Interview_yokozawa of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

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横澤宏一郎 (クリエイティブ・ディレクター/CMプランナー/コピーライター)

【幼少期について】
望月:子どもの頃は転勤族だったそうですね。

横澤:父親がNHKに勤めていたもので、子どもの頃は2~3年おきに転校するのが当たり前の生活でしたね。
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望月:クラスの輪に溶け込む術のようなものは会得されましたか?(笑)

横澤:先生を味方につける事ですね(笑)。小学校って先生がポイントだと思うんですよ。だからまずは先生を味方にすれば、いじめから逃れられると。そんな事を考えたりはしましたね。

【学生時代の話】
望月:広告に興味を持ったのはいつ頃からですか?

横澤:子どもの頃から父親の名前がテレビ番組のテロップに出たりしていたので「テレビが仕事になる」という事は知っていたんです。でも自分が将来やりたい事は、放送では無いなという風にも感じていて。
そんな中、高校生の時に突然「CMを作りたい」と思い立ったんです。何故そんな事を思ったのか、未だにきっかけが分からないんですけど。そうしたら横に居た母親に「広告を作りたいなら電通に行きなさい」と勧められまして。

望月:そこでいきなり電通の名前が出てきたんですね(笑)

横澤:野球と言えば長嶋。サッカーと言えば釜本。広告と言えば電通だろうと(笑)。
その時に「広告を作るには、電通というところに行けばいい」という事は覚えたんです。ただ、それから特別に広告やCMについて研究したりはしなくて。普通に大学に進んで、普通に大学生活を過ごしてましたね。

望月:クラブ活動なんかはされていましたか?

横澤:小学校の時からずっとサッカー部で、高校生の時はキャプテンをしました。本当にサッカー漬けで、勉強なんてとんでもない(笑)。

望月:すると大学でもやはりサッカーをされていたんですか?

横澤:サッカーサークルに入って、週三回サッカーをしてました。それから週の他の日は少年サッカーのコーチをしていて。その中には元なでしこジャパンのボンバーヘッドの荒川選手もいて。僕が教えていた少年サッカーのチームはまあまあ強かったんですけど、やっぱり荒川選手は一個下の代からキャプテンをしたりしてましたね。

望月:就職活動はどうでしたか?

横澤:大学三年の就職活動の時期になって、やっぱりまず思い立ったのは電通だったんです。それから先輩に博報堂に内定している人が居たので、博報堂も考えてみようと。基本的に広告は電博に絞って考えてましたね。その他は放送関係で、民放とNHKを受けました。
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望月:電通には受かりましたか?

横澤:電通さんには落とされましてですね(笑)。その時は結構色々なところから内定も貰っていて「これは電通もいけるだろう」と自信があったんですけど、本当にあっさりと落とされて。
その時、人生で初めて嗚咽というものを経験しましたね。声に出さず、部屋で一人泣きました。高校生の時に初めて「ここに行きたい」と思った会社に入れなかった衝撃で……。

望月:よほど悔しかったんですね。

横澤:認めたくないというか、どうしたらいいのか分からないような気持がその時は沸き上がってきましたね。あんな気持ちは初めてだったかもしれないです。

望月:一方で博報堂には内定を貰ったんですね。

横澤:無事に博報堂に入社する事が出来まして。結果的には博報堂に入る事が出来て、とてもよかったなという風に思ってます。

【研修で感じた挫折】
望月:「CMを作りたい」と思って広告会社に入社したにも関わらず、横澤さんはクリエイティブ局に入られなかったんですね。

横澤:研修をしている時に「自分では無理じゃないか」と思ってしまったんです。同期で本気でクリエイティブを目指している人間は課題で書いてくるコピーが面白かったり、発想が全然違うなという印象を受けて。クリエイティブは特別な人がなるものだとはっきり分かってしまったんです。
ちょうどその時、テレビで武田鉄矢さんが「若い頃、同期の売れない劇団員を見ていて思った事がある。それは“世界で一番悲しい人は、才能が無いのに努力している人である”という事だ」と言っているのを聞いてしまって。その言葉がずんと響いたんですよね。ただでさえ「自分は駄目かもしれない」と思っている時にそんな言葉を聞いてしまったら、もう……。
そうしてクリエイティブ局は諦めました。

望月:横澤さんが最初に入った部署はどういったところだったんですか?

横澤:プロモーションデザイン局(SP)というところです。販売促進のプランを考えたり、イベントをしたり、おまけを作ったり。そういった事をしてました。

【クリエイティブ局への転局】
望月:SPの仕事は面白かったですか?

横澤:最初は面白かったんですけどね(笑)

望月:ははは(笑)

横澤:やっぱりどこかに「クリエイティブ局に行きたい」っていう気持ちが残ってたんですよね。段々と「自分の仕事を知ってもらいたい」という気持ちが強くなっていったんです。
例えば当時の僕の肩書は「プロモーションデザインプランナー」というものだったんですけど、親に名刺を見せた時に自分の仕事がどういうものなのか一言で説明できなかったんですよ。お店に客を呼ぶ施策を考えたり、おまけを作ったりする仕事といっても「ふーん、そう」という感じでリアクションが良くないんですよ。飲み会の席でも同じで、やっぱりコピーライターの奴なんかはすぐに仕事を分かってもらえるんですよね。それが悔しくなっちゃったんです。
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ちょうどその時、東大出身の野球選手の「やれる、やれないじゃない。やりたいか、やりたくないかだ」という言葉に出会ったんです。彼は「皆、お前にプロ野球は無理じゃないかというけれど、やりたいからやるんだ」と言っていて。その言葉を聞いて「そうだよな」と本当に思ったんです。「クリエイティブは向いていないんじゃないか」とか「無理なんじゃないか」とかそんな事ばかりを考えていたんですけど、「やりたいか、やりたくないか」で言ったら、やっぱり(クリエイティブを)やりたくて。だったらこんなところでうじうじしてないでクリエイティブに移って、そこで花咲かなかったら仕方が無いじゃないかと思って、クリエイティブ試験を受ける事にしたんです。

望月:そうして見事に試験に合格されたんですね。実際にクリエイティブ局に移ってみて、現場はイメージどおりでしたか?

横澤:外部から見てると、クリエイティブ局って夢のような場所だと思いますよね。海外ロケが多くて、タレントに会えて、面白い事が出来るんだろうなと(笑)。僕もそう思ってったんですけど、実際は中々……。やはりクライアントさんからお金を貰ってメッセージを伝えるという仕事ですから、面白ければいいというものでも無い訳ですよね。
実際、僕が配属されたチームは、僕が思い描いていた「面白いCMを作ろう!」という感じのチームでも無くて。だから、不満がたまったりもしましたね。僕は4年遅れてクリエイティブに移っているので、早く結果を出さなくてはいけないという焦りもあったんです。丁稚(でっち)で一からやっていったら単純に四年遅れたまんま進んでいってしまうので、どこかでワープしなくてはいけないなと。だから、時には上司に逆らったりもして(笑)。あんまり当時は上司の言う事を聞いてなかったですね。

【楽曲紹介1:思い出のCMソング】
望月:このあたりで思い出のCMソングをご紹介頂けますか?

横澤:小沢健二さんの「カローラⅡにのって」を。
この曲はカローラⅡのCMソングだったんですけど、作詞を佐藤雅彦さんがされていて。佐藤さんは正に電通の天才クリエイターだった方ですが、セールスプロモーションからクリエイティブに移られた先駆者でもあるんですよね。だから僕も佐藤さんに憧れているところがありまして、このCMも大好きだったんです。これだけ企業の言いたい事を言って、車も15秒間ずっと映っているのに、これだけ気持ちが良いCMを作れるというのは凄い事だと思って、感動した覚えがありますね。

#1 小沢健二「カローラⅡにのって」


【苦悩の時期】
望月:クリエイティブ局に移られて、最初の頃から企画がぽんぽん通ったそうですね。

横澤:1999年の6月にクリエイティブ局に移ったんですけど、ちょうどその6月に出した企画が3本ぐらいぽんぽん通ったんですよね。今思うと奇跡的なんですけど(笑)。
その時にやった仕事で、2000年に東京コピーライターズクラブ(TCC)の新人賞を貰ったんです。

望月:ものすごく順調な滑り出しですよね。

横澤:「これは俺は順風満帆じゃないか」とその時は思ったんですけど、それから3年間ぐらい全く企画通ってないんですよ(笑)。小さい仕事で通ったものはあったかもしれないですけど、所謂CMっぽいものは全然で。苦悩の時でしたね。

望月:やはり企画を通すのって大変ですか?

横澤:最初の内はビギナーズラックで、オリエンとか全く聞かずに企画を出してたら、たまたま強いものが出来て、クリエイティブディレクター(CD)の人がちょこちょこと直してくれて通ったという感じだったんです。
ところが段々と仕事の仕方が分かってくると「(商品の)これが言えてなくちゃいけない」という風に真面目になっていくんですよね。するとどうしても出す企画が面白くなかったり長すぎたりして、どんどん通らなくなっていく悪循環にはまっていってしまって。その頃は「あれ、思い描いていた事と違う」と、仕事から逃げ出していくような生活が続いてしまいましたね。

望月:博報堂のような会社に勤めていると、どんどん仕事が降ってくるようなイメージがあるんですけど、実際はどうですか?

横澤:言う事を聞いて、周りにちゃんと合わせていければ良いんでしょうけど、僕の場合は打ち合わせに行かなくなっちゃったりして(笑)。撮影も編集も行ってないとなると、次から呼ばれなくなるじゃないですか。
すると、これまであった仕事が少しずつ減っていって、上からも声を掛けられなくなっていってしまって。なおかつ僕は元々クリエイティブに居なかった人間なので、離れた場所から「あいつに仕事を振ってやろう」というような知り合いも居なくて。だから直属の人が仕事をくれる以外は、自分で仕事を取ってくるしかなくて。幸い僕にはSPに居た時の人脈があったので、営業のフロアに行っては営業に営業するというような感じでした。
先輩の箭内道彦さんが同じ第二制作局というところに居たんですけど、「営業パトロール」と称して営業フロアを回って仕事を取って来ているという事を聞いていたんですよ。だから、それを僕もやってみようと。そうして、少しずつ小さな仕事をゲットできるようには成りましたね。

望月:社内営業の効果が徐々に出始めたんですね。

横澤:小さな仕事だと営業の人も「ちゃんとしたCDの人には頼めないな」と思ってしまったりもするじゃないですか。その点「何でもやりますよ」と言って、低予算だけど気の利いたものや面白いものを沢山作るようにしてました。後は広告雑誌に作品を応募して、名前が出るようにしたりもしましたね。「最近、この横澤って奴の作品、よく出てきてるな」という感じでCDや営業の人に名前を覚えてもらおうというのが、僕の立てた作戦だったんです。

【アイデア重視のグラフィック】
望月:社内営業をされていた当時、横澤さんが作った作品はどのようなものですか?

横澤:ブラッド・ピットの写真集のポスターを駅長さんの手書きメッセージそっくりに、青焼きで作ったりしましたね。

望月:このポスター、写真を一切使ってないんですよね。ポスターに書かれているメッセージを読んでみたいと思います。「お客様へ。本日、この場所に掲示を予定しておりましたエンターブレイン社発行「ブラッド・ピット写真集」の広告ポスターは、女性のお客様の失神を未然に防ぐため、急遽掲示を中止いたします。なおこの写真集は全国の書店にて3000円で発売中です。」と(笑)。
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横澤:このポスターは、駅貼りポスターそっくりなんだけれど立ち止まらせるものを作りたいなと思って作ったんですよ。一瞬「何のお知らせだろう」と思って、見てしまうじゃないですか。電車が止まったりするのかなとか。
実際、掲出場所にポスターを見に行ったんですけど、やっぱり想像通りに人が立ち止まっていて(笑)。ツイッターとかあったら、もっと話題になったかもしれないなと思いますね。この頃はまだそういったものが無かったので、一部のブログをやってる人にしか取り上げてもらえなかったんですけど。.

望月:この頃手掛けた仕事は、こういったグラフィック系のものが多かったんですか?
横澤:そうですね。他には少年チャンピオンという漫画雑誌の企画で、実際の漫画の紙をそのまま大きくして、そこにチャンピオンからの若者に対するメッセージコピーを載せて貼りだしたりもしました。あまりお金をかけずに、グラフィックで、アイデア重視の表現を世の中に出していくパターンですね。

【ウイニングイレブン「日常生活サッカー化宣言」】
望月:横澤さんの転機となった作品はどういったものですか?

横澤:自分の代表作だと思っている作品は、KONAMIさんの「ウイニングイレブン」というサッカーゲームのCMですね。
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このCMは「人生はサッカーだ。」というキャッチコピーのもので、「日常生活サッカー化宣言」という大きなキャンペーンをやったんです。このCMはサッカー用語を日常に置き換えるというもので、例えば「ワンタッチパス篇」では部長が課長に「この書類やっとけ」と書類を渡すと、それを課長がそのまま係長に「やっとけ」と渡すという(笑)。
で、係長が「出来ました」と課長
に渡すと、課長が部長に「出来ました」と渡すという、中間管理職というか、会社組織を揶揄したような内容になってるんです。「人生はサッカーだ。」ということで、会社篇とか合コン篇とか実家に挨拶に行く内容のものとか20数本CMを作ってオンエアしましたね。

望月:合コン篇が気になりますね(笑)。

横澤:合コン篇はですね、まず男女が並んでるんですけど、先輩のところに誰も女の子が行ってないんですよ。そこで後輩の2人が「やばいよ、太田先輩のところ誰も行ってないよ」と相談するんですね。
で、「太田先輩、何科でしたっけ?」と。「外科」と答えると、女の子が「お医者さんなんですか!」と先輩に寄ってくると。これが「センタリング」です(笑)。

望月:サッカーを小さな頃からやっていたからこそ出てくるアイデアなんでしょうね(笑)。

横澤:「お前っぽいな」とよく言われました(笑)。

望月:このCMが様々な賞を受賞されたそうですね。

横澤:東京コピーライターズクラブのTCC賞や、ACC賞を受賞しました。後、サッカーネタということで海外でも評判が良くて、タイのアジア太平洋広告祭の賞を取ったり、カンヌ広告祭でもファイナリストまで残ったりしました。未だに講演とかで流すと、一番受けるCMですね。

【TSUTAYA DISCASのテレビコマーシャル】
望月:その後、手掛けられた作品にはどのようなものがありますか?

横澤:印象に残っているのは、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)さんの「TSUTAYA DISCAS」のCMですね。TSUTAYA DISCASはDVD・CDのネット宅配レンタルサービスでネットで、申し込むと家に作品が届いて、ポストで返却できるというものなのですが、2005年からずっとやらせてもらっていて、年間3~4本のペースで色々なバージョンを作っていたんですよ。
営業の人と自主プレをしに行ってCMをやらせてもらう事になったのですが、最初の内はお金が無かったので自分でディレクションして、自分でナレーションしたりして(笑)。
このCMは佐藤雅彦さんのように、企業のメッセージをすべて盛り込むのだけれど楽しめる、インフォーマシャルではなくエンターインフォマーシャルのような事ができないかと思って作っていったシリーズなんです。クライアントから「この情報を入れてください」と言われた時に「もう入りません」と断るのではなく「どうやったらその情報を入れられるだろうか」と考えて。ある種ドMですよね(笑)。
撮影当日になって「この情報を入れてほしい」と言われた時も「この台詞に突っ込んじゃえ」と。むしろ楽しんで作ってましたね。

【SUUMOのテレビコマーシャル】
望月:横澤さんはリクルートの「SUUMO」のCMも手掛けられていますよね。

横澤:「SUUMO」はそれまでリクルートさんがやられていた「住宅情報」というブランドをまとめて一つにして出来たものなんですよ。
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そういった意味では大胆で、リクルートさんは流石だなと思いますね。
「SUUMO」のCMを手掛ける事になった時、既に名前とロゴは出来ていて。それを見た時に、すごく優しそうな印象を受けたんですね。だから、僕はそこにどうやったら顔つきを出す事が出来るかを考えました。名前とロゴから受ける優しい印象に人格を持たせたかったんです。だからキャラクターを作る提案をした方が良いんじゃないかと思って、あの緑のキャラクターが出来ました。

望月:あのキャラクターはご自身で作られたそうですね。

横澤:手書きで「こんな感じかな?」って作りました。もふもふした感じを出したいなと思って、手触りにこだわったんですよ。というのも、家を買おうと考えているいまの30代や40代って、幼少期にセサミストリートやガチャピン、ムックが流行った世代なんですよね。
だから、ああいった抱きつきたくなるものや手触りの良いものって僕らの原体験にあるんじゃないかと思って。なおかつ子どもにもうけるし、僕らのような年代の親の層にも受けるんじゃないかと。そこで「こういうキャラクターにしませんか?」とプレゼンテーションをしたんです。

【楽曲紹介2】
望月:このあたりで次の曲をご紹介頂けますか?

横澤:たむらぱんさんの「ラフ」という曲を。仕事柄、色々な音楽アーティストの方のデモCDを頂いて聴いたりするんですよ。そういったものって本当に印象に残るものでないと、もう一度聴こうという気にはならないですよね。その点、この曲は久々に感銘を受けまして、スピッツをはじめて聴いた時のような感覚になったんです。そうして会社でヘビーローテーションしていたら「ちょっとそのCD俺にも貸して」と、5人の内3人にインフルエンスしまして(笑)。透明感と不思議な感じがありつつ、でも日常感があるんですよね。あんまりこういう曲を聴いた事が無くて。その感じが大好きなんですよね。

#2 たむらぱん「ラフ」


【コミュニケーションデザイン・ブティックとは】
望月:最近、横澤さんはタンバリンという新しい会社を作られたそうですね。この会社はどういったコンセプトなのでしょうか?

横澤:今までにもクリエイティブ・ブティックというクリエイターの人だけで作ってやっていく会社はあったと思うんですけど、個人的に今の時代、クリエイターだけでやっていく会社というのも違うかなという気がしているんですね。というのも、クリエイターだけであえて一か所に集まる意味があまり無いんじゃないかと思うんですよ。コピーライターとアートディレクターが一緒に居るのは当たり前で、そこにクリエイティブディレクターが居ても良いんですけど、それだけで固まるのではなく、例えばそこにウェブをやる人やストラテジストのような人が居た方がコミュニケーションを作っていく上で効率的だし、話もしやすいし、お互いにストレスなくやっていけるんじゃないかという気がするんです。だからタンバリンはクリエイティブ・ブティックではなく「コミュニケーションデザイン・ブティック」と名乗っているんです。今後、こういう流れが出てくるのではないかと考えて、一度立ち上げてみようという事でやっています。

望月:タンバリンにクリエイターとして所属しているのは横澤さん一人だそうですね。

横澤:クリエイターは僕一人です。
他にはキャンペーンプロデューサーとストラテジスト、ウェブプランナー、プロモーションの人間が居ます。計5人体制でそれぞれ意志決定をする人たちを集めていまして、他の人間を入れたい時はタンバリンの内部からではなく外部から連れてくればいいという発想です。

望月:すごくミニマムな組織ですね。意志決定が早そうな印象を受けます。

横澤:実際、意志決定はすごく早くなりました。隣の席に座っていたりすると、ストラテジストが戦略の企画書打ってる感じが分かったりするんですね。なので「僕、こういう事考えたんですけどどうですか?」と声を掛け合ったりしていますね。

望月:全ての仕事を全員で受け持ってやっているんですか?

横澤:面白いもので、クリエイティブの人間とキャンペーンプロデューサーの歯車って違うんですよ。
クリエイティブの人間は、CMの場合だと2カ月後には納品してたりしますよね。
でもキャンペーンの人間は半年後のキャンペーンを半年前から設計して、3カ月間かけて終わらせたりするんですよね。タームが全然違うんですよ。全部を全部一緒にやるとなると、キャンペーンプロデューサーは人が全然足りなくなりますね。クリエイティブって手離れがある意味良いので。だから、大きなクライアントに関しては一緒にやるようにして、他は個々にやるような形にしてます。プレゼンに関しても、どこまで求められるかによって全員集まる場合とそうでない場合でケースバイケースですね。

望月:最近はCM一本でキャンペーンを成立させるような案件ってほとんど無いですよね。ウェブを絡めたり総合的な視点が求められると思うのですが。

横澤:特に大きなクライアントに関してはほとんどそうなってきてますね。
ただ、コアの部分のアイデアはやはりクリエイティブが出さないといけないと思うんです。クリエイティブがコアのアイデアを出して、それを個々が持ち帰って形に落とし込んでいくのが僕は一番早いし、強いと思っているんです。
昔はプレゼンの前日までクリエイティブの企画が決まらないというような事があって、SPはすごく辛かったんですよ。企画が決まらないと、プロモーションの提案は月並みな事しかできないんですよね。そういったストレスを僕はタンバリンのメンバーには感じさせたくないので、僕は「こんな感じかな」と考えた企画を他のメンバーに口頭でも伝えたりするんですよ。「この間のこれ、ここをこういう風にして、こんな感じにしようと思うんですよ」とプロデューサーに言うと「面白いじゃん。
すると、ウェブはこういう風に出来るよね」とそこで会話が生まれるんですよね。早めに企画の骨子を伝えてあげると、彼らは凄くやりやすくなるんですよね。だからこういったやり方は新しいところだと思ってます。

望月:企画自体を外の人間に頼んだりする事はありますか?

横澤:自分はクリエイティブディレクターだし、CMプランナーだし、コピーライターだという意識があるので、コアのアイデアはすべて自分で考えますね。少なくとも「俺はこういう風に考えている」というものを携えて打ち合わせに出ないと、判断も出来ないですよ。
僕はそういったものを必ず一つか二つは持っていくようにしていて、それを判断基準にして「このアイデアは優れているから、あれを下げてこれを使おう」「このアイデアを自分の企画に取りこめないか」というような事を考えてます。下の人からしてみたら「結局あんたのアイデアを使うんだろう」となってしまうかもしれないですけど(笑)。
でも自分はやはりクリエイティブディレクターなので、コアのアイデアを決めた上で「コピー考えてみて」「絵を考えてみて」という具合に渡すようにしてますね。

望月:クリエイティブディレクターとストラテジストの間で喧嘩になる事はありますか?

横澤:クリエイターってある種コミュニケーションを支配してしまうところがあるじゃないですか。大物CDが言った事だと「それ違うんだけどなあ」と心の中で思っていても、委縮して何も言えなかったりして。その点、いま僕は38歳で組んでるストラテジストが44歳なので意見が交わしやすいんですよ。向こうも気を使わないし、こちらとしても年齢が下なので、支配してしまう感じは嫌ですし。年齢的に丁度良いなと感じてますね。あと、アウトプットが好きなストラテジストと組む事が多いんですよ。僕よりもCMの歴史に詳しいんじゃないかって人と組んだりするので、ストレスを感じる事は無いですね。

望月:いま手掛けられているキャンペーンにはどのようなものがありますか?

横澤:ペプシネックスのキャンペーンを去年からやらせてもらっています。



望月:名だたるミュージシャンが出演されているキャンペーンですよね。特に今出演しているB’zさんは、これまで全然CMに出なかったアーティストですよね。

横澤:そうですね。また、去年は1クールごとに3組のミュージシャンの方に出演して頂いて、最後に宇多田ヒカルさんに出演してもらいました。ご想像いただけるかと思うのですが、キャスティングの段階が一番大変でしたね。でも思い出深いキャンペーンです。

望月:こういった形で次々新しいコミュニケーションが生まれてくるのは、面白いですね。

横澤:組織としてこういった場所がある事はすごく新しいと思いますし、面白いですよ。部室みたいな感じで(笑)。居心地が良くてつい居座ってしまったりして。

望月:是非これからも新しいキャンペーンを作り続けてください。本日のツタワリストはクリエイティブディレクターの横澤宏一郎さんでした。ありがとうございました。

横澤:ありがとうございました。

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