Interview_kishi of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

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岸 勇希(コミュニケーション・デザイナー/クリエイティブ・ディレクター)

【最初の配属に受けたショック】

望月:岸さんは現在「コミュニケーションデザイン」というホットな領域でご活躍ですが、元々は電通の中部支社の雑誌部に入られたんですね。

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岸:ええ。紙の文化から色々な事を学ばせて頂きました。元々はすごくインターネットに興味があって、ネットに関する事をやりたいというのを(電通の)採用の際から一貫して言っていたんです。ところが最初に配属されたのは雑誌部で。ある意味凄い会社だなとも思うのですが、「そうか、君はインターネットが得意なのか。ならしばらくやらなくていいな。雑誌をやってごらん」と(笑)。中長期的にみると先見の明のある配属だったのかもしれませんが、当時の僕からするとショックでしたね。

望月:しかも、東京本社ではなく地方勤務だったんですよね。

岸:本当のところの理由は今でも分からないのですが、恐らく実家が名古屋だったので、名古屋の中部支社勤務になったのかなと思います。ただ、当時は雑誌部勤務になった事の方が名古屋勤務よりも遥かにショックでした。

望月:すると腐ったりなんかもしたんですか?

岸:腐りました。普通に「辞めます」とか言ったりもしましたね(笑)。インターネットが自分は好きで得意でもあったんです。とはいえ、今思うとインターネット以外のメディアをゼロから学ぶ事が出来たと言うのは自分にとっては資産になっていると思います。

【広告業界に入るきっかけ】

望月:そもそも、広告業界には元々興味を持っていたんですか?

岸:全然興味はありませんでした。僕は大学院でメディア論を学んでいたんです。特に僕は、地方に行って子供たちと一緒にドキュメンタリー映像を撮る事により、子供たちのデジタル操作の能力が上がると同時にその地域の事がもっと好きになるという主旨の研究をしていたんです。メディア論を学べば学ぶほど、大学で学ぶだけでは全く実践的ではないと感じるようになって、自分もメディアとして社会を動かしている広告や放送のような会社で実践的な事をしたいと思うようになったのが、(広告業界に入る)きっかけでした。ただ、ぎりぎりまで広告という選択肢は自分の頭の中に無かったんですよ。元々、僕は大学院に入る前の大学時代の専門は海洋生物学で、魚の研究をしていたもので(笑)。

望月:魚の研究をされていたんですか?(笑)。

岸:ええ。最近、JCBのCMで嵐の二宮君が「岸君に聞いたんだけどさ、ハリセンボン
の針って千本無いらしいよ」って言っているんですけど、実は岸君って僕なんです(笑)。

澤本(嘉光)さんという僕の大先輩の方と食事の席でその話をしたところ、もう大爆笑で。後日、僕のところに澤本さんが電話をかけてこられて「あのネタ、CMに使っていい?」と(笑)。「良いですよ」と言ったのですが、まさか自分の名前まで使われているとは思いもよりませんでした。

望月:就職活動では電通の他にどのような会社を受けられましたか?

岸:メディアの事をしっかりと学ぶという点で、広告の他には放送を考えていました。特にNHKはNHKスペシャルなど素晴らしい番組を作られていて、憧れがあったので受けましたね。また、結局は受けなかったのですが報道やジャーナリズムという点では新聞なども面白いかなと思っていました。最終的にはNHKと電通を受けて、より多岐に渡った事が出来るのではないかと言うイメージで電通に落ち着いたと言う感じです。

望月:当時の電通と言うのはどのようなイメージだったんですか?やはり大きくてきらびやかで……という感じですか?

岸:僕自身はあまりそういったイメージは持っていませんでしたね。僕は名古屋の出身なんですけれど、名古屋の人間はあまり電通について詳しく知らないんですよ。合コンでも「電通で働いています」と言うと、「え、デンソーじゃなくて?」みたいな感じでガッカリされるという感じで(笑)。あと、僕の同期には名古屋に配属になってタクシーで「電通まで」と言ったら中部電力の前でタクシーを止められて絶望したというエピソードもあったりして。僕自身、電通が具体的にどのような仕事をしている会社なのかというのは分かっていませんでした。ただ、色々な事が出来る土俵があると言う点において電通に対する憧れはありましたね。きらびやかなイメージというよりは、そういった事に対する憧れの方が強かったです。

【中部支社時代の仕事について】

望月:電通の中部支社での仕事は、自分の思い通りにいかない事というのもやはり沢山ありましたか?

岸:東京本社に配属になった場合、仕事のやり方と言うのはセクションごとに仕事がはっきり分かれている分業制だと思うんです。ただ、名古屋の場合は人間の数がそんなに多くないんですね。せいぜい200人か300人ぐらいです。だから、ちょっと自分の仕事の枠内からはみ出したような事をやろうとした場合でも、東京だと「他のセクションの仕事だろう!」と叱られるであろうところを「時間内に出来るなら、やればいいじゃん」と言うような感じで、自分のやりたい事に関しては比較的暖かい場所だったと思います。雑誌の仕事のみをやると言うのであれば仕事の範囲はやはり狭いものであったと思いますが、色々な仕事が出来る楽しい場所ではありましたね。

望月:その頃に手掛けた仕事と言うのは例えばどのようなものですか?

岸:東京の方には馴染みが薄いかもしれませんが、「マリエール」という結婚式場のキャンペーンを担当した事がありました。このキャンペーンは当時としては珍しいテレビCMとWEBをうまく組み合わせた物で、自分の中では凄く印象に残っています。あと、メーテレさんのキャンペーンで「インターネットを使っている人をいかにしてテレビに振り向かせる事が出来るか」という試みを行ったのも印象に残っています。今でも同じだと思うのですが、テレビを付けつつパソコンでインターネットをしている人ってすごく多いと思うんですね。そういった人に対して、パソコン上で「今、テレビでこういうことをやっているよ!」という呼びかけを行う事が出来たら、テレビに振り向いてくれるのではないかという狙いで、当時はまだ無かった言葉ですけれどガジェットのようなものを使ってキャンペーンを行いました。

望月:それらのキャンペーンは、結果として数字も伴うものとなりましたか?

岸:マリエールさんのキャンペーンはCMからWEBへの連動が40%を超えるぐらいのものになりましたね。今は減ったかもしれませんが、「続きはWEBで」というようなテレビCMって良くありますよね。当時、その際に連動させる検索ワードは、長いものは入力の手間が大きいから駄目だと言われていたんです。僕はそれが凄く腹が立ったんですね。だから「結婚します。マリエール」という本来なら改行を入れたいぐらい長い検索ワードでテレビCMとWEBの連動をしたんです。結果、全体の40%近い人がCMからWEBに行ってくれていて、この記録は未だに抜かれていないと思います。やはりカチャカチャと検索をするから人がWEBに行くのでは無くて、そもそもそのコンテンツや物語の中に行きたいという気持ちがあるから人は動くのだと。つまり、仕組みがあるから人が動くのではなく、何があるんだろう?とか人に言いたくなるといった気持ちの部分を先に作っていかないと、WEBとテレビの連動などと言っても中々機能しないという事に名古屋時代に気付きましたね。

【楽曲紹介1】


望月:このあたりで一曲ご紹介頂きたいのですが、どのような曲をお選び頂きましたか?

岸:1995年にサントリーのウーロン茶のCMに使われていた「太湖船」という曲を。

望月:サントリーのテレビCMは凄く可愛い中国語カバーの曲をずっと使っているんですよね。

岸:今、近くの大学生に聞いたら「知らない」と言われてしまいましたが……(笑)。当時、キャンペーンでプレゼントとしてこの曲のカセットテープを貰ったんですよね。それが凄く印象に残っているんです。

【東京本社への異動】

望月:名古屋で目立ったキャンペーンを手掛けられていた結果、東京に呼ばれる事になったのですか?

岸:広告の聖地として、東京には凄く憧れがありました。ただ、東京に居ないと面白い広告の仕事が出来ないと思うのは悔しかったですね。名古屋から東京を脅かすようなものが作れないかなと言う思いで仕事をしていたんです。

望月:東京に移って、最初に手掛けられた仕事はどのようなものでしたか?

岸:当時、電通にはIC局というインターネット関連のクリエイティブを手掛ける部署があってそこで仕事をする事になったんです。ここに来てようやくネット関係の仕事が出来るようになったと(笑)。この時は凄く嬉しかったですね。

望月:やっと思い通りの事が出来るなと言う感じだったんですか?

岸:むしろ思い通り以上の事が出来るようになっていたんです。ずっとネット関係の事がやりたいと思い続けていたんですけれども、3年かけて東京でいざその部署に配属になってみると、ネット以外にも面白いものは沢山あって、組み合わせてみるともっと面白い事が出来るということに気付いたんです。もっと新しい事があるんだ!という発見に自分自身ときめいた時期ですね。

【メディア・ニュートラルという発想】

岸:僕はそれまではずっとインターネットをどのように使うかという発想だったんです。サイトのデザインをどうしようかというような。しかし、ではそれを例えばテレビCMとどのように組み合わせることが出来るかというような発想をするようになったんです。当時はメディア・ニュートラルという呼び方をしましたが、WEBだからWEBの事だけを考えると言うのでも、テレビCMだからテレビCMの事だけを考えると言うのでもなく、その都度その都度最適なメディアを選択していくと言う事です。そのような考え方に当時僕は行き着きましたね。

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望月:具体的にそのような発想の元、手掛けたキャンペーンの事例はありますか?

岸:例えば「漢検DS」というゲームソフトの事例ですね。このソフトは普通に「漢字を勉強しましょう」と言っても売れなかったと思うんです。そこでPRを通じて「日本人はこんなにも漢字が書けなくなっている!」という事をアピールしたんです。今は多くの人がキーボードで文字を打つので、実際に手で漢字を書く事が苦手になっているんです。そういった潜在的な(漢字に関する)出来事を色々なニュース番組で取り上げてもらいました。そういったPRを行った上でキャンペーンを行うとソフトの売り上げは一気に伸びるんですよね。分かりやすい例で言うと「子供に漢字を聞かれて答えられない親が50%以上居る」といった事ですね。親としてはそれは子供に面子が立たない事なので、「漢字を勉強しようかな」みたいな空気が生まれるんです。当時、僕は「空気を作る」という事を言っていましたが、そういったPRをキャンペーンに組み込んでいくという事はよくやっていました。

【コミュニケーションデザインとは?】

望月:岸さんは「コミュニケーションデザイン」という言葉を生みだされ、「コミュニケーションをデザインするための本」という本もお書きになっていますよね。

岸:僕は自分が何屋なのかが良く分からないんですよ。広告のクリエイティブに関して言えば、コピーライターやアートディレクターといった職種があるんですけれど、自分のやりたい仕事とその肩書は異なっているように思えるんです。また、そういった肩書を付ける事によって自分の出来る仕事が制限されてしまう事に対する怯えのような物もあったんです。では自分は何をやっているのか。また何をやっていきたいのかという事を考えた時に、コミュニケーション全体を考えてプロデュースしていくべきだろうという考えに行き着いたんです。そこで当時は全く新しい肩書だったのですが、「自分はコミュニケーション全体をデザインしていきたいんです」と言う事で、会社に対して名刺に肩書を入れさせてほしいと言ったのが最初です。最終的にはコミュニケーションデザインに関する組織まで出来ました。この番組のタイトルにも使って頂いていて、非常に光栄に思います。「コミュニケーションが大事だよね」と時代的にも広く言われるようになってきていますが、最初は物凄く(コミュニケーションデザインと言う言葉を使う事に)反対されました。「意味が分からない」と。まあ今でも「意味不明」と言われるのですが(笑)。広告と言うのは、やはりコピーライターとアートディレクターが組んでクリエイティブディレクターの元で作っていくと言う物作りの基本がありますので。そういった基本に対して喧嘩を売ったつもりは無かったんですけれど、新しいカテゴリを作るとはどういうことだという視点はあったかもしれないですね。

望月:「コミュニケーションデザイン」とは、これまでにない新しいカテゴリを作ると言うことなんですか?

岸:いえ、僕は当然のごとく生まれてくるべき概念だと思っています。肩書である必要も無くて、僕は今でも「コミュニケーションデザイナー」という肩書は無くなっても良いと思っています。ただ、コミュニケーションをデザインすると言う概念は普遍的に残っていくべきものだと思っていますし、凄く大事なことだと思います。望月さんのように音楽と言う領域ですらコミュニケーションであると捉えてくださる方も居ますよね。元々は「コミュニケーションデザイン」という言葉は建築の領域で広く使われていた言葉らしいんです。建物のデザインの話では無く、その建物に足を踏み入れてきてくれた人との関わりをどうしていくかという観点で「コミュニケーションデザイン」という言葉が使われていたそうです。この番組でもテーマとなっている「伝える事」と「伝わる事」の違いを考えると、コミュニケーションというキーワードが重要です。その事からも、コミュニケーションデザインと言う概念が時代的に注目されてきているんじゃないかと思っています。

【コミュニケーションデザインの事例:フランク・ミュラーのWEBキャンペーン】

望月:「コミュニケーションをデザインするための本」では具体的にどのような事柄について述べられているのか、もしよろしければご紹介頂けますか?

岸:この本は少々古くなってしまっているんですよね。ただ、当時自分が重要視していた事で言いますと、例えば先程紹介した名古屋での仕事の事について触れています。あと、フランク・ミュラーという高級時計ブランドの事例について触れています。普通は広告と言うのは一人でも多くの人に見てもらおうと考える物なんですよね。ところがフランク・ミュラーというのは超高級時計なので、そもそも付ける人の数があまり多くないんです。そこでフランク・ミュラーはめちゃめちゃ難しくてめちゃめちゃ扱いづらいウェブサイトを作ったんです。そこで「うわ、嫌だな」と思って帰ってしまうような客はそもそもフランク・ミュラーの客ではないというぐらいの勢いで、分かる人だけ分かってくれれば良いという考え方なんです。このキャンペーンは僕にとって思い出深くて、本の中でも触れていますね。

望月:そのキャンペーンのフランク・ミュラーのサイトというのは具体的にはどういうサイトなんですか?

岸:ユーザーがサイトにアクセスすると、一問ずつ超難題が出てくるんです。数で言うと200万人がチャレンジして30人しか合格できないようなレベルの物です。そして、クリアしたユーザーの内、1名に200万円以上する時計がプレゼントされるんです。

望月:それは何とか頑張って解きたくなりますよね(笑)。でも、問題を考える方も大変ですよね。

岸:最悪に苦しい作業でしたね(笑)。「求ム、天才。」というキャンペーンだったんですけど、毎晩のように出題しあって問題を作っていました。でも、天才じゃない人間が集まって天才を探す問題を作っていた訳なので、どこか残念な気持ちになってしまって……(笑)。世の中は凄い物で、それでも解いてくる人がいるんですよね。恐れ多いと言うか。全部で5問ぐらいだったんですけど、こんなに難しかったら誰も解ける訳なんて無いから、難易度を下げた方が良いんじゃないか?という意見も出ていたぐらいなんです。でもインターネットの世界には素晴らしい方々が居る物で、確実にクリアされていくので、キャンペーンの運営側としても面白かったですね。テレビCMだと難しいキャンペーンだと大ムのですが、それをWEBを使ってする事が出来たと言うのは初期の自分にとってはすごく面白いチャレンジでしたね。

【コミュニケーションデザインの手掛ける領域と課題とは】

望月:今はWEBに関係の無い、テレビの企画や音楽、空間デザインまで手掛けられていますよね。

岸:自分はWEBの専門家であるとか、テレビの専門家であると言った具合に決める必要は無くて、何でもいいと思っているんです。与えられた課題に対して何を使えば一番良い形で答えられるかと考えていった結果、その答えがWEBでは無いパターンも有りますし、テレビCMを使って問題を解決する事もあります。だから、手法にはこだわりが無いんですよね。

望月:与えられるクライアントの課題と言うのは、シンプルなものですか?

岸:シンプルですね。僕の元に来る課題と言うのは、「WEBを作ってくれ」とか「テレビCMを作ってくれ」という段階の遥かに前の物です。「売り上げを上げてほしい」とか「事業をプラスの方向に動かしてほしい」というようなものですね。

望月:シンプルですが、難しい課題ですね。単純に広告のコミュニケーションのみの課題では無いですよね。

岸:例えば永谷園で「生姜部」というキャンペーンをさせて頂いた時には、「永谷園の中に生姜に対して本気で取り組んでいる人達がいないと、どんなに生姜の商品を広告で売り出しても売れないですよ」という事を伝えました。今の時代、テレビCMでどんなに商品を魅力的に見せても信じてもらえない事も多いですよね。実際に消費者の心に響くのはテレビCMの映像では無くて、その商品に対して真摯に取り組む企業の姿勢や汗だったりする訳です。そこで生姜を専門に取り組む「生姜部」という組織があって、そこが開発した商品なんですと言う事を言う事が出来れば、それは生活者にとって信頼できる物になると思いますと言ったんです。そこで永谷園の課題に対しては、広告を打つのではなく永谷園の中に「生姜部」という組織を作る事で解決を図ったんです。僕は勿論広告の力を信じていますし、広告ならではの力と言うのもあるのですが、一方で広告の力だけでは解決できない課題と言うのもある訳です。そういった課題に対して「関係無いじゃん」と言うのでは無くて、それらの課題も僕たちは解決をする事が出来ますとクライアントに対して言う事が出来ると言うのは今っぽいと言いますか、「広告を上流に」と言われている事だと思います。事業デザインや商品開発にも参加をさせていただく事がありますが、それも特別な事と言うよりは結果を出すためには自然な事であると思っていますね。

【楽曲紹介2】


望月:このあたりで2曲目を紹介して頂きますでしょうか。

岸:「Praan」という曲を紹介したいと思います。もしかしたら皆さん見た事がある人もいらっしゃるかもしれませんが、マットさんというアメリカのおじさんがただ世界中の行く先々で踊っているだけと言うビデオがYoutubeにアップされているのですが、そのビデオが何億回と再生されているんですよ。

望月:このビデオ、僕も見ました(笑)。

岸:見ていてなんだか幸せな気持ちになりますよね(笑)。その主題歌となっているのが、この「Praan」という曲なんです。昨年フジテレビさんと一緒に「東京リトルラブ」というドラマを作らせて頂いたのですが、この曲が好きすぎて中国の子に訳詞で歌ってもらった物を使わせてもらったんですよ。そういった意味でも思い出深い曲です。

#2 徐宛鈴「Praan」

【広告業界の今後の可能性】

望月:広告業界の今後って、有望かと言われると決してそんなことは無いですよね。ネットの登場によって、大きく産業構造が変わろうとしています。その中で何故広告業界の中でお仕事をされているのですか?

岸:難しい質問ですね。ただ、当然のごとく産業は大きく変わっていくものですよね。広告業界が元気が無いとか色々な事が言われていますし、実際売り上げも厳しくはなってきています。しかし、その中に居る人たちや広告を作ることで鍛えられてきたスキルやコンセプトを形にしていく力というのは今後より色々な業界で役に立っていくものだと思うんです。私は広告をベースに仕事をしているんですけど、音楽のJUJUさんと一緒に仕事をさせていただいたり、ドラマを撮らせていただいたり、イベントをやらせていただいたりもしています。

これは広告とはある意味では別の領域なんですけれども、「コミュニケーション」というのを武器にしていると色々なところで必要として頂けるという事が見えてきています。今の広告業界をそのまま維持していく事が出来るかと言うと厳しいと思うのですが、業界全体として今後の可能性が無いのかと言われるとそんなことは無いと思うんです。今までの有り方を守ろうとして閉じてしまうと共倒れになってしまうと思いますが、一人一人が何が出来るのかと言う事を考えて行動する事が出来れば、まだまだチャンスは広がっているのではないかと楽観的かもしれませんが思っていますね。

【常に「ど素人」であること】

望月:岸さんは様々な領域にチャレンジを続けていますよね。

岸:様々な事に挑戦していると、常に「ど素人」である事が出来るんですね。その事が凄く好きなんです。例えば僕はCMや映像を扱っている訳ですけれど、昨年は初めてドラマに挑戦したんですね。自分はドラマの現場でもある程度の映像は撮れるのではないかと思っていたのですが、現場に入ってみると作り方も撮り方も違うし手も足も出なかったんですよ。この年になると、普通は現場でど素人の立場というのは中々無い訳です。でも実際にドラマの現場に行ってみると、自分はど素人で邪魔な人間な訳です。「やばいな、勉強しなくちゃ」と。そういった事は勿論大変なんですけれども、自分の成長と言う意味では大きいんですよね。常に素人である事で、自分を追い込む事が出来る環境を用意出来ているというのは幸せだなと思います。

望月:しかし、そこで結果を出さないといけないですよね。そこは辛い点では無いですか?

岸:結果を出せと言われている以上、泣きながらやるしかない訳です(笑)。自分は怠け者なので、追い込まれないと何もやれないということの裏返しなんだと思いますね。だから、しんどい場所の方が楽しいんですよね。褒められている場所と言うのは図に乗ってしまうので、実は辛いんです。それよりもちょっと馬鹿にされていたり、「広告業界では名前が通っているみたいだけど、それが通じると思うなよ」と思われているぐらいの方が「見てろよ!」という気持ちでいられるんですよね。

望月:岸さんは各所からハンティングもあるでしょうし、独立してみないか?という声もあると思うんですよね。岸さんが電通で仕事を続けられている理由とはどのようなものですか?

岸:ずっと今後も電通に居続けるのかは分からないです。ただ、独立された方には失礼かもしれませんが(電通の)外に出る事は「楽をする」という事でもあるのではないかとも思うんです。自分の好きな時に好きなように物を作って好きなように評価を受けるというのは、独立をして外で物を作っている方が圧倒的にやりやすい事ですよね。一方で電通のように7000人も人の居る組織では中々思い通りに行かずやり辛い事もある訳です。僭越ですが、それを変えてみたいと思うんですよね。
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大企業の中でいかに一人一人が別の方向を向く事が出来るか。やはり大企業も変わらないといけない時期に来ているんですよね。でも大企業は変わらないとか変えれないと叩かれる。それを変える事がもし出来たなら、それは外に出て成功を収めるよりも遥かに大きなエクスタシーがあるものだと思うんです。それは苦しさの裏返しなのかもしれないですけれど、そういった事にチャレンジをしてみたいという気持ちが今は強いんですよね。

【「人の気持ちが動く瞬間」を追求する事】

望月:岸さんご自身が、今後やってみたい事と言うのはありますか?

岸:変わっているかもしれませんが、最終的には学術の世界に行ってみたいと思っているんです。コミュニケーションの可能性や魅力や意味を学術的にも教育としても追及する事が出来るような立場になりたいんです。ただ、今の仕事は本当に大好きなのでどちらかを取るというのではなく両方選ぶ事が出来るような生き方が出来ると幸せだなと思います。しかし今はそのような余裕というのはとてもじゃないですが無いので、目の前のコミュニケーションの仕事をしっかりとしていく事に追われているという感じです。

望月:エデュケーションとコミュニケーションは近いような感じがしますね。

岸:近いと思います。イノベーションというのもこの2つに近いと思うんですよね。実はこのあたりの言葉は本質的に全部同じだと思っているんです。教育は「教える」と書かずに「共に育つ」と書くと分かりやすいのですが、本質はコミュニケーションなんです。イノベーションも未来の当たり前の物を作っていく事だと考えると、そこにはコミュニケーションが介在してくるんです。エデュケーションもコミュニケーションも「人の気持ちが動く瞬間」を大切にしていくという事だと思うんです。だから分野としてここまでと区切るのではなくその瞬間を追求していった結果、それらの領域全てが自分の領域になっていくという風になると良いなと思いますね。

望月:それを支える社会システムというのも必要になりますね。

岸:仰る通りだと思います。僕はこの事を論として語るのではなく、仕事で示していきたいんです。論をどんなに語っても誰も耳を傾けてくれなかったんです。でも実際に仕事をして事例を積み重ねて、本も書いてみたところ「ああ、岸が言っていたコミュニケーションデザインってこういう事なのね」と段々分ってくれるようになってきたんです。だから今語ったような事も論で語るのではなく、仕事を通じてケーススタディなどの形で示していくしかないと思いますし、そうして分かってもらえたら嬉しいなと思います。

望月:後輩などの周りの人と一緒に活動をされる事もあるのですか?

岸:勿論です。一人で出来る仕事なんて無いので、チームで周りの人たちに支えてもらいながらやっているんです。でもこういった事を分かってもらうというのも、簡単ではないんですよね。よく「コミュニケーションデザイナーを大量に育てろ」という事を言われるのですが、「分かりました」と言ったところで教室に生徒を詰め込んでこれとこれを教えれば育つという物でも無いですしね。実際に現場でOJTを通じて教えられるものは教えていくというのが今出来る唯一の事かなと思います。これだ!と言えるような方法はまだ見つかってはいないので。

望月:「コミュニケーションデザイン」と考えると、広告代理店も非常に面白く見えてきますね。

岸:可能性として、広告代理店は面白い存在になる事が出来ると思うんです。だから内に閉じてしまわない事が大切です。

望月:それだけ面白い人材も居るという事ですよね。

岸:それは間違いないと自信を持って言う事が出来ます。広告業界を愛している人に面白い人やエキサイティングな人は沢山います。ただそれらの人が外に向けて粒差を思う存分広げる事の出来る環境なのかと言うと、まだまだやらなくてはいけない事もあると思います。

望月:これからもどんどん面白いプロジェクトを立ち上げて行って頂きたく思います。本日のツタワリストはコミュニケーションデザイナー、クリエイティブディレクターの岸勇希さんでした。有難うございました。

岸:有難うございました。

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