Interview_akamatsu of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

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赤松 隆一郎(CMプランナー)

【学生時代の音楽活動の話】
望月:赤松さんはミュージシャンとしても活動していらっしゃるんですね。元々音楽を小さな頃からやっていたのですか?

赤松:小学生の頃にピアノをやっていました。そんなには上手くも無かったんですけどね。それからお決まりのコースでバンドをやり始め、大学生の時は本気になって(バンドを)やっていました。

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望月:どんなバンドをやっていたんですか?

赤松:当時流行っていたBOOWYのコピーをしたりしていました。あと、当時はプリンスやデヴィッド・ボウイといった流行りの洋楽も聴いていましたね。大学に入ってからは、早くオリジナルの曲を作りたいと思っていたので、ほとんどコピーはやらずに曲を作っていました。

【銀行員兼ミュージシャンの頃の話】
望月:経歴を見ると、その後銀行に入られていますね。それまでとは真逆の世界という感じがするのですが。

赤松:元々は音楽でご飯が食べられればいいなと思っていたんです。ミュージシャンになろうと思って結構真面目に(音楽を)やっていたんです。しかし大学生の時には結果が出なくて。でも(音楽を)諦めるのも嫌だったんです。とはいえ、一度しっかりとしたところで仕事をするということを経験しないと、そのまま何となく音楽を続けていてもそれは難しいんじゃないかと思ったんですよ。そういった経験が欲しいと思った事もあって、銀行に入ったんです。もっとも銀行に入ってからも、音楽は続けていたんですけどね。

望月:銀行というと、結構お堅いイメージがあるんですけれど、そのあたりは大変じゃなかったですか?

赤松:結構大変でした(笑)。銀行があそこまで忙しい業種だとは思っていなくて。物凄いタフでした。思っていたよりも、音楽を続けて行くのが大変で。当時は週末になるたびにモードを切り替えて、ミュージシャンをやるんだ!という感じでやっていましたね。一方で平日はシングルのスーツに短い髪の毛で仕事をしていました。

望月:銀行は4年間お勤めになったんですね。

赤松:銀行で働きつつ音楽を続けていたところ、レコード会社と契約する事になったんです。今で言うメジャーデビューです。メジャーデビューともなれば銀行は辞めるしかないだろうと言う事で、銀行には割と胸を張って辞表を出しました。ところがその後、親が病気になってしまったり、色々とトラブルがあって音楽を続けて行く事が難しくなってしまったんです。実際にレコーディングを進めていて、デモテープも作っていたのですが、結局その作品が世の中に出る事はありませんでした。そこでいきなり無職になってしまったんです。

【広告業界への転職】
赤松:無職になってしまったので当然収入も無いわけです。だからかなり困った事になってしまって。失業保険を貰いつつ、これからどうしようかと。とにかく何か仕事を探さなくてはと思っていた時にたまたま地元の新聞で見つけたのが、地元の広告代理店の求人だったんです。

望月:広告にはその時から関心があったんですか?

赤松:広告というよりも、クリエイティブですね。今度は何か物を作る仕事をしたいと思っていたんです。元々ミュージシャンになりたいと思っていて、銀行で働いていた時も週末はミュージシャンをしていたわけですから、(銀行には)もう戻れないなと。今度はもっと物を作る事の出来る仕事をしたいという気持ちがありました。

望月:なるほど。

赤松:その後、色々な幸運が重なって代理店に採用になりまして、そこから広告の世界に入る事になりました。だから、広告業界をずっと目指していて入ったというよりも、流されて入ったという感じです。大きな濁流のようなものにだあっと流されて、気が付いたら岸辺に立っていたと。

【駆け出しのCMプランナーの頃の話】
望月:代理店に入ってからは、CMプランナーの職を目指したのですか?

赤松:そうですね。僕はすごく絵が下手で、美術はずっと2だったんです。当然アート職は出来ないし、出来るとすればコピーライターかCMプランナーだと思ったんです。ところがたまたま最初に入った電通西日本松山支社という会社は、その両方をやらなくてはいけない会社だったんです。そこで両方の仕事をするうちに、自分に向いているのはプランナーだなと。そこからはプランナーとしての技術を磨く事に時間を費やしましたね。

望月:その頃にお作りになった作品はどのようなものですか?

赤松:地元のお菓子メーカーさんのコマーシャルなんかを作ったりしていましたね。その中で、松平不動産という愛媛にある不動産会社の広告を作ったのですが、その広告がその年のカンヌの銀賞を獲ったんです。



望月:一地方で作った広告が、いきなり世界のカンヌで銀賞を獲ると。そんな事が起きるんですね(笑)。それはどんな広告だったんですか?

赤松:ゴルフ場でサラリーマンの人が変なスイングでボールを打っているんです。何故、そんなスイングになってしまうかというと、普段狭いバルコニーでスイングの練習をしているからだと。そういう広告でした。

望月:この広告が賞を獲った事をきっかけに、ご自身の仕事の幅も広がっていたのですか?

赤松:そうですね。色々な番組で紹介していただいたり、海外でも取り上げて頂きました。「やれるな」という手応えを掴んだのは、この頃からですね。

望月:その後、電通の関西支社に移られたのですか?

赤松:関西支社に移ったのは、この5年ぐらい後の事ですね。そこでの仕事を経て、今は東京の仕事と関西の仕事を両方出来るようになりました。

【楽曲紹介1】
望月:このあたりで一曲ご紹介頂きたいのですが、どのような曲をお選び頂きましたか?

赤松:松山でプランナーをしていた時に、初めて自分の曲をコマーシャルに使ったんです。その曲を選びました。

#1 う~み「うたたね」
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望月:この曲は赤松さんが作詞作曲をされたんですよね。可愛らしい感じの曲で(笑)。曲が生まれたきっかけはどのようなものだったんですか?

赤松:愛媛に居た時に、ある放送局の音楽を数秒間分だけ作ってほしいと言われたんです。そこで先程聴いて頂いた「うたたね」の「愛があればね」というところだけを使って、音楽を作っていたんです。すると、自分にしては随分可愛い感じのメロディーが出来たので、どうせだったら前後を付け足してみようと思って付け足してみたら、それが15秒のコマーシャルになり、30秒のコマーシャルになり。そして、せっかくだからフルサイズにしてみようと思って後から歌詞を全部書いて一曲にしてみたんです。

望月:曲は段々と出来あがって行ったんですね。

赤松:そうですね。サビの部分がワンフレーズだけ出来ていて、そこから広げていったんです。

望月:赤松さんが元々手掛けられていた音楽という素地をそのまま活かされたということですね。

赤松:元々自分の中では「音楽は音楽だ」という風に、仕事とは分けて考えなくてはならないと思っていて、(仕事の時は)脇に置いていたんです。広告と音楽はあくまで別物だと。でもこの時は結構
力が抜けていて、〆切が迫る中苦し紛れに作った物がこういう風に形になって。こういう形で広告と自分の音楽がクロスオーバーして一つの形になる事もあるんだなと思ったら、大分楽になりましたね。

【二足の草鞋を両立するには】
望月:この番組は学生さんも聴いているのですが、その中には今打ち込んでいる事があるけれど、それを仕事にしていくのは大変だからやはり就職しなくてはいけないと考えて、悩んでいる人も多いと思うんです。そんな中で、二足の草鞋はどのようにして履くことが出来るのかというのが気になるんです。赤松さんはそういった意味では二足の草鞋を履いていらっしゃると思うのですが、それは実際上手く出来ているのですか?

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赤松:時間が無い中でやる事にはなるので、色々な事を我慢しなくてはいけないとは思うんです。例えば、飲みに行く時間が減るとか。そういった物理的な時間は減るとは思うのですが、バランスは凄く取れていると思います。
広告の仕事をする中で自分の音楽のアイデアが湧いて来たり、音楽をする中で広告のアイデアが浮かんできたり。その間を行ったり来たりするんですよね。どちらも物を作るという気分が共通しているからかもしれません。ただ、僕の場合はどちらも物を作るということですが、全く別の二足の草鞋の方もいると思うんです。その時は、自分の中でやらざるを得ない気持ちになると思うんです。無理に好きな事をやってご飯を食べなくてはいけないとか、それで生活が出来ない自分はどうなんだとか悩まない方が良いと思います。僕も音楽をやりたかったので、本当に広告をやっていていいのかと悩んだ時期もありましたけれど、不思議な事に広告の仕事は自分に向いていたんです。それはやってみて分かった事なんです。この仕事をやりたくてここに辿り着いたと言いたいですけど、全然違うんです。諸事情で流れてきてやってみたら向いていたという。そして、音楽は音楽でやっていると言う感じなんです。そういう風にもっと皆気楽になって良いんじゃないかなと思います。やりたい事を仕事にしたいと皆言いますけど、実際それってすごく難しいと思うんです。それで本当に食べる事って大変な事で。勿論それがベストではあるんですけど、そうじゃないやり方もあるというか。向いている事を探して、向いている物が見つかったらそれは生活をするためとかちょっとしたビジョンを実現するために必要な事として仕事にする。そして、やりたい事はやりたい事として穢れないままにやっていく。そういった考え方も大事で、それはそれでやり方としてありじゃないかなと思います。

望月:すると赤松さんにとって音楽は、それで食ってやろう!というよりはレベルの高い趣味的なものですか?

赤松:そうですね。僕がいつも言っている事で、バンドメンバーにも言っている事は「最強のアマチュアを目指そう」という事で。誰かがそれを商品にしたいと言う場合には、それを拒むつもりは特に無いですし、お話を頂く事もありますけど、基本的なスタンスとしてはそういったものになっています。僕も40歳を過ぎて振り返ってみると、色々とついていたなと思うんです。周りの人にも恵まれていましたし。その上、さらに音楽で稼いで良い暮らししてやろうとか儲けてやろうだなんておこがましいというか(笑)。単に楽しく、なんならタダで聴いてもらってもいいんじゃないかと。そのぐらいの構えでいるんです。

【作品作りの原動力について】
望月:赤松さんは今も作品を発表し続けていらっいますが、その原動力は何処にあるのですか?

赤松:その時々に伝えたい事というのが、例えばニュースや、大きな事だったら戦争のような事に対してありますよね。誰かが死んでしまったり、誰かの事を好きになったり、誰かの事を憎んでしまったりという事もあると思うんですよ。そういった感情をどこかに残しておきたいという気持ちが心のどこかにあるんですよ。それを残しておくために(作品を)書いているんです。だから、そういった事にならないうちは曲が出来ないんです。

望月:すると、曲を書きたいと言う気持ちが降りてくる瞬間というのがあるんですか?

赤松:ありますね。そういう時にしか曲は書けないので、だからこそそれで食べて行くと言うのは難しいんじゃないかなと思うんです。広告の仕事は〆切があるじゃないですか。それまでに仕上げないといけないので、絶対にやる訳です。曲に関してはそれが無いんですよね。今は(〆切が無い)その状態がすごく良いなと思っています。

望月:例えばどんなテーマで曲をお作りになるのですか?

赤松:例えば、自分の身の回りの出来事がすべてうまく進んでいて、その上天気も良くて気持ちが良いと。でも実は自分の世界の裏側では壮絶で痛々しい事が起きている。リアルな話、今この瞬間も戦争で子供たちが死んでいるわけですよね。そういった状態の中で、僕たちは「良い天気だね」なんて言って毎日暮らしているんですよね。そういう辺りの事に気持ちが行ったり来たりする事があって、そういった気持ちを良く分からないれどもとにかく楽曲として形にしたいと思う事があるんです。他にも、なんで人は人を好きになるのかとか、なんで男の人と女の人は互いに抱き合いたいと思うのかとか。答えは出て無いんですけれども(笑)。答えは出ていないんですけれども、その時の気持ちを形にしたいと思うんです。まあ売れる訳が無いですよね(笑)。こんな話をしたところで、メジャーの人が振り向くわけが無いので。

【伝える事と楽しませる事】
望月:赤松さんは最近ではおやつカンパニーのキャンペーンを担当されていますね。ベビースターのCMにKinki Kidsが出演していたのが印象的だったのですが、あの曲も赤松さんが書かれているのですか?

赤松:そうですね。そもそもはベビースターラーメンが50周年を迎えるにあたって、今よりももう一回りメジャーなブランドにしたいという要望があったんです。おやつカンパニーの社長さんはクリエイティブの人間を非常に信頼してくださる方で、キャンペーンは任せると一任してくださったんです。そこで僕もプランの中でKinki Kidsを起用する事を提案しまして、Kinki Kidsのお二人も快諾してくださったんです。

キャンペーンにあたっては「ベビースターが新しくなりました」「買ってください」とか伝えたいメッセージがある訳ですよね。そのメッセージは逃げずに正面から伝えたいと僕はいつも思っているんです。そして、それにあたっては音楽というのは凄く有効なんです。例えば凄くハードなロックに商品メッセージを乗せて伝えると言うのは、(狙いを)分かってやるのであれば凄く響くと思うんです。ただ、伝えるだけじゃなくて「メッセージを聞いてくれてありがとう」という気持ちがあるのでサービスをしたいんですよ。そこで(今回は)常務の方や宣伝部長の方に出て頂いて「常務の○○も言ってます」と。伝えたい事はまず伝えるのですが、そのまま伝えるだけでは正論を言っているだけで面白くないですから、楽しませたいんですよね。

望月:今回のCMにはティーザー効果(※情報の一部をあえて伏せる事)がありますよね。そういった演出をしようと考えたのは何故ですか?

赤松:その点は偶然なんです。ギターのリフのイントロが出来た段階ではティーザーの後にだけ入れようと考えていたんです。でも出来あがったリフが良いものだったので、これをそのまま使って最後に一発だけ「ベビースター」と言って終わっても良いかもしれないというアイデアが出てきたんです。そこでリフを付け加えていったんです。

望月:出稿量自体はそんなに多くはありませんでしたが、印象的なコマーシャルでしたよね。僕も音楽をやっている人間なので、「おっ」と思わされました。

【CMソングの作り方】
望月:au by KDDIの土屋アンナさんのコマーシャルも担当されていますね。このCMの曲も赤松さんが作曲されたのですか?

赤松:ええ。土屋アンナさんのコマーシャルの楽曲は全て僕が曲も詞も作っています。

望月:デモの段階では、どの程度まで曲を作りこむのですか?

赤松:鼻歌のみですね。楽器は使いません。思いついた物をその場で携帯に歌って吹きこんでます。すると秒数が表示されるので、少し短いとか長いと言うのが分かる訳です。一番気にするのは15秒できっちり収まる気持ちいいテンポの曲に仕上がっているかという点なので。そこで丁度良い物が仕上がると、「ああ出来た」と気持ちが抜けてしまって、アレンジまで気が回らなくて……。「誰かやって!」と(笑)。そこは優秀な方にお願いをしています。だから僕は時々携帯のメールで、直接鼻歌の音声ファイルを送る事もありますよ。アレンジはこんな感じにしたいとか、ギターのリフはこんな感じにしたいと言うのは全部口で言っちゃいます。周りからしたら良い迷惑ですよね(笑)。

望月:歌詞は後から付け加えていくのですか?

赤松:歌詞はすごく悩むところですね。てにをは一つにしてもどっちが良いかというのはぎりぎりまで考えます。クライアントもすごく気にするところなので。(メッセージが)伝わるかどうかというのは、最後は言葉ですからね。書き言葉では良く思えても、音に乗ると「あれ?」となってしまうこともありますし。反対に書き言葉では微妙でも、歌に乗せると言葉が響くと言う事もあります。その点は、常に変更を加えながらぎりぎりまで考えます。


【「数」を作る事の大変さ:Android auキャンペーンの裏側】
望月:最近はAndroid auの嵐の60種類のCMを担当されていますね。

赤松:あのコマーシャルはプランナーとして参加させて頂きました。あのCMは死ぬほど(プランを)書きましたね。200案ぐらいは書きました。

望月:今回のような「数」というのは、広告の手法としては有効なのですか?

赤松:有効だとは思います。ただ、どんなに数があっても単に他の物とちょっとセリフが違うだけというのでは見てる側もつまらないと思うんです。それなりに一個一個の質を落とさないと言う心構えでないといけないです。それなりの覚悟が無いと大変ですし、今回は徹夜続きでしたね。


【楽曲紹介2】
望月:次の曲をご紹介頂きたいのですが、どのような曲をお選び頂きましたか?

赤松:最近配信でリリースされた僕の歌っている楽曲で「パンケーキ」という曲です。

#2 赤松隆一郎「パンケーキ」


望月:「パンケーキ」というタイトルと冒頭の「君が死ぬ夢を見た」という歌詞の繋がりが絶妙といいますか(笑)。

赤松:実際にこの夢を見たんですよ。自分の妻が死んでしまう本当に嫌な夢でがばっと飛び起きたんです。でもぱっと見ると普通に日曜の朝で布団を干してたんですよね(笑)。あまりにも夢がリアルだったので、なんなんだこの違いは?と。その経験がすごく印象的である種傷として残っていたんです。その時からもう「君が死ぬ夢を見た」というフレーズは出来ていて、携帯に吹きこんでいたんです。でもその後のメロディーは無くて、何カ月もそのままにしておいたんです。そんな中、「暮らしの手帖」という雑誌を見たら「美味しいパンケーキの焼き方」という記事が目に入ったんです。その記事を見た時、頭の中でメロディーが瞬間的に発火するようにして繋がったんですよね。自分の奥さんが布団を干してたっていう経験を歌にしても何だかなと思っていたんですけど、その経験をパンケーキを焼く事にすり替えてみたところ、全てが繋がったんです。

望月:広告でも同じような事って必要ですよね。課題に対してロジカルに迫っていくんですけれど、それを「伝わる」ものにするためにはそこからもう一声ジャンプする事が必要で。そういう点では音楽も広告も同じなのでしょうか。

赤松:同じですね。似ている部分があると思います。


【作品が「出来る」瞬間とは】
赤松:作品が「あ、出来た!」と感じる時の体に電流がばちばちと流れる感覚ってありますよね。何か物を作っていて、それが得られていないとしたら、出来ていないと言うことなんです。だから考え続けなくてはいけない。勿論、ロジックで伝える事というのは出来るんです。メッセージの8割はロジックです。でも実は残りの2割が広告の面白さだったりするんです。そこには方法論もメソッドも無いんです。ただ、自分の中のアンテナがその情報を欲しがっているからすごく敏感になっているんです。だから、ある時にパンケーキの記事を読んで体にばちばちと電流が走ったりもする。それは広告でも同じなんです。

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望月:一方で、その感覚が生まれない事もありますよね。〆切もありますし、そういう時はそのまま世の中に出てしまう。

赤松:そういう時は、すごく悔しいですね。ただ、そういう事は最近は少ないです。〆切まで寝ないで考えますからね。広告業界ってすごくおしゃれな場所だと思うじゃないですか。カフェで絵コンテを書くみたいな。実際は最悪ですよ(笑)。寝ても覚めてもずっと企画を考えているし、パジャマで作業したりもしますからね。そういうぎりぎりのところで生まれてくるものなんです。

望月:そういったぎりぎりのところの作業というのは、今後も続けていきたいと思いますか?

赤松:物を作る以上はそうならざるを得ないですし、クリエイティブの現場にプレイヤーとしていたいという気持ちもありますね。


【現場で働く事の大切さと広告スキル】
赤松:最近はクリエイティブ・ディレクターとしての仕事をする事があります。若い優秀な人と組んで仕事をする事は面白いんですよね。「こんな事を考えてくるんだな」とか。ただ、そういった人達が本当にアイデアが出なくて、良い物が出来そうにないと言う時にはクリエイティブ・ディレクターは助けないといけなくて。それにあたっては、最低でもある程度のレベルに持っていった上で世の中に出すという技術が無いと駄目なんです。ところが、「これ良いね」とか言ってるだけのディレクターだとその部分の感性が鈍るんですよ。考える辛さを知っている人が若い人と一緒に仕事をするのと、そうでない人が一緒に作業をするというのだと、その違いが分かるんです。だから、自分は出来るだけ現場で作業をしたいですね。もっとも、どんどん体力は無くなっていくんですが……(笑)。

望月:「広告スキル」というのは確かにありますよね。想像力やセンスというのは若い人も優れていますし、年齢も経験も関係ないと思います。ただ、最後にジャンプする瞬間に企画を持っていくスキルというのは熟練の技がありますし、ある種の訓練が必要だと思います。

赤松:そこは最低限やるべき事ですよね。最低限7割のところまでプランを持っていくために誰かの仕事を研究するとか。そういった事はやらないといけないですよね。


【「深い」広告を作る事の難しさ】
望月:これから、こういう広告を作ってみたいと言う希望はありますか?

赤松:まず現状を維持する事が大変なので、最低限今の自分の仕事のクオリティを落とさないと言うのが最低限の部分です。ただ、これまでの自分の仕事というのは見た人がええっと驚いたり、ゲラゲラ笑ったりというのが多かったので、少し見た人が良い気持ちになるとか、ジーンとするというようなものも作ってみたいですよね。

望月:意外とジーンとさせるというのは難しいですよね。まずクライアントを説得するのが難しい。

赤松:そうですね。それにそういったものって割と簡単に作れてしまうんですよね。音楽で言うとガンバレソングのようなもので、そういったものは風化も早い。すると、本当の意味で深いものにはならないし、伝わらないと思うんです。そうでは無くて、自分はこの広告で人を幸せにしたいとか感動させたいと言う想いを持って作らないと駄目だと思うんです。そんな事を思ってもいないのに、これをやったら受けるからやろうと言うのでは卑しいじゃないですか。だから、そういったものが中々作れないんです(笑)。ずるいかもしれないですけど、笑わせている方が楽なんですよ。でも、そういった人の心が深い部分で動くような物も作ってみたいなと最近は思います。


【ミュージシャン活動について】
望月:ミュージシャン赤松隆一郎としても地元で定期的にライブ活動をされているんですよね。

赤松:松山で毎年ライブをしています。あと大阪と東京でもちょくちょくとライブをしています。バンドのオリジナル曲をやりつつ、途中で自分のコマーシャルの曲をフルで演奏したりもしますね。実はそこが一番受けるところだったりして(笑)。オリジナル曲だとあんまり盛り上がらないのに、auの曲をやると一気に盛り上がったりして。結構楽しみながらやっています。

望月:毎回ライブに足を運んでくれるファンというのもいるんですか?

赤松:そういう方もいますね。あと、松山で一緒に仕事をしていたデザイナーの男の子がいるんですけど、4~5年前ぐらいにその子が大きな事故に遭ったんです。重傷で、何カ月もこん睡状態になってしまって。奇跡的に意識は戻ったんですけれど、最初の内は僕の事も誰なのか思い出せないような状態だったんです。それが徐々に記憶が戻って来て、自分が元々はデザイナーをしていたと言う事も思い出せるようになってきたんです。足も動かないし、手も満足に動かせなくて、今は彼はリハビリをしています。その彼が僕の曲を良く聴いてくれていて、ライブを見に来てくれるんです。一年目はお兄さんに付き添われて車椅子で、その翌年は一人で車椅子で見に来るようになって、さらにその翌年は途中まで松葉杖をついて見に来てくれたりと会うたびに元気になって来ているんです。その男の子には毎年ライブ会場でしか会えないんです。中々松山には帰る事が出来ないので。その子が元気になるまでは、僕も音楽を続けていきたいなと思います。なんか良い人っぽい話になってしまいましたけど(笑)。でも、そういう風に本当に思ってます。

望月:広告だけでなく、ミュージシャン赤松隆一郎としてのご活躍も期待しています。本日のツタワリストはCMプランナーの赤松隆一郎さんでした。ありがとうございました。

赤松:ありがとうござました。

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