Interview_ichikura of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

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一倉宏 (コピーライター)

【幼少期について】
望月:一倉さんは、どのような子供だったのですか?

一倉:別に草食系という訳では無かったですけど、今にして思うとその頃から言葉に対する興味は強かったと思います。あと、背が低かったです(笑)。
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望月:本が好きな少年という感じですか?

一倉:父親が読書好きでして、その影響が大きかったですね。僕の親は商売をやっていたのですが、商売人の家にしては壁一面に本がぎっしりあったんですよ。

【コピーライターを志したきっかけ】
望月:一倉さんがコピーライターを志したきっかけはどのようなものだったんですか?

一倉:元々言葉に関する仕事がしたいと思っていて、色々調べている時に「コピーライターという仕事があるらしい」という事を知ったのがきっかけですね。就職活動の時には、ずっと「コピーライター志望」という事を口にしていました。

望月:読者が好きな人は小説家や記者を目指すイメージがあるのですが、一倉さんは違ったのですか?

一倉:小説家というのは職業では無いので、小説家になろうとは考えていなかったですね。そこだけはちゃっかりしていたみたいで(笑)。編集者になる事を考えたこともありましたが、編集者は物書きでは無いので、自分のやりたい事とはちょっと違っていたんです。
その点、コピーライターは自分で考えて言葉を書く事を仕事にする広告という職業であると。「これは自分に向いているんじゃないか?」と思いましたね。

【広告を社内制作していた時代】
望月:就職活動の際には、どのような会社を受けられたのですか?

一倉:広告代理店は、一通り会社説明会には行きましたね。あと、サントリーは伝統的に宣伝部という社内制作の部署があったので、選考を受けました。

望月:そうして、見事サントリーの宣伝部に入られた訳ですね。当時のサントリーは社内で全ての広告を作っていたのですか?

一倉:全ての広告を作っていた訳ではありません。僕らの頃にも、すでに数割程度でした。
残念ながら、いまではサントリーの広告はほぼ外注になってしまいましたが・・・・・・。

望月:社内に制作部署がある会社と言えば、他には資生堂が有名ですね。

一倉:資生堂さんは、いまでも社内に制作スタッフを抱えていますね。そもそも日本の企業の間で広告代理店に広告制作の業務がアウトソーシングされるようになったのは戦後の高度経済成長期以降の事で、歴史的にはむしろ最近の事なんですね。それ以前は色々な企業がそれぞれにコピーライターやデザイナーを抱えていて、社内で宣伝物を制作していたんです。

【サントリー宣伝部時代の思い出】
望月:サントリーの宣伝部は、どのような雰囲気だったのですか?

一倉:昔は「寿屋」と呼んでいたのですが、サントリーの宣伝部には作家の開高健さんや山口瞳さんなどが在籍していて、コピーライターとしても活躍されていたんですね。
だから、社内の中でも伝統ある部署という感じではありました。ただ、雰囲気は自由で、皆サラリーマンらしいサラリーマンでは無かったですね(笑)。厳しい先輩も居るには居ましたが、楽しかったです。

望月:ご自身のデビュー作品はどのようなものでしたか?

一倉:新人の頃は、新製品が出る度にチラシを作ったりしていました。どこからがマス向けの作品と言えるのかは難しいのですが、初期のコピーで今も残っているものを一つ挙げるとすれば、サントリーのバレンタインキャンペーンで書いた「愛のあかしに、ベビーをあげる。」というものですね。「バレンタインには、チョコレートではなくベビーサイズのブランデーを贈ってみては?」というメッセージを込めた広告だったのですが、割と評判が良くて、このコピーでTCC(東京コピーライターズクラブ)の新人賞を受賞することが出来ました。

【楽曲紹介1:思い出のCMソング】
望月:このあたりで「思い出のCMソング」をご紹介頂けますか?

一倉:先ほど話にもあった通り、僕ら世代の若い頃はサントリーと資生堂は非常に目立っていた訳ですが、その中でも資生堂さんのCMソングはヒット曲が目白押しだったんですね。そのうちの一曲で「ゆれるまなざし」という曲をお聴きください。

#1 真行寺君枝「ゆれる、まなざし」


望月:この曲が使用された資生堂のCMは、60秒CMだったんですね。

一倉:当時は、平気で60秒CMを流していたんですよね。今からすると、時代を感じるところでもありますね。

【原始的なコピー】
望月:一倉さんの代表作の一つに、サントリー・モルツの「うまいんだな、これがっ。」というコピーがありますね。これはどのような背景で生まれたコピーなのですか?

一倉:実は、私はモルツが新発売になった時からずっと宣伝を担当していたんですよ。アサヒ・スーパードライが発売になった時には、「私は、ドライではありません。」というキャンペーンをしたりもして(笑)。その後、当時電通で売り出し中だったプランナーの佐藤雅彦さんと組んで、新しいキャンペーンをやる事になったんです。

望月:佐藤さんが次々とヒット作を手がけていらした頃ですね。

一倉:佐藤さんと組んで生まれたのが「モルツモルツモルツモルツ……」と、商品名を連呼するCMで。佐藤さんの事は「ポリンキー」のCMなどで僕も知っていたのですが、この企画を聞いた時には、僕は正直「えっ?」という感じだったんです。僕はコピーライターですので「私は、ドライではありません」のように、上手いコピーを書きたくなる訳です。それが佐藤さんの手にかかると、ひたすら「モルツモルツモルツ……」と。

望月:佐藤さんワールドですね。

一倉:佐藤さんが仰っていたのは「広告賞やコピー年鑑には載らないようなコピーを書いてください」という事でした。そこで、上手いコピーを書こうとはせずに、もっと原始的なところに立ち戻って考えてみようと思って書いたのが「うまいんだな、これがっ。」だったんです。

【「きれいなおねえさんは、好きですか」という着眼点】
望月:松下電工の「きれいなおねえさんは、好きですか」というコピーは、非常に印象的でした。

一倉:このコピーは10年以上使われたので、目にした方も多かったのかもしれませんね。

望月:10年ですか!

一倉:初代CMにご出演頂いた女優さんが水野真紀さんで、2代目が松島菜々子さんでした。その後、仲間由紀恵さんにも4代目としてご出演頂きました。
#「きれいなおねえさんは、好きですか」(水野真紀)

#「きれいなおねえさんは、好きですか」(松嶋菜々子)

#「きれいなおねえさんは、好きですか」(仲間由紀恵)

望月:このコピーはどのようにして生まれたものだったのですか?

一倉:当時、女性向けの美容器具は「肌がすべすべになります」というような機能訴求をしても手応えが今一つだったんです。そういった美容器具を一まとめにした上で、新しいブランドを作る事は出来ないか?というところから出発し、始まったのがこのキャンペーンでした。

望月:一倉さん自身は、そういった美容器具はお使いにならないですよね。そういった時は、どのようにしてコピーをお考えになるのですか?

一倉:こういった美容器具は、普通に広告を考えようとすると「20%機能改善!さらに肌がすべすべに」といったようなものになりがちなんです。
しかしあくまでそれは部分的な事なので「そうじゃないだろう」と、もっと全体を見て考えるようにしました、「きれいなおねえさん」って、幼稚園時でも好きなんですよね。そして、大人も「きれいなおねえさん」は好きですよね(笑)。そして、この商品は女子中高生にも売れるのですが、彼女たちも「きれいなおねえさん」は好きなんですよ。
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もちろん、おねえさんはおねえさんでもっと「きれいなおねえさん」になりたい訳です。つまり「きれいなおねえさん」は老若男女問わず、みんな好きなんだと(笑)。その点を打ち出した事で、商品もキャンペーンも社会にも受け入れられるものになったのかなと思います。

望月:コピーを書くときというのは、それが世の中の人に伝わり、何らかの反響があるというところまで想像して書くのですか?

一倉:勿論そうです。そのために、メディアの露出量というのも考えます。「モルツ」の場合は大量にCMが繰り返され、子供でも商品を覚えるぐらいでした。「きれいなおねえさん」のキャンペーンも、それなりに露出量がありました。
露出量を考慮して「これは伝わるな」というのは計算しますし、量が少ない場合には可能な限り早く伝わる方法を考えます。それがコピーライターの役割ですから。

【吉永小百合と「AQUOS」】
望月:吉永小百合さんが出演されている、シャープの「AQUOS」のCMはロングシリーズになっていますね。

一倉:液晶テレビが初めて世に出たのが2000年です。その時からスタートしたシリーズなので、11年目になりますね。

望月:出演されている吉永さんは、まさに唯一無二な女優さんですよね。吉永さんが出演されるCMのコピーを書くというのは、難しい作業ではありませんでしたか?

一倉:「AQUOS」に関して言えば、吉永さんの存在自体がブランディングを担った部分がとても大きかったと思います。どのコピーが、と言うよりも、吉永さんに柱になって頂いたCMと言えますね。

【「MY FIRST AOMORI」キャンペーンについて】
望月:JR東日本の「MY FIRST AOMORI」は、多くの人に青森の魅力を認識させるキャンペーンになりましたね。

一倉:このキャンペーンの大枠はCMプランナーの高崎卓馬君が組み立ててくれたもので、僕の役割は全体を貫くスローガンを作るという物でした。
そこで、高崎君と僕とで実際に青森に行きまして、感じた印象をお互いに話したりもしていました。僕の方からは、割と早い段階で「こんなスローガンはどうだろう」と案を出したりして。

「MY FIRST AOMORI」は東北新幹線の新青森が開業したということで展開したキャンペーンなのですが、それ以前から青森を盛り上げようという動きがあって、高崎君は一年に渡って何度も青森に行っていたんですよ。そうして作った一年分のCMシリーズをまず青森でオンエアし、それをまとめて秋以降から東京でも流し始めたんです。

【コピーを書くプレッシャー】
望月:一倉さんはどのようにしてキャッチコピーをお考えになるのですか?

一倉:直感ですね。商品の研究もしない訳ではないですが、勘は大切です。

望月:クライアントのオリエンの段階で、既に直感が働いていたりもするのですか?

一倉:話を聞いてすぐにコピーが浮かぶこともありますし、ギリギリになって浮かぶこともあります。そこは色々ですね。

望月:コピーを考えている間というのは、物凄いプレッシャーがあるのではないですか?

一倉:どの仕事にもプレッシャーというのはあると思いますが、広告の場合に関して言うと、クライアントの持つ広告への期待と言うのは物凄く大きい訳です。当然、広告会社はクライアントからお金を貰っていますから、その期待に応えるだけの成果を上げないといけない。こちらからしたら、プレッシャーにならない訳がないですよね。

望月:全てのキャンペーンが成功すれば良いのですが、失敗してしまう場合と言うのもありますよね。

一倉:あまり失敗については、コメント出来ないのですが……(笑)。本当に失敗した時は「すみませんでした」と謝るしかないですよね。もっとも、二度と声がかかる事は無いでしょうが(笑)

【歌とキャッチコピーの関係】
望月:最近のお仕事に「家に帰れば、積水ハウス。」という積水ハウスの企業広告がありますね。今回の積水ハウスの広告は、コピーだけではなく歌があるのですね。

一倉:積水ハウスは昨年50周年を迎えたのですが、それにあたって1970年代の積水ハウスの企業広告に使われていた小林亜星さん書き下ろしのCMソングを、もう一度CMに使えないかという話があったんです。そこで楽曲を現代風にアレンジして、村上ゆきさんというアーティストの方に英語で歌ってもらいました。その後、日本語の歌詞も付けさせて頂いて、そちらも歌ってもらいました。

望月:歌にのせて伝えられる事で、キャッチコピーの印象が変わってくるということもあるのではないですか?

一倉:CMの仕事をしていると、音楽の強さは強く感じますね。自分がCMの仕事をやる時には、僕は絶対に単純なタイアップはしないんです。コピーライターはCMのバックに流れる曲の歌詞にまで責任を持つべきだと思っているので。だから、曲が必要な時には歌詞はほとんど自分で書きますね。

【楽曲紹介2】
望月:一倉さんは、積水ハウスのCMソングを歌われている村上ゆきさんに、歌詞を提供されているそうですね。

一倉:最近はシャープの「AQUOS」のCMの曲にも、自分で歌詞を書くようにしていまして。そうして「AQUOS クアトロン」の新発売の時に作った「COLOURS」という曲を、村上ゆきさんに歌って頂いております。村上ゆきさんのニューアルバムにも収録されているので、皆さん是非チェックしてみてください。

#2 村上ゆき「COLOURS」


【コピーライティングと作詞の違い】
望月:6月8日にリリースされた村上ゆきさんのアルバム「Watercolours」には、一倉さんが作詞された楽曲が4曲収録されていますね。作詞とコピーライティングというのは、やはり別物ですか?

一倉:今回作詞した4曲のうち3曲はAQUOSのCM用に書いた詞でして、それをフルサイズに引き延ばしたものなんです。CM用に歌詞を書くときは長くとも30秒を想定して、その中でいかにメッセージとして機能するかを考えるので、その点はコピーライティングとあまり変わらないですね。
ただ、そこから先は自由です(笑)。アーティストと相談しながら、いかにイメージに合った歌詞を書き、曲を作り上げていくかを考える訳ですが、やはり作詞とコピーは似ているようで違うものだと感じますね。

望月:コピーや広告の場合はクライアントからの厳しいチェックがありますが、作詞の場合はそこまででは無かったりもしますよね。

一倉:CM用に書き下ろした部分はクライアントのチェックが入るので、広告の仕事とあまり変わらないんです。ただ、CMに使わない部分の歌詞を書くのは、そのアーティストのためだけの仕事になるんですよね。チェックの仕方には、違う部分も沢山あると思います。

【アーティストとCMのWIN-WINの関係とは】
望月:CMのバックに流れる音楽の歌詞にもコピーライターは責任を持つべきだというお考えは、昔からお持ちだったのですか?

一倉:先ほどお聴き頂いた真行寺君枝さんの「ゆれる、まなざし」という曲のタイトルは、実は資生堂さんのキャッチコピーから採ったものなんです。70年代から80年代にかけての資生堂さんのCMソングは本当に名曲ぞろいで、矢沢永吉さんの「時間よ止まれ」、堀内孝雄さんの「君のひとみは10000ボルト」、忌野清志郎さんと坂本龍一さんのコラボシングル「い・け・な・いルージュマジック」といった曲もタイトルはすべて資生堂さんのキャッチコピーからつけられています。
#「時間よ止まれ」矢沢永吉

#「君のひとみは10000ボルト」堀内孝雄

#「い・け・な・いルージュマジック」

これらの曲というのは、CMの世界観に完全にマッチしていますし、アーティスト本人にとってもスタンダードナンバーとして後に残るものになっていますよね。

望月:確かに今挙げられた曲は、どれもCMソングであったという事を知らなくても自然に聴ける名曲ばかりですね。

一倉:当時の広告業界と音楽業界は、互いにWIN-WINの非常に良い関係だったのではないかと僕は思っているんです。一方で今の時代のタイアップは、CMの内容とは全く関係ない曲が多いんですよね。単にアーティストが次に切るシングルを流しているだけという事がよくあります。

望月:全然映像に合っていないような曲が平気で使われていることもありますよね。何故、このような事態になってしまっているのでしょうか?

一倉:村上ゆきさんに「AQUOS」の曲をお願いしている理由は、彼女がこちらの意図を非常に尊重してくれるCMソングのプロだからなんです。一方で彼女にとっても、書いた曲が作品として後に残っていくという良い関係を築く事が出来ているのではないかと思っています。
しかし、ほとんどのミュージシャンは「キャッチフレーズを歌い込んでほしい」というお願いは拒否しますし、「CMの世界観に合ったキーワードを曲に入れてほしい」とお願いしても、それに合った言葉なんてほとんど曲には入れてくれないんですよね。
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アーティストの立場が強くなったのか、それとも彼らがCMを単に自分の作品を露出する場としか考えていないのかは分かりませんが、僕はそういうアーティストの作品はCMに使うべきではないと思っているんです。本当はもっと互いに協力して、CMの世界観を作っていく事が出来ればよいのですが……。

【斎藤和義「ずっと好きだった」が出来るまで】
望月:一倉さんは斎藤和義さんともコラボレーションされていますね。

一倉:斎藤和義さんには元々、ゼクシィのCMソングとして「ウエディング・ソング」という曲の30秒バージョンを歌ってもらったんです。この曲は彼の方から「フルバージョンを作りませんか?」と言われたので、フルの詩を書いて、発表しました。
#「ウエディング・ソング」

その後も何曲か彼に詩を書いたりしているうちに互いに信頼関係が出来まして。そこで、彼に資生堂の「IN&ON」という商品のCMソングをお願いすることにしたんです。自分で詩を書くのではなく、完全に彼に任せてみようと。ただ、「IN&ON」のCMは、かつてのアイドルたちが40代になって再登場するという内容のものだったので、単にお願いするだけではなく「『20年ぶりに、かつてのクラスメイトに同窓会で会った』という内容のラブソングを書いてほしい」という注文をした上で、曲をオーダーしました。そうして出来あがったのが「ずっと好きだった」という、シンプルでロックな同窓会ソングだったんです。
#「ずっと好きだった」

望月:あのCMは、かつてCMソングが華やかだった時代を思い起こさせられるものでした。裏には一倉さんが居たんですね(笑)

一倉:あのCMは、かつて僕らが好きだった資生堂のCMへのオマージュのつもりで作ったという面があるんです。斎藤和義が武道館で「ずっと好きだった」を初披露した時、「この曲、コマソンっぽいでしょ?」と言ったんです(笑)確かに、彼にしてはコマソンっぽい曲ではあるのですが、すごく良い曲だし、CMの世界観にも合っていたと思うんです。

望月:まさにWIN-WINの関係ですね。

【これからの活動について】
望月:これから一倉さんはどのような事をやっていきたいとお考えですか?

一倉:僕の職業はコピーライターなので、基本的にはその延長線上ですね。コピーは仕事ですので、そこはしっかりと(笑)。音楽に関しても、村上ゆきさんとの繋がりなどがありますし、そちらもやっていきたいですね。
自分で歌詞を書くかどうかというのは、実はあまり関係ないんです。村上ゆきさんに対しては歌詞を提供しますし、斎藤和義の場合は彼の言葉で自分のやりたい事をやっていきます。
他にも「MY FIRST AOMORI」のお話が出ましたが、CMソングを提供してくれた槇原敬之さんは、しっかりとこちらの意図する世界観を分かってくれるソングライターなんですね。曲の中にちゃんと世界観に合ったキーワードが入っているし、それでいて彼らしい曲を仕上げてくれるんです。僕はそういった曲こそが、良い意味でのCMソングだと思っていて。だから、そういう音楽との関わりというのはとても楽しいですし、これからも続けていきたいですね。

望月:これからの活動にも期待しています。本日のツタワリストはコピーライターの一倉宏さんでした。ありがとうございました。

一倉:ありがとうございました。

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TODAY'S EISUKE MUSIC SELECTION