そこで「HOME」というアルバムが人の手に届く春の季節を迎える時に、「goen°(ゴエン)」という名前の会社で、例えば病院や保育園といった生活に近いデザインも含んだ仕事をやっていこうと思いました。何かあった時にも「ご縁」という言葉に立ち戻って、ぶれる事無くやっていきたいと。元々知ってはいた言葉だったのですが、改めて「ご縁」という言葉に感動をして会社名に据える事に決めて、独立をしたんです。

望月:「HOME」というアルバムの裏にはそんな出来事があったんですね。

森本:誰にでもある出来事ではあると思うんです。でも、そういった当たり前の出来事でもガラッと角度を変えると奇跡のような事に感じられる瞬間があって、それが私は好きで心を動かされるんです。そうして作ったのが「HOME」です。

Mr.Children 「HOME」
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望月:森本さんはもはや一般的なアートディレクターの枠ではとらえる事の出来ない方ですね(笑)。むしろ、人と人を繋ぐコミュニケーションデザイナーであるように感じられるのですが、その部分も含めて設計をされていくのですか?

森本:実は「コミュニケーションディレクター」という肩書を名乗らせて頂く事もあるんですよ。その上で手に業という訳ではないですが「アートディレクター」や「デザイナー」という肩書を使います。後は個人としては「アーティスト」と名乗る事もあります。だから、肩書がどんどん増えてきているんですよ(笑)。

【楽曲紹介2】
望月:この辺りで2曲目を紹介して頂けますか。

森本:先程「SWEET MEMORIES」を紹介させて頂きましたが、私も実はキュンとするようなキャラクターを作りたいなと思っていて。そこで私が携わらせて頂いたユニットであるキマグレンの「あえないウタ」を。

#2 キマグレン「あえないウタ」


望月:この曲は大ヒット曲となった「LIFE」の一つ前の曲ですよね。良い曲ですねえ。

森本:ええ。シンプルですが良い曲ですよね。心にグッとくるものがあります。ここからキマグレンさんとは付き合わせて頂いているのですが、この曲が私には一番響く曲です。歌を届ける事が出来るって良いなあって思いますね。

【自分の思いを表現する事】
望月:森本さんは「コミュニケーションディレクター」「アートディレクター」という立場と「アーティスト」という立場がある方だと思うのですが、森本さんは自分の中から何かを生み出したくて仕方が無い!というタイプの方ですか?

森本:いえ、違いますね。私は物を作るという事に関しては本当に小さい頃から中間業なんですよ(笑)。例えば誰かのためにバースデーカードを作るとか、そういったおもてなしや余計なお節介がしたいんです。だから私はおばあちゃん達と気が合うんです(笑)。日頃、Mr.Childrenさんなどのアーティストの方々や作詞家や作曲家の方々とお仕事をさせて頂く事があるのですが、そういった方々には本当に敬意を払っています。ゼロから本当に何かを表現したくてぽんっと生まれた物が人の皮膚にしっかりと伝わって、誰かの人生に大きな影響を与える一曲になったり、誰かがそれを聴いて涙を流すような一曲になるような音楽を作りだすアーティストの方や、神様から恩恵を受け目には見えない心に必要な物を作る事の出来る人達と言うのは一緒に仕事をすればするほど尊敬をする人達です。私もいつかああいう風になれたらといつも思うんです。愛を叫んだりとかしてみたいですね(笑)。

望月:そんな森本さんの魂の叫びが初の作品集「うたう作品集」には込められているんですね。

森本:そうなんです。これは誰かにとってでは無く、私にとっての「歌」だなと思っていて。一生懸命生きてきて幸せになるために出会ってきた人達や感じてきた事柄と言うのが全部仕事に繋がっているんです。それがたとえ小さな仕事であっても、確実に刻まれてきているんです。それらの制作過程を一つ一つ綴っていこうと思ったんです。
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でもいざ綴っていこうと思った時に、それらを「作品集」と言ってしまうと世の中にはもっと優れたアートディレクターの方が沢山いますし、自分は作家と言う訳でもないし、広告なので誰かの作品であって私が描いた絵でも無い訳です。それでもこの思いを伝えたい!と思った時に初めて歌ってみたいと思ったんですよね。そこで「うたう作品集」という事にして一つ一つに譜面を付けて、一つ一つ歌を届ける気持ちで作ったんです。正直あまり頭いい事書いている訳でも無いのですが、「愛」や「体」など八章に分けて、年代別では無く「思い別」にソートをしてまとめたんです。

望月:一つ一つの作品に丁寧に解説が付けられていて、そこにすごく思いが込められているなあと思うんですよ。読んでいるだけでも、その背景がしっかりと伝わってきます。

森本:ありがとうございます。一生懸命歌いました(笑)。

望月:実はページ毎にパラパラ漫画のようにして譜面が付いているんですよね。パラパラ譜面?と言うべきでしょうか。それが一つの曲になっていて、しかもその曲を坂本美雨さんが書き下ろしているというのがまた素敵ですね。

森本:頼りない私の初ステージを、周りの多くの人に支えてもらったという感じです。私は照れ屋なので(笑)。沢山の人に助けて頂きました。

【今後の活動について】
望月:今後、森本さんはgoen°という軸を基本に、どんな活動をしていきたいと考えていらっしゃいますか?

森本:やはりあまり遠くを見るというよりは、身近なところからしっかりと感動を届けていきたいですね。ちゃんと愛し合える距離感というか。そういったものを大事にして、それが波紋のように広がっていってやがて遠くの人にも届く。そういうスタンスは変えずに頑張りたいですし、もっと磨きたいですね。あと、隣の人を幸せにしたいのに自分が幸せで無いのでは笑いを生む事は出来ないと思うんです。だから、やはり心身ともに感情が健やかであるためにはあらゆる努力をしたいです。例えば、良い音楽を聴いたり良い景色を眺めたりと言う事もそうですね。また最近では保育園を持つ事が出来たのですが、他にも独立のきっかけにもなった病院のように、生活に近くて触れなくてはならない場所に早めに自分のデザインを活かしたいですね。未来の私が今の私を待っていてくれるような仕事をしていきたいです。

望月:これからも良い「ご縁」で良いお仕事を続けていってください。本日のツタワリストはアーティストでアートディレクターの森本千絵さんでした。ありがとうございました。

森本:ありがとうございました。

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