Interview_sano of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

HOME > Interview_sano

佐野研ニ郎 (アートディレクター)

【子どもの頃】
望月:佐野さんは子どもの頃から絵がお好きだったんですか?

佐野:絵は好きでしたね。あと父親がパソコンを持っていたんです。その当時は「マイコン」と呼んでいたんですけど。
IMG_2037.JPG
望月:ありましたね!NECのパソコンですよね?

佐野:それです(笑)。その頃のゲームってカセットテープやフロッピーディスクで、父親のパソコンをいじったりもしていたんですけど、そのうちに「自分でゲームを作ってみよう」と思い立って、パソコンで絵を描き始めたんです。カッコよく言えば、コンピューターグラフィックスですね(笑)。
まあ当時のパソコンなんてすごく単純なものだったんで、四角や丸を組み合わせて魚を描いたりといった具合だったんですけど。

望月:自分でプログラムを書いていたんですか?

佐野:絵を描く時は専用のツールがあって、それを最終的にプログラムに直してくれるソフトがあったんですよ。他の部分は頑張ってプログラムを打って、そうして作ったゲームを友達にやらせては面白いとかつまらないとか評価を貰ってました。同世代の中ではパソコンに触れるのは割と早かった方だと思いますね。

望月:すると佐野さんは理系の方向に進まれたんですか?

佐野:そういう方向に進んでいたら今頃ハッカーかなにかになっていたかもしれないですね(笑)。とこ
ろが中学に入ってからは野球が好きになってしまって。パソコンなんてそんな根暗なものは嫌だ!と思って辞めてしまったんですよ。

望月:野球のポジションはどこだったんですか?

佐野:ライトで9番でした。全然ダメだったんです(笑)。

望月:(笑)

佐野:トスバッティングが本当に苦手で。トスバッティングで空振りしてたんですよ(笑)

望月:肩は強かったですか?

佐野:肩は強かったです。ワンバンでキャッチャーのとこに投げたりするのは好きでした。

望月:その間は絵のことは忘れていた感じですか?

佐野:基本は野球少年でした。ただ、美術の時間は好きでした。元々絵は好きでしたし、先生にも褒められたりしていたので嬉しくなって色々書いてましたね。もっとも将来絵の仕事をするなんてことは考えてなかったですが。

【美術の道へ】
望月:野球少年だった佐野さんは、いつから美術の道に転向されたのですか?

佐野:中学を卒業して、高校は普通の進学校に進みました。そして高校では陸上部に入ったんですよ。本当はラグビー部に入りたかったんですけど、ラグビー部が無くて(笑)。ゆくゆくは早稲田とかに入ってラグビー部で活躍するために足腰を鍛えようと思ったんです。
ただ、陸上部ってひたすら校庭のトラックをマグロみたいにぐるぐる回るだけなんですよね。それはそれで結構楽しんではいたんですけど、回りながら「ただ回るだけって言うのもな……」と思ってしまって。
そんな時に、自分は絵が元々好きだったということを思い出したんです。あと、美術部に可愛い女の子が居たんですよ(笑)。木曜日は陸上部の練習が無かったので、その日に美術部を兼部することによって絵を通じてコミュニケーションが出来るんじゃないかと思ったんです。

望月:かなり不純な動機ですね(笑)

佐野:多かれ少なかれそんなものだと思いますよ(笑)。そうして美術部に入って、デッサンなどをしていたんですけど、描いていると先生が褒めてくれたんですよね。時期的には高校の終わりぐらいだったんですけど「これはもしかして才能があるんじゃないか?」と思い始めて。そこで美術大学を目指そうかと考え始めたんですけど、親には全然そのことを言ってなかったんです。
そんな中、三者面談の時に先生が「佐野君は文系かな?それとも理系?」と聞いてきて。親は「研二郎は文系かな」と答えていたんですけど、僕は「芸術系」と答えて(笑)。

望月:おお(笑)

佐野:親は「は?」みたいな感じになりましたけどね(笑)。「そんなこと聞いてないぞ」と。でも晴れて高校3年生の春から代々木ゼミナールの美術予備校に通うことになりました。

望月:受験勉強は上手くいきましたか?

佐野:いや、やっぱり遅かったですね。皆高1とか、下手したら中学からやっている人もいるぐらいで。
蜷川実花さんが同じ予備校の同級生に居たんですけど、やはりスペシャルに上手くて。それもちょっとワルで、オシャレな感じなんですよ。僕なんかは陸上部あがりで気合いだ!というような感じの絵しか描けなくて、全然アートっぽくなくて。それがすごくコンプレックスでしたね。
でもトスバッティングやランニングを頑張ってやってきたように、家に帰ってからもコカコーラの缶を描いたり、手のデッサンをしたりと下積み的なことをやってました。

#蜷川実花
images.jpeg

【日比野克彦への憧れ】
望月:佐野さんが多摩美術大学のグラフィックデザイン科を選ばれた理由は何だったんですか?

佐野:僕は本当に(学科について)何も知らなくて。油絵ぐらいは分かっていたんですけど、他にも彫刻とか日本画とか色々あるじゃないですか。僕は日本画科って、浮世絵を描いているのかと思ってて(笑)。
「浮世絵描くのはあまり面白くなさそうだな」と思って、別の学科にしようと。あと、彫刻科というのもあったんですけど「仏像かなにかを作ってるのかな?」と思ってしまって、面白くなさそうだなと。そんな中、当時は日比野克彦さんがよくテレビに出られていたんですよ。

#日比野克彦
images-1.jpeg

望月:日比野克彦さんと言えば、ポップアートですね。

佐野:ああいう作品は自由で良いなと思ったんです。そこで日比野さんのプロフィールを見たら、芸大のデザイン科卒と書いてあって。こういった作品を作るにはグラフィックデザインを学んだほうが良いのかなと思って、グラフィックデザイン科を選んだんです。

【楽曲紹介1】
望月:このあたりで、思い出のCMソングをご紹介頂けますか?

佐野:では、宇多田ヒカルさんの「Keep Tryin’」を。KDDIのLISMO!(リスモ)というサービスがあるのですが、そのキャンペーンで一番最初にタイアップという形で使わせて頂いた曲です。



#1 宇多田ヒカル「Keep Tryin’」


【大学時代】
望月:グラフィックデザイン科での勉強はどうでしたか?

佐野:面白かったですね。全員美術部みたいなものですから。変な人がいっぱいいるんですよ。金髪の人は勿論いるんですけど、赤い髪の人や緑の髪の人までいたりして。陸上部上がりの僕としては、これはすごいなと思いましたね。

望月:真似して金髪にしたりはしませんでしたか?

佐野:僕にはそういう勇気が無いんですよ(笑)。

望月:成績はどうでしたか?

佐野:僕は真面目なので、学校の成績は割と良かったんですよ。学校まで2時間近くかかってたんですけど、毎日通って、部活もラグビー部に入りました。

望月:そこでついにラグビー部に入ったんですね(笑)

佐野:憧れでしたから、そこは初志貫徹ということで。

望月:美大にもラグビー部があるのが意外ですね。

佐野:美大リーグなんていうものもあるんですよ。美大のラグビー部同士が戦うんですけど、意外と芸大が強くて。

【広告の世界を目指すきっかけ】
望月:佐野さんが広告の世界を目指すきっかけは何だったんでしょうか?

佐野:元々学校に入った時は日比野克彦さんみたいなイラストレイターになりたいと思っていたんです。ところが、一年生の文化祭の時に聞いた大貫卓也さんの講演がすごく面白くて。色々な広告作品を見せてもらったんですけど、どれもすごく良かったんです。
僕はいつも反射的に動いてしまうんですけど、自分の道はこれだ!と思ったんです。アートディレクターとして自分でイラストも描くのだけれど、カメラマンの人に仕事を頼んだりもする。色々な人と組む事で、自分で出来ること以上のものが出来あがってくるかもしれない。アートディレクターじゃないとそうはなれないんじゃないかと思ったんです。
そういったアートディレクターの仕事の奥行きの深さに憧れて、その道に行こうと。

望月:チームで仕事をすることに魅力を感じたんですね。

佐野:部活をやっていたことも関係しているのかもしれないです。やはり複数人でやることで、自分が考えている以上のものが出来てくるという経験があったので。仕事でもそういう風になればいいと思ったんです。例えば僕は今でも写真があまり得意じゃないんですけど、プロのカメラマンの人と組むことによって良い物が出来あがってきたらいいなと。作っている自分もドキドキしてくるようなことがしたいと思って、アートディレクターになりたいと思いました。

望月:佐野さんは広告会社の中でも博報堂を目指されたんですね。

佐野:時期的には大貫さんがちょうど博報堂を退社するぐらいの頃だったと思うのですが、やはり大貫さんは博報堂の出身ということで「(目指すは)博報堂しかない!」と思ったんです。
IMG_2037.JPG
ただそれを周りに言って、周りも皆博報堂を目指し始めると困るので、人知れず博報堂に入るにはどうしたらいいかを研究して、就職科で博報堂に入った人たちのファイルを見たりしていたんですよね。

望月:そうして見事に博報堂に入られたんですね。ちなみに電通は受けられなかったのですか?

佐野:電通も受けました。ただ、やはり当時は大貫さんが居たので博報堂の方が良いというような風潮がありまして。それで博報堂に入ったんです。

【入社後の苦労】
望月:博報堂での仕事はいかがでしたか?

佐野:やはり仕事をするのは大変だなと思いました。大貫卓也さんの仕事を見て、僕は部活っぽいノリで
仕事をしているものだと思っていたんです。「次、としまえんこんな感じ良くない?」とか「カップヌードルのCMに原始人とか笑えるよね」とか。

でも実際には年配の方とかも色々なチームに居て、打ち合わせもシリアスな感じだったりして。ああいった雰囲気の中で次々と作品が作りだされていくというのはすごいことだと思いました。
大貫さんの本当のすごさが会社に入って初めて分かりましたね。人の意見を聞きすぎても駄目だし、聞かなすぎてももちろん駄目だし、自分の意見ははっきり言わないといけないし。皆が楽しめるようなものを作るのは結構困難だぞと会社に入ってまず思いました。

望月:それはそれで楽しい作業であるとはお思いになりませんでしたか?

佐野:いや、やはり最初のうちは大変でした……。入社してすぐの頃、バドガールというバドワイザーの恰好をした女の子が流行っていて、そのポスターを作る仕事があったんです。ポスターの撮影に行ったら、やはり水着の女の子なので華やかで、ちょび髭を生やしたおじさんのカメラマンの方が「いいねいいね!最高!」なんて言っていて「すごく業界っぽい!」と思ったのを覚えてます。
ただ、その後はやはり切り貼りとか地味な作業が多くて。

【キャラクターの有効性】
望月:最初に手ごたえをつかんだのはどんな仕事でしたか?

佐野:日光江戸村の「ニャンまげ」というキャラクターを作った時、上のアートディレクターの方が「面倒は見るから、思いっきりぱあっとやってみたら?」と言ってくれて。そこで初めてわがままを言ったり、自由にやらせてもらうことが出来たんです。

#ニャンまげ
images-2.jpeg

望月:この仕事は、そもそもどのような依頼だったのですか?

佐野:そもそもの依頼は「日光江戸村の客が減ってきたので、何とかならないか?」というものでした。キャラクターは「あってもいいけど、無くてもいい」というぐらいのものでした。だから「キャラクターを作ってほしい」という依頼ではありませんでした。
ただ、やはりディズニーランドにミッキー・マウスがいるように、日光江戸村にも何かいた方がいんじゃないかとは思いましたね。でも、普通にかわいいキャラクターを作っても今一つだなと。そもそも「日光」なのに「江戸」という時点で何か間違っているんじゃないか?と(笑)。日光江戸村にはそういう良い意味での矛盾がありますよね。
ならば、ただ可愛いというよりも「何だこれ?」というようなものが良いだろうと。そこで、ちょんまげの生えた招き猫をベースにしたキャラクターを作ってみたんです。

望月:招き猫にちょんまげが生えているから「ニャンまげ」なんですね。

佐野:オヤジギャグなんですよ(笑)。
そうして無事にキャラクターが出来あがり、CM撮影をしたりして。あと、当時の代理店のデザイナーはあまり作ろうとしなかったんですけど、キャラクターグッズも作りました。
images-3.jpeg
日光江戸村でしか売らないことにしていたんですけど、実際に売ってみたところ、結構お客さんが買っていってくれたりして。
そういう経験をしたことで、それまでは広告と言えば美しい新聞広告のようなものを作ることというようなイメージがある種のステータスとしてあったんですけど、実際には新聞広告よりも携帯ストラップを作った方が広告としての効果があるんじゃないかというような事を考えるようになりました。
何故なら、新聞広告は基本的に一日で掲載が終わりますよね。ところがキャラクターを作って携帯ストラップにしたら、その人が一ヶ月付けてくれたら一ヶ月、下手したら半年も一年も(効果が)続くわけじゃないですか。ある時、個人的に伊豆に旅行に行ったんですよ。伊豆と日光って距離的に離れていると思うんですけど、伊豆のバスの運転手さんが話している携帯電話のストラップがニャンまげだったんです(笑)。これはすごいぞ!と思いましたね。
キャラクターを作ったら、こういう風にして広まっていくのかと。手法として有りなんじゃないかと思いました。

望月:ニャンまげの成功を機に、色々な仕事が佐野さんのところに来るようになったんですね。

佐野:そうですね。TBSのブタのキャラクターの「BooBo」くんや、KDDIのLISMO!の白いリスのキャラクターの「リスモくん」を作ったりとか。キャラクター以外にもミツカンの納豆のパッケージを作らせていただいたり、色々なものを作らせてもらっています。

#BooBoくん
images-4.jpeg

【LISMO!のキャンペーン】
望月:LISMO!についてお聞きしたいのですが、これはかなり長いキャンペーンになっていますよね。
#LISMO!
Unknown.jpeg

佐野:キャンペーンが始まって6年目になりますね。このキャンペーンについても、そもそも「白いリスを書いてください」という依頼があった訳では無くて。
元々KDDIは音楽に強いキャリアというイメージがあったので、そのイメージをさらに強力にしたいという話があり、アイデアがあったらブレインストーミングで出してくださいということだったんです。
そこで色々なロゴなどのアイデアを持っていった中の一つに「リスモくん」があって、彼が色々な音楽の世界をナビゲートしていきますというようなことを話したら、すごく気に入って頂けたんです。「これで一本キャンペーンを作ってみましょう」と。
ニャンまげの時もそうだったんですけど、キャラクターが決まったら他のものもばんばん決まっていって。リスモくんの時も、キャラクターが決まったら「CMはこんな感じにしましょう」とか「こんなグッズを作りましょう」とどんどん話が広がっていって、面白いなあと思いました。
宇多田ヒカルさんやEXILEさんなど色々なアーティストの方と組んで仕事をすることが出来たこともあって、自分の中ではすごく印象に残っている仕事ですね。

【役に立つデザインとは】
望月:ミツカンの「金のつぶ とろっ豆」のパッケージデザインは、プロダクトデザイン寄りの仕事ですよね。広告の仕事とはまた違った分野の仕事という感じもするのですが。

#ミツカン 「とろっ豆」
Unknown-1.jpeg

佐野:ある日、ミツカンの担当の方から電話があり「佐野さん、納豆のパッケージのデザインをしてほしいんですけど」と言われたんです。
納豆って100円ちょっとの特売のものを皆買っていくので、あまり好きな納豆ってないんですよね。担当者の方はその現状を変えたいと。やはり特売の納豆しか売れないというのではなく、「自分はこの納豆のファンだ」と言ってもらえるようなものを作りたいと。納豆のパッケージデザインというのはあまり前例が無いと思うし、佐野さんのデザインで納豆のイメージを面白かったり、新しかったりするものにしてほしいと。僕はそう言ってもらえて、すごく嬉しかったんですよ。
デザインはカッコイイものや笑えるものというよりは役に立つものだという風に思っていて、デザインの力でその物が売れたり、ファンになってもらえるということがあればそれはすごく名誉なことだと思うんです。「金のつぶ とろっ豆」はファンになってもらえるような納豆ということで、パッケージの豆を笑っている顔のようなデザインにしました。
この表情は実は9種類ぐらいあって、売り場に並べるとアニメーションのような感じになるんです。この工夫はすごく評判がよくて、売れ行きも良かったです。この時に「デザインのやり方や技法を知っていると納豆のパッケージも作れるし、LISMO!のようなキャンペーンも出来る。こんな面白い仕事は無いな。」と改めて思いましたね。

【楽曲紹介2】
望月:このあたりでもう一曲ご紹介頂けますか?

佐野:LISMO!のキャンペーンソングで、ねごとというバンドの「カロン」という曲を。

望月:ねごとは女子大生バンドですよね。どういった経緯でこの曲がCMに使われることになったのですか?

佐野:「カロン」に関しては、「この曲でなにかキャンペーンが出来ませんか?」という形でお話がありました。元々、ねごとというアーティストのことは僕も知っていて、変わったグループだなと思っていた矢先の出来事だったので何かの縁だと思って聴いてみたらすごくキャッチーで。
僕よりも全然年齢は下のアーティストなのですが、久々にぐっとくるものがあって。このスピード感に乗せてリスモくんが走り回るCMを作ったら良いんじゃないか?と思って、実際のCMもそういった形のものになりました。

#2 ねごと「カロン」


【佐野研二郎のデザインの魅力とは】
望月:佐野さんのデザインの魅力ってどういったところにあるのでしょう。ご自身ではどのようにお考えになっていますか?

佐野:やはり僕はキャラクターの仕事が多いので「キャラクターを作ってください」という頼まれごとが多いですね。僕はシンプルに物事を伝えるアイコン的なものを作るのが得意な方だと思うんですよ。伝える物事を、色や形に例えるというか。

望月:それは伝えるべきことに対して、余計なものを削ぎ落としていく作業になるのでしょうか?

佐野:そうですね。大体オリエンシートって、何ページにも渡って複雑だったりしますよね。それを簡単にしていく。そぎ落とすというよりも、圧縮するような感覚に近いですね。本当に無くしてしまうとゼロになってしまうので。どうしたらそれが伝わるかを考えて、本当に要らないものは勿論省くんですけど、似たようなものはくっつけたりして密度を濃くしていく感じです。
IMG_2055.jpg
言い方が難しいんですけど、例えば口がとがった人が居たとして「あの人、やかんみたいだね」と言って「やかん」というあだ名で呼んだら皆笑ったりするじゃないですか。それって何かを何かに例えることだと思うんですけど、それと同じような感覚でマーク化やキャラクター化をしています。
デザイナーで面白い人って、たとえ話が上手い人が多いなと前々から思っていて。何かを何かに例えるのって良い訓練になるんですよ。何かを分かりやすく例えるのがデザインだと。そういったことは(僕が)実践していることでもあるんですけどね。

望月:元々佐野さんは日比野克彦さんに憧れていらっしゃったそうですが、日比野さんの作品が一目見て日比野さんの作品だと分かるように、ご自身の作品も一目見て「佐野さんの作品だ!」と分からせたいという思いはありますか?

佐野:最初はそう思ってました。でも色々な仕事をやればやるほど実はそういう思いってあまり無いなと思って。自分の色を出してやろうということはあまり思っていなくて。もちろん字の形や大きさなど好みはあるので、そういったところに色が出たりはするんですけど、あまり意識している訳ではないです。ただ、どうせ何かを作るなら楽しい方が良いだろうという思いはあって。
この前の震災もそうですが、世の中は色々悲しい事があるじゃないですか。だからせめて作るものは楽しいものにしたいなというポリシーのようなものがあって、実際出来たものを見るとほっこりしたり笑えるようなものになっていることが多いと思います。

【今後について】
望月:これから佐野さんはどのようなヴィジョンで活動していきたいとお考えですか?

佐野:僕は元々広告のアートディレクターとしてスタートしているのですが、そういった広告デザインのセンスをベースにしながら、雑貨や空間のデザインなど日本だけでなく海外にも出ていけるようなデザインが出来たら面白いなと思ってますね。

望月:実際に佐野さんは海外の美術館に置かれている作品を作られているそうですね。

佐野:それらの作品は頼まれて作っているというよりは、自分達でメモ帳やごみ袋などを作って、中国の工場に発注して、事務所に大量に届いたものを色々なミュージアムに取り扱ってもらえないか営業して置いてもらっているという感じなんです。

望月:まさにメーカーですね。

佐野:弱小なんですけどね(笑)。
PDFを送ったり、電話をしたり、海外に行った時に自分に好きなお店に置いてもらえないか交渉してみたりとか。

望月:そうして実際に置かれているんですね。デザインの力は簡単に国境を越えるということでしょうか。

佐野:そうですね。それは僕にとっての理想でもあったんですけど。自分がこうなったら良いなと思っていることは、座っているだけでは向こうからは気付いてもらえなくて。だから実践するということは大切だなと思いました。こういう風になりたいなということをイメージして、そうなれるように実践するということの繰り返しだと思います。そうじゃないと中々モノにならないですからね。妄想で終わってしまうと思うんです。

望月:これからもデザインの力で色々なことに挑戦してください。本日のツタワリストはアートディレクターの佐野研二郎さんでした。ありがとうございました。

佐野:ありがとうございました。


IMG_2068.jpg

TODAY'S EISUKE MUSIC SELECTION