Interview_kuranari of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

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倉成英俊 (クリエイティブ・ディレクター/CMプランナー/コピーライター)

【発明家の夢】
望月:倉成さんは、どんな子どもでしたか?

倉成:小学生の時は発明家になりたいと思ってました。小学一年生の時に、学校で「将来の夢文集」を書いたんですよ。その時、皆「パイロット」「プロ野球選手」と書くものだから、そこはあえて外してやろうと思って何を思ったのか「発明家」と(笑)。
大人からは「珍しい」と褒められまして「自分は将来、発明家になるのか」と、自分で書いた文集に引きずられて、理系に進みました。
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望月:倉成さんは東大の機械工学科を卒業され、大学院に進まれていますよね。正に理系の極地というイメージですが、何か発明はしましたか?

倉成:特に何も発明できなかったです(笑)。大学で特に勉強もしていなくて。でも発明家になりたいという思いだけは続いていたので、大学院で勉強すればいいかと後伸ばしにしていたという感じですね。

【理系から文系へ】
望月:倉成さんは電通に就職されるわけですが、理系から文系に転じるきっかけはあったのですか?

倉成:7歳から22歳まで「発明家になる」という夢を持って一直線に進んできたのですが、大学4年の夏に「ちょっと立ち止まってみるには今が最後の機会かもしれないな」と思ったんです。
理系だったので大学院に進むことにしていたのですが、周りの学生もやはり8割方大学院に進むと言っていて。「俺は発明家になるから大学院に進むのに、お前らも皆行くのかよ!」と、ちょっと偉そうかもしれないですけど思ってしまって(笑)。そうして色々考えていくうちに「デザインって面白そうだな」と思って、多摩美やムサビの募集要項を本屋でぱらぱら読んだりしたんですけど、デッサンが出来なくては駄目だと分かって「デッサンか……」と(笑)。

望月:美大生にはデッサンは必需ですよね。

倉成:これは無理だと思って同じ棚を見まわしてみたら、コピーライターになるための就職本のようなものがあったんです。コピーだったら少なくともデッサンよりは出来る可能性があると思って読んでみたら、当時電通に所属されていた神谷幸之助さんが載っていたんです。TCC新人賞受賞とか色々書いてあって、へえと思ってプロフィール欄を見てみたら「機械工学科卒」と書いてあって「居た!」と(笑)。
そうして神谷さんの4ページをむさぼり読んで、宣伝会議のコピーライター養成講座に通っていたと書いてあったので「自分も通ってみるか」と。

#神谷幸之助さん
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望月:コピーライター養成講座には実際に通われたんですか?

倉成:通いました。通い始めて最初の講義が眞木準さんの講義だったんですけど、その講義がダジャレを含めてそれはそれは面白くて。眞木さんのコピーは面白いものが多かったですし、ポルシェに乗っていたそうですし(笑)。
メーカーに入ってエンジニアになってアイデアで生活を面白くするよりも、コピーの方が手っ取り早いんじゃないかと思ったんですよ。そこで眞木さんにどうすればコピーライターになれますか?と聞いて、コピーライターになるための5つの方法を教えてもらったんです。
まずは代理店か制作会社に入ること。ただし、これはどちらも倍率が高いぞと。いきなりフリーを名乗ってもいいと。また、社内に制作部署を抱えている会社もあると。
そして5つ目の方法は、誰かの奴隷になることだと(笑)。奴隷という手があったかと思って「眞木さん、奴隷採ってないですか?」と聞いたら「この間、採っちゃったんだよね?」と言われて。それからは講師に来られる方のアシスタントになれないか模索してましたね。

望月:講師の方の奴隷になることはできましたか?

倉成:いえ。奴隷って意外と難易度高いんですよ(笑)。
事務局の方にフリーの方だけチェックしてもらって、そのリストを元にフリーの人とは必ず飲みに行ったり、課題を送れてわざと事務所に出したり、A4の課題をB4で出したり、10本の課題を100本出したりしたんですけどね。いま考えると非常に小賢しいのですが……。それがいけなかったのかもしれないですね(笑)。

望月:努力の甲斐あって、見事電通に入社されたわけですね。

【入社一年目で広告賞受賞】
望月:倉成さんは電通のクリエイティブ局でコピーライターとしてキャリアをスタートされていますね。最初はどんなお仕事をされていたのですか?

倉成:まずはメンターと呼ばれているトレーナーの方と一緒に仕事をさせてもらったりしました。後、今でもそうかは分かりませんが、最初の一年は何でもいいから広告賞を取るようにと時間を沢山もらえましたね。
だから中の良いアートディレクターと三カ月ぐらい会社に泊まり込んで、朝日広告賞読売広告賞毎日広告賞といった新人の登竜門から宣伝会議賞、広告批評がやっていたラジオCM大賞を目指して、そればかりずっとやってましたね。

望月:成果は上がりましたか?

倉成:スーパービギナーズラックで2つグランプリで1つ準グランプリだったんですよ。受賞金で450万円貰って山分けしました。

望月:そんなに貰えるものなんですか!

倉成:グランプリ1つが200万で、準グランプリが50万だったんです。

望月:それは楽しかったでしょうね。自分は広告の世界でいけるんじゃないか?と思ったりはしましたか?
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倉成:受験なんかと一緒で賞取りゲームに近いものがあったんですよね。時間もエネルギーもかけて、努力した方だとは思うんですけど、やっぱりビギナーズラックだなと思って。
僕たちが3カ月泊まり込んで、賞を獲ってわいわい騒いでいる間、賞はとりあえず置いておいて現場をやっていた人たちは地道にボディコピーを書いたり、コンペを通したりしていてその分のスキルを貯め込んでいたんです。やっぱりそういった人達はその分先へ行きましたし、1年目の終わりに僕も浮かれているわけにはいかないなと思いましたね。

【楽曲紹介1】
望月:このあたりで一曲、思い出のCMソングをご紹介頂けますか?

倉成:では藤山一郎さんの「丘を越えて」を。この曲はトヨタ・スターレットのCMで「かっとびスターレット」というコピーで使われていました。このCMは大人になるまで思い返すことは無かったんですけど、会社に入って往年の名作を見直した時に「これか!」と記憶がよみがえって来て。音楽でこれだけ記憶を呼び起こすことが出来るのは凄いなと思って選びました。

#1 藤山一郎「丘を越えて」


【基本と実践】
望月:新人の登竜門である広告賞を受賞された後は、どんな仕事をされていたのですか?

倉成:普通に先輩と一緒に仕事をさせて頂いて「ちょっとお前も企画出せよ」と言われて、コピーを100本持っていっては打ちのめされたりという感じでした。そんな風にして基本的なことを教えてもらう期間でしたね。

望月:それはそれで楽しんでいた感じですか?

倉成:そうですね。またラッキーなことに、ビギナーズラック3つが仕事をつれてきてくれたりもして。一緒に賞取りを頑張ったアートディレクターと一緒に「二人に仕事をやらせてみるか」という感じで、大きくは無いけれど若手に任せてもいい仕事をやらせてもらって。そうして仕事を習いつつも実践できる場があったのは良かったですね。

【澤本嘉光さんとの出会い】
望月:倉成さんにとって転機となる仕事はどのようなものでしたか?

倉成:転機は2つありました。一つは澤本嘉光さんとの出会いで、澤本さんに仕事に誘ってもらったことが自分にとっての転機でした。
もう一つは会社の仕事では無いのですが、2~3年目に自分でプロダクトを作り始めたことが転機でした。2~3年目ってどの業界でも悶々とする時期だと思うのですが、僕も中々案が世に出なくて。今思えば甘かったのかもしれないのですが。そこで「自分でモノを作ってみよう」と思って、ボーナスで作り始めたんです。

望月:澤本さんとの仕事とはどのようなものだったのですか?

倉成:最初はプレステでした。それから角川文庫や東京ガスのガスパッチョ、WOWOW、ロッテなんかをやらせてもらいました。澤本さんとは5~6年ほど一緒でしたね。

望月:澤本さんが他のクリエイターと違うところってどんなところでしょう?

倉成:やっぱ澤本さんはCMが好きなんだと思います。澤本さんを見て、これは違う形で勝負しないと勝てないなと思った記憶があります。
僕もCMは好きなのですが、どちらかというともっとざっくりとしたアイデアを出す方が好きで。一方で澤本さんはCMが本当に好きだし、努力もその方向に向けてものすごくするんですよね。元々センスがあって、その上にさらに経験を重ねていて。これは勝てないなと思いました。

【個人でのプロダクト製作】
望月:そうして経験を重ねる一方で、子どもの頃の発明家の思いもふつふつと湧いてきたんですね。自分では、どのようなモノを作られたんですか?

倉成:その頃は忙しくて毎日同じような気分で過ごしていたからか、何か日常に非日常をもたらすようなものを作れないかと思っていて。そうしたコンセプトで広告業界と近いところで何か作れないかと思って考えたのが、紙飛行機の形で郵送できるポストカードでした。紙飛行機の形のまま、立体で送れるというもので。
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望月:そのポストカードは実際に売り出したのですか?

倉成:ええ。主にミュージアムショップやインテリアショップで売り出しました。自分がクライアントなので、自分が好きなところにしか置かないぞと思って色々と営業しましたね。

望月:このポストカードは賞も受賞されたそうですね。

倉成:ニューヨークADC賞とグッドデザイン賞を頂きました。

望月:この道で食っていけるんじゃないかとは思いませんでしたか?(笑)

倉成:まあ素人がやっているもので、そこまでは……(笑)。
このポストカードは封筒バージョンも作ったのですが、それを買っていた縁で結婚したというお客さんがいまして。ついてはこれで結婚式の案内状を出したいから100部作ってほしいと言われたんですよ。それを聞いた時はすごく良いエピソードだなと思いました。
あと、来年の中学二年の美術の教科書に載ることも決まったんですよ。プロセスをデザインするという項目で載るらしいのですが、意味が分からないですよね。ピカソとかが載っている傍らに「倉成英俊 佐賀県生まれ」と載るわけですから(笑)。ただ、やはり違う動きをすると違う結果が出るものだなと思いました。

【OOHのキャンペーン】
望月:個人的な活動をすることで、キャンペーンプランニングも変わってきたりはしましたか?

倉成:当時はOOH(Out Of Home)ブームがあって、テレビを見なくなっているんじゃないか?というところから、交通広告や今までメディアじゃなかったものが注目されていたんですよ。例えば「箸袋はメディアなんじゃないか?」なんて言い出したりして。
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そうして新たなメディア発掘をしつつ、コンタクトポイントという考え方でターゲット別に分けて広告宣伝をしたりしている時期だったんです。テレビ・ラジオ・新聞・雑誌以外の新たなメディアを発掘して変なことをしようという機運が高まっていたので、そういった点では会社の仕事とマッチしている部分はあったかもしれないですね。

望月:その頃手掛けられたキャンペーンにはどのようなものがありますか?

倉成:角川文庫の「夏の百冊」というキャンペーンがあるのですが、何か変わったことは出来ないかということでカフェの禁煙パネルをオリジナルで作って、街中のカフェに配りまくりました。「この席は禁煙ですが、本は読めます」と(笑)。
あとサントリーさんのキャンペーンなのですが、ある時サントリーさんがペットボトルを軽量化したのですが見た目にはそれが分かりにくいということで、電車の中づり広告にはかりを付けたんです。古いペットボトルと新しいペットボトルだと6グラムの差があるのではかりが傾くんですよ。なのではかりに古いものと新しいものをぶらさげて軽くなったことをアピールしました。そんな変わり種に色々と挑戦してましたね。

望月:コピーライターからスタートして、キャリアを重ねるうちにキャンペーン全体を見るようになっていったんですね。

【バルセロナ留学】
望月:倉成さんは2007年、バルセロナのプロダクトデザイナー Marti Guixeのスタジオでプランナーとして勤務されたそうですが、これはどういったきっかけがあったのでしょうか?

#Marti Guixeさん
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倉成:当時、僕は会社の中に良いポジションを見つけられていなくて、いつも「辞めたい」と澤本さんに呟いていたんですよ。そうしたら澤本さんが「何を言っているんだ。会社は利用するためにあるんだ」と留学制度の紙を持ってきてくれて。
そうして誰の所に行きたいかと考えた時に、企画をベースにプロダクトデザインをしているMartiのところに行きたいなと思って、メールでコンタクトを取って、作品集を持って会いに行ったんです。メールでの対応はそっけなかったんですけど、実際に会って作品集を見せたら気に入ってくれたようで。
昼飯にワインを飲みながら、給料は電通が払うとかそういった話を少ししたら「いつから来る?どこに住む?」という具体的な話になって(笑)。そうして半年間彼のスタジオに勤務しました。

望月:実際に行ってみてどうでしたか?

倉成:僕にとっては違う業界でアイデアで勝負するというトライだったんですよ。だから先方にも「自分はデザイナーでは無いけれど大丈夫か」ということを何度も確認した上で行ったんです。
コピーライターはいつもコピーを100本考えたりしているわけですが、僕は広告業界ほど沢山切り口を考えている業界は無いんじゃないかと思っていて、Martiのスタジオにもそのままの姿勢で行ったのですが、まあまあ通用するのではないかということを再確認しました。

望月:デザインの世界にも広告屋のスキルは活かせるのではないかということですか?

倉成:デザインの世界も、課題解決のためにアイデアを出すという点は広告の世界と一緒じゃないですか。勿論、プロダクトデザインなりの筋肉の必要性というところはリスペクトしていますが、アイデアで勝負は出来るんじゃないかと思いました。
あとは電通の仕事とそんなに変わらないのではないかと思いましたが、打ち合わせや仕事のノリの部分は勉強になりました。いつも皆、笑っているんですよ。10分に一回彼らはギャグを言うんですけど、英語でギャグを言っているところに英語で返すのが大変でした(笑)。
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クライアントとの打ち合わせに行くと、向こうはカタルーニャ語なのでMartiが通訳してくれるのですが「彼らは今、この間行ったバカンスの話をしているよ」というので見てみたら物凄くマジメな顔をしていて。「絶対そんな話していないでしょう!」と言うと「カタルーニャ語、分かってるね!」と(笑)。
毎日そんなことばっかりなんですけど、やっぱりそれは仕事も人生も楽しくやろうよということだと思うんですよ。日本だとクライアントとの席で10分に一回ギャグ言うようなことってないじゃないですか。常に良いマインドで過ごしているところはかなり参考になりましたし、真似したいと思いましたね。

【楽曲紹介2】
望月:このあたりで「いまの気分」ということで、もう一曲ご紹介頂けますか?

倉成:いまの気分と言いながら古い曲なのですが、スザンヌ・ヴェガの「トムズ・ダイナー」を。僕はシンプルなものが好きで、あまり複雑に考えられなくて。音楽でもシンプルなものが大ヒットしたりするじゃないですか。クイーンの「ウィー・ウィル・ロック・ユー」なんかもシンプルな構成ですし、この曲もシンプルなアカペラですよね。どうも僕はシンプルなものに惹かれるようで、もはや「いま」の気分というよりも「ずっと」の気分なのかもしれません。

#2 スザンヌ・ヴェガ「トムズ・ダイナー」


【APECの総合プロデュース】
望月:倉成さんは現在、電通のビジネスデザインラボにいらっしゃるそうですね。これはどのようなセクションなのでしょうか?

倉成:コミュニケーションデザインラボとビジネスデザインラボって似てますね。陽は広告クリエイティブ局の新領域開拓部署で。
最初に言われたことは「やってほしいことはいまは特にありませんが、やってほしくないことは一つあります。今までと同じことをしないでください」ということでした。
ひも解くと、まず新しいビジネスモデルを作ったり、前例を作っていくことが一つ。もう一つは広告クリエイティブのスキルを用いて新たなジャンルにトライすること。特に誰かに言われたわけではないのですが、この二つが肝かなと思います。

望月:これまでにされたお仕事はどのようなものですか?

倉成:昨年の11月に横浜でAPEC首脳会議があったのですが、その総合プロデュースを行いました。僕がこんなことを言うなんて、訳が分からないとは思うんですけど(笑)。

望月:これはクリエイティブとはまた違った形のものですよね?

倉成:ところがやっていることはほとんど同じなんですよ。
まず「国際会議の場をジャパンプレゼンテーションの場にしたい」というなんとなくのオーダーがあって、具体的にどのようなことをしたいかということを、どんどんこちらからヒアリングしていくんです。国際会議の場って色々やることがありますよね。会場のデザインをどうするかとか、首脳たちにどういったものを出すかとか、奥さんたちをどこに観光に連れていくかとか、メディアセンターをどうするかとか、お土産をどうするかとか。
そういったものって、縦割りと言われる日本ではバラバラになりがちですよね。そういったものを色々な部署の人にヒアリングしていって「要は皆さん、こういったことをやりたいんじゃないですか?」というものを一行のコンセプトにまとめるんです。今回のAPECは「日本の強みでおもてなしをしましょう」というとってもシンプルなコンセプトでした。
すると日本の強みとは何か?という話になるのですが、管さんが昨年の6月に発表した「新成長戦略」にグリーンテクノロジーやライフイノベーションやクールジャパンや観光といった今後の日本が強みにしていきたいものがまとめられているんです。だったら、それを会議のすべてのシーンに緻密に配備して楽しんでもらいましょうと。そうすることで各国のメディアがそれらを報道しに来ますよね。
すると自然と世界に向けてジャパンプレゼンテーションができるのではないかと。そういった作戦を立てて、その大本として「日本の強みでおもてなし」というコピーを作りました。そのコピーを指針として全ての業務のディレクションをしていきました。
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だからコピーを元にCMというストーリーを作るのか、コピーを元に色々な事実を作り上げていくのかという違いだけで実際にやっていることはあまり変わらないんですよ。

望月:もはやコピーライターやCMプランナーといった肩書ではとらえきれない領域のお仕事という感じもしますね。

倉成:傍から見ているとそう思われるかもしれませんが、結局は同じなんですよね。クライアントのオーダーを聞いて課題解決をするか、もしくはポテンシャルを見つけてポテンシャルを活かすプロジェクトをやるということです。

【21世紀型へのアップデート】
望月:これから広告会社ってどのように変わっていくのでしょうか?

倉成:そんなことを僕に聞きますか(笑)。全く分からないです。
ただ僕個人に関して言うとAPECをやったことで色々分かったことがあって。やはり国のことにせよ広告会社のことにせよ、アップデートされていないなと思うことが沢山あると思いました。
例えば「新成長戦略」ってPDFを見たこと無いですよね?あそこに書かれていることって新聞で骨子は知っているかもしれませんが、国がどっちの方向に行くのかということなわけで国が国民に読ませるべきものじゃないですか。
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それなのにその表紙って小学校で配られるプリントレベルのものなんですよ。読ませる工夫が無いというか、読ませるつもりが無いのかもしれないですね。日本が上手くいっていた時代から慣性の法則のようにして転がり続けてきて、工夫されて無い部分が多々あると思いました。広告クリエイティブ局のクリエイティブという意味ではなく捉えてほしいんですけど、日本人の持つ創意工夫のスキルやクリエイティビティを活かしてどうやってもっと工夫してアップデートしていけるかということを、あらゆる業界でチームを組んでスキルを活かしてやっていくべきではないかと思いましたね。

望月:これから倉成さんはどんなお仕事をされていきたいとお考えですか?

倉成:工夫すべきことを見つけてプロジェクト化して動かしていくということが近いですかね。電通って面白い会社で、友達と組んで仕事をしても会社の仕事になるじゃないですか。プランニングをするっていう点ではとても面白いポジションに居る会社で
。電通に限らず日本の広告代理店って色々なポジションの人と組んで仕事が出来るポジションに居るので、80年代で色々なことが止まったままの日本を僕らの世代で21世紀型にアップデートするっていうことをやっていきたいですね。

望月:是非、これからも素晴らしいプロジェクトを作っていってください。本日のツタワリストはクリエイティブプロデューサーの倉成英俊さんでした。ありがとうございました。

倉成:ありがとうございました。

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