Interview_uchiyama of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

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内山光司(クリエーティブディレクター)

望月:沢山の賞を取られていらっしゃいますね。

内山:僕の力だけじゃないです。一緒に仕事をして頂いた方に優秀な方が多かったということです。

望月:GT INC.と(suit)men entertainmentというのは分けていらっしゃるんですか?

内山:基本的にGT は日本の仕事で日本のクライアントを中心にしています。(suit)menに関しては今はお休み中という感じなんですけれども、海外の仕事の受け皿として海外を中心に機能させていたんです。
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【広告への関心について】
望月:元々は広告に興味が有ったんですか?

内山:広告に興味は無かったですね。

望月:全くですか?(笑)

内山:全くでは無いですが(笑)。この業界に居ると広告ラブな人が多いんです。例えばカンヌ広告祭に行って、夜に皆でお酒を飲むと全員広告の事を熱く語る訳ですよ。あのキャンペーンは良かったとか、何年前のあの広告はすごく良くて未だに忘れられないとか、あのコピーは良いよねとか。で、全然そこにグルーヴ出来ない自分が居て(笑)。

望月:はははは(笑)。

内山:今でもね、広告を好きかと言われると好きじゃないかもしれない。ただ、コミュニケーションの事を考えるのは好きだし、人を楽しませることは好きです。そういった動機があって、ずっと広告会社で(僕は)仕事をしてきているんじゃないかなと思います。

【広告業界に入るきっかけについて】
望月:最初に電通に入る志望理由やきっかけというのは何だったんですか?

内山:僕は文系だったんですが、何でも良いから物を作る仕事がしたかったんです。僕は子供の頃から家の前が東映の映画館で、夏休みは毎日のようにその映画館に通って映画を見て育って。中学高校ではバンドや演劇をやったりもしていて、自分が何かのパフォーマンスをやって人を感動させることが自分の中で凄くやりがいのあることだと感じていたんです。その延長線上で、自分が仕事を選ぶときに、やはり人をentertainさせるというか、物を作って人を感動させる仕事をしたいなと。文系でそういった事が出来る環境というと出版社に入るか、テレビ局に入るか、広告会社に入るのが良いのではないかと。そういった会社を就職先に考えて、たまたま最初に内定を出して頂いたのが電通だったんです。で、電通から内定貰って蹴るバカはいないだろうと(笑)。

望月:やはりその当時も(電通は)花形の会社だったんですか?

内山:僕はコネも何もなしに飛び込みで電通に行ったので、よもや電通に受かるとは思って無かったです。コネも無いのに電通に受かるはずが無いと思っていたんで。入ってみると、そんなことは関係ないと言う人もいっぱい居たんですけどね。だから、「良いんですか、僕で?」と僕自身が一番驚きましたね(笑)。

【入社後の仕事について】
望月:実際に(電通に)入ってからはクリエイティブに行ったんですか?

内山:クリエイティブには行かなかったですし、(配属の)希望も出さなかったですね。別に広告が好きという訳では無かったので。広告って人の喜ぶ顔が見えないじゃないですか。自分の作ったものはメディアには載るけれど、それを見て喜んだり泣いたり怒ったりしている人の顔は見えない。だから僕はイベントがやりたかったんです。

望月:当時はイベントも花形でしたね。

内山:ええ。だから広告のクリエイターになろうという気はあまり無くて。ただ、当時の僕は今よりもずっと真面目で、イベントをやりたいなあとは思いつつも、広告会社に勤めたからには一からちゃんと学ぶために営業に行った方が良いだろうということで、志望を聞かれたら「営業」と答えていたんです。でも、営業には配属されなくて(笑)。

望月:どこに配属になったんですか?

内山:PR局という部署です。今は無くなってしまって、コーポレートコミュニケーション局と名前を変えてます。広告以外のコミュニケーションを全て受け持つセクションなのですが、そこに行きました。

望月:その部署で、(内山さんが)やりたかったことは出来たんですか?
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内山:すごく小さなセクションで、花形では無かった分、すごく自分の裁量が大きかったです。上司の人に理解がある方が多かったと思うのですが、お金さえ稼いでくるのであれば自分の裁量で色々やらせてくれる風土があって。だから、社内の色々な面白そうなプロジェクトに顔を突っ込んで手伝わせてもらったりしながら、勉強をさせてもらいました。

望月:例えばどんなことを?

内山:当時はイベントが華やかな時代で。例えば、冠コンサートがすごく流行っていたんですね。僕がお手伝いした物ですと、マドンナの初来日コンサートやBOOWYが解散する時のラストギグが大きな仕事でしたね。他には映画も作りましたし、雑誌のムックを作る仕事もありました。あとは博覧会関係の仕事とか、そういったイベント関係の仕事もちょくちょくやらせてもらいました。

【インターネットの仕事を手掛けるきっかけ】
望月:(内山さんは)今やインターネットの大家ですよね。当時はデジタルは無かったと思うのですが、いつからそういった方向に行く事になったのですか?

内山:そのセクションに居た時に、当時「ニューメディア」と呼ばれていたビデオマガジンを作るという仕事があったんですね。その時に、電通の大先輩の藤岡 和賀夫さんというディスカバー・ジャパンで有名なプロデューサーの方と一緒に仕事をさせていただいて。彼が手がけていたマーケティング的な新たな試みや、広告のクライアントを担当する際に知っておいた方が良いトレンド情報をカメラを担いで実際に取材をしたりして、それをビデオパッケージにしてお届けすると言う事をしたんです。

望月:テレビ局みたいですね。

内山:そうなんです。企画と取材と原稿の執筆をして、実際の映像を編集してビデオパッケージにするまでを全部担当させられて。その時にあちこちを取材して回ったんですけど、その中で「最近、アメリカではマルチメディアというのが来ているらしいぞ」と聞いたんです。

望月:「マルチメディア」って言葉、当時ありましたね!

内山:最初は「DTP」という言葉を聞いたんです。それから、「どうもマッキントッシュという革新的なコンピュータがあるらしいぞ」と。そこで、アメリカに取材に行ったんです。最初はDTPという言葉が気になっていたのが、それ以来マルチメディアという言葉が自分の中で引っ掛かるようになって。それから、「どうもCD-ROMというのが面白そうだ」と。だったら自分でもやってみようと、自分でもCD-ROMを作ったりして。そんな風にして80年代が過ぎて、90年代になると今度はインターネットが出てきて。「コンピュータで扱うメディアは、もうCD-ROMだけじゃないぞ。なんでもインターネットというのがあるらしい」と。でも当時はニフティのBBSとかやっていた時代だったので、インターネットと言われてもピンとこなくて、でっかいニフティみたいなものなのかと思っていたんです。「いやいや、そうじゃない。そもそも概念が違うし」みたいな感じで(笑)。それから、インターネットという物に片足を突っ込み始めて。で、色々あって今に至るみたいな感じで。

【楽曲紹介1:思い出の曲】
望月:このあたりで一曲、「思い出の曲」をご紹介頂きたいと思います。今日は何をご選曲頂きましたか?

内山:今の若い方はご存じないかもしれませんが、70年代にCMソングがものすごく華やかな時代があったんですよね。とにかくCMのタイアップを付ければ曲が売れるみたいな。80年代に入ると、今度はMTVが出てきてミュージックビデオで曲が売れる時代になるのですが、70年代はCMだったんです。だからCM
に色々なミュージシャンの方が曲を付けていて。その中で僕が特に思い出深いのが、尾崎亜美さんの「マイ・ピュア・レディ」という曲です。

望月:この曲は何かのキャンペーン(の曲)だったんですか?

内山:資生堂の「マイピュアレディ」という化粧品のキャンペーンで。こんなこと言ってしまっていいのか分からないのですが、尾崎亜美さんは勿論素晴らしいアーティストの方なのですが、当時このキャンペーンに小林麻美さんというタレントさんが出ていらっしゃったんです。

望月:「雨音はショパンの調べ」の小林麻美さんですね。

内山:そうです。今は某芸能プロダクションの社長夫人になっておられるのですが。大変愛らしいモデルの方で、キャンペーンのポスターにもなっていたんです。もう、すっごく可愛くて!ポスター、盗んじゃったんですよね(笑)。

望月:それは思い出に残りますね!

内山:僕にとっては、ある意味広告の洗礼を受けたと言いますか。絶対に真似しちゃ駄目ですよ!

#1 尾崎亜美「マイ・ピュア・レディ」


【インターネットが広告に与える影響】
望月:1994年ぐらいにネットスケープが立ち上がりましたよね。その頃から、インターネットはこれからの主流になると言う風に確信をしていたんですか?

内山:主流になるかどうかという確信は無かったです。ただ、やばいなと。これは確実に広告業界に大きな影響を与えるなという予感がありましたね。予感を確信に変えた出来事があって。アメリカでマルチメディアを取材した時の出来事が僕にとってのファーストインパクトだとすると、セカンドインパクトがあったんです(笑)。当時TEDというカンファレンスがアメリカで行われていたんですが、そこはアメリカの科学者やビジネスマンが一堂に会する場だったんです。その場に出向いて行ったら、そこにTEDのオープニングスピーチをしたビル・ゲイツというお金持ちの男の人がいたんです。そこで、ビル・ゲイツさんにアポ無し突撃取材をしたんです(笑)。

望月:今はそんなこと出来ないですよね(笑)

内山:カンファレンスのコーヒーブレイクで出てきたビル・ゲイツさんに「電通の内山と申します」と名刺を渡して。「僕はネットワークが広告に与える影響はこうこうこういうことだと思うんですけど、あなたの意見を聞かせてください」と、ビルゲイツさんに五分ぐらい話をさせてもらったんです。「ネットワークによって広告は無くなるのか」ということを、拙い英語ながらも聞いてみたんですね。彼は「ネット社会になっても、広告は無くならない」と。「ただし、形は変わる」と断言したんです。それは僕が考えていたこととすごくシンクロする話で、そこで確信を持ったんです。日本に帰って来て、そのことを電通の役員の人にレポートしまして。五分ぐらいの話だったんですけど、少し大げさにまとめて(笑)。「これからはインターネットに対応しないと、やばいですよ」と。そうして電通の中にもインターネットのセクションが出来て、僕達も仕事がやりやすくなりました。そこから、自分の仕事も広がって行ったんです。

【ネット黎明期の企業サイトの仕事の話】
望月:一番最初にやった大きな仕事はどのようなものですか?
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内山:「toyota.co.jp」の仕事ですね。

望月:1995年の仕事なんですね。まだ全部の企業が自社のサイトを持っていなかった頃ですね。

内山:当時、日産は(自社サイトを)持っていたんですよ。NTTもありました。あと、資生堂が持っていたと思います。ただ、当時はどの企業にもインターネットのセクションなんて無くて。それぞれの社内でコンピュータを扱っている有志の人が立ち上げているというような時代でした。そこで電通として、企業のサイトをそれなりのコストをかけて立ち上げていこうということになりました。何せトヨタの仕事なので、半端なことは出来ないと。その立ち上げのメンバーとして呼ばれたんです。その年の東京モーターショーのページがtoyota.co.jpで一番最初に立ち上がるページだったんですけど、その制作を僕のチームが担当したんです。それが企業のホームページ……ホームページって今言わないですね、ウェブサイトの最初の仕事でした。

望月:そこから次々とインターネットのサイトを手掛けるようになったんですね。

内山:はい。

【ワンスカイ設立の経緯】
望月:その後、ワンスカイという会社を設立される訳ですが、これは何故ですか?

内山:2001年当時はインターネットをビジネスにするという意識が芽生え始めてはいたんですけれど、まだまだ広告業界の中では横っちょの存在で。従来のテレビCMやグラフィックを作っているセクションと、僕らのようにネットのクリエイティブをやっているセクションの間にはまだまだ深くて大きい川が流れていたんです(笑)。そういう時代だったんですよね。電通の大先輩の理解のある方達が橋渡しをしようとしてくれてはいたんですけれど、現場レベルではトータルディレクションをしていくというようなことはまだまだ無くて、「おまけにウェブもやる」みたいな感じでした。まずテレビがあって、雑誌の広告があって、イベントがあって、おまけにウェブもやっとく?みたいな。良く分からないから、なんかやっておいてよと。僕には「これはおかしい」という確信があったんです。ウェブだろうがテレビCMだろうが、ユーザーからしてみたら見る人は一人な訳で、その広告のディレクションがバラバラになっているというのはあくまで広告会社の都合であって、ユーザーはそんな事を望んでないし、クライアントも望まないはずだろうと思って。いずれウェブがもっと浸透してくれば、ウェブからテレビCMまで一気通貫したディレクションが必要になってくるはずだという確信があって、同じ志を持っているテレビCMの制作側の人間の田中徹という電通の先輩のクリエイティブディレクターと話をして、そういう会社を作ろうと。そこでワンスカイという会社を立ち上げたんです。その前にはTUG BOATというクリエイティブエージェンシーという形態で電通を飛び出して広告業界の台風の目となっていた人たちがいたんですけれども、従来の広告からウェブまで全てのコミュニケーションをちゃんとディレクションしようということで会社を作ったのは僕らが日本で最初だと思います。
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望月:ワンスカイという名前にはそういった意味合いが込められているんですか?

内山:「空には国境は無い」という意味なんですよ。地上には国境があるけれど、空は一つじゃないかと。それと同じように、コミュニケーションには国境は無い。僕たちはワンストップで全てのコミュニケーションをデザインしますよという志で付けた名前です。

望月:いまや時代がそのように変わってきていますよね。

内山:そこから10年が経って、そうなりましたよね。良いことだと思います。

【一気通貫したコミュニケーションデザイン】
望月:実際に内山さんもそういったキャンペーンを手掛けているんですか?

内山:今はGTという会社になっていますけれど、ワンスカイを作った頃からそうしようと思ってきたし、当時やっていたコカコーラのジョージアという商品の「明日があるさ」というキャンペーンはワンスカイがテレビCMも作るしイベントもやるし、僕がウェブを担当してサイバー上のコミュニケーションもディレクションするし、映画の監修もやるという形で全てのコミュニケーションに関わっていました。

望月:その後、ソニーのキャンペーンも手掛けられていますね。
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内山:ソニーの「make.believe」のキャンペーンも僕が手がけました。この仕事は自分にとってはエポックメイキングな仕事だったんですけど、グラフィックデザイン、テレビCM、ウェブ、イベント、イベント会場の空間デザインまで本当に一気通貫してディレクションすることが出来たものでした。GTらしい仕事になったと思いますね。

望月「make.believe」って日本人には分かりにくいコピーなんですよ。これを解釈するのって難しくなかったですか?

内山:それがこのキャンペーンの一番難しい課題でもあったんです。「make.believe」って「make」と「believe」を繋ぐドットがあるという構造になっていて、つまり「信じる事が出来れば、それを必ず形に出来る」と。そして、信じる気持ちを形にするのが「make」と「believe」を繋ぐドットで、これがソニーだよと。そういうブランドメッセージが(コピーに)込められているんです。ただ、ぶっちゃけ広告に「make.believe」とぷらーんと付いていても、伝わらないじゃないですか。これを伝えていくには時間も掛けないといけないし、テレビCM的なぶら下がりのメッセージだけじゃなくて、実際にソニーが作る商品だったり、企業行動が幾重にも折り重なって浸透していくものなんだろうと思うんですね。だから僕らがやろうとしていたのは、そのきっかけ、キックオフになるふさわしいキャンペーンとはどういうものだろうかということが課題で、その時は「make.believe」を単にそのまま伝えることよりも「信じること」と「形にすること」という人間の根底にある好奇心のような物をどれだけ刺激できるかということを伝えるためのCMを作り、グラフィックキャンペーンをやり、イベントをやるというようなことをした訳です。

【楽曲紹介2】
望月:このあたりで2曲目の選曲をお願いします。
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内山:望月さんより「今の気分の曲を」という事で(笑)。あまり知られていない曲なんですが、アニソンと言っちゃっていいのかな?マクロスフロンティアというアニメの登場人物で、シェリル・ノームというキャラクターの曲で、MAY’nという人が歌を歌っているんですけれど、シェリル・ノーム starring MAY’nで「ふなのり」という曲をリクエストさせていただければと。

#2 シェリル・ノーム starring MAY’n 「ふなのり」


【伝わるキャンペーンとは】
望月:内山さんにとって、「これは伝わったな!」と最初に思ったようなキャンペーンって何ですか?

内山:最初はマドンナの初来日コンサートですね。僕はやはり広告があまり好きでは無いわけです。クライアントがCMを見て、これはいいね!と喜んでくれるのは良いですし嬉しいんですけど、テレビの前で実際にそれを見ている人の顔は見えないじゃないですか。イベントというのはそれが見える訳ですよ。マドンナのライブをやったのは1980年代でしたけど、マドンナが世界的に大人気の最初の絶頂期の時で、日本でも物凄いプラチナチケットになって、CMも話題になって。チケットが手に入らないお客さんが周りを何重にも囲んじゃうと。そういったライブだったんです。最初は大阪球場でのライブだったんですけど、(僕は)球場の一番高いところでお客さんを見ていて。会場が真っ暗になって、ライブが始まって。音がばん!ってなって、照明がばあっと付いて、マドンナがどん!って出てきた時に一斉にお客さんが立ち上がって、怒号というか歓声というかが上がって。その時のお客さんの興奮した顔を見た時に、「この仕事、やめられねえな」って思いましたね。

望月:内山さんの作られるキャンペーンって必ずどこかにエンターテイメント要素が入っているじゃないですか。そこには、そういった経験に基づいたこだわりというのがあるんですか?

内山:エンターテイメントは必要十分条件では無いんですけど、大事な要素だと思ってますね。広告って伝えることなんだけれど、望月君がこの番組のテーマにしているように「伝えること」と「伝わること」って別じゃないですか。じゃあ伝わる事って何かと考えると、伝えた事によって心が動かないと、伝わったことにはならない。実は広告にとって一番大切なことは、心が動くことなんですよ。一番良いのは、物を買いたくなることで、広告を見て、これ良い!買いに行きたい!と思えるような広告がベストの広告ですよね。それは心が動いたと言うことでしょう。物を買うまでは至らなくても、商品の名前を覚えちゃったとか今まで興味が無かったけど気になるようになったとか、何かしら心が動かないと広告は機能しない。どんなに面白い広告を作ったところで、ふーんとかああ面白かったで終わっただけでは駄目なんですよ。広告を見る前と触れた後で何か心が変わってないといけない。心を変えるためには、ある種の感動をさせることが必要。驚かせるでも泣かせるでも笑わせるでも良いと思うんですけどね。心を動かすためにエンターテイメント的な要素はある種のテクニックとして、すごく重要だと思っているんですよね。僕は良く広告には「機能」と「性能」があると言っているんです。「機能」と「性能」は別なんですよね。「機能」は「この商品はいくらです」とか「いつ発売です」とか「この車の特徴はこれです」とか「このシャンプーはフケが取れます」とかです。それを伝えるのが広告の機能じゃないですか。「性能」は機能とは違って、心が動くかどうかなんですよ。僕らは性能が高いコミュニケーションをしないといけないと思っていて。だって、機能だけを伝えればいいのならチラシで良いんですよ。コミュニケーションの性能を高めていくには、エンターテイメント的な手法はすごく働くと思っているんです。

望月:ますます内山さんの作るキャンペーンは面白くなりそうですね。

内山:いやいや(笑)。そうなると良いんですけどね。

望月:本日のツタワリストはクリエイティブディレクターの内山光司さんでした。どうもありがとうございました。

内山:ありがとうございました。

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